内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

論文・発表原稿を書き始める前の準備過程の諸段階、あるいは多色的思考について

2021-09-20 23:59:59 | 雑感

 これは私の個人的習慣に過ぎないが、論文や発表原稿の執筆開始以前の準備過程にはいくつかの段階がある。
 まず、与えられた諸条件を前提として、その枠組みに収まりそうで、かつ自分が書きたいと思うテーマについてぼんやりと考える。この段階ではメモは取らない。机に向かってもいない。歩いているとき、走っているとき、風呂に入っているときなどに、ときどき思い出したように考えるだけである。そんなときにアイデアがふと浮かんでくる。あるいは、テーマと全然関係がない本を読んでいて、アイデアが閃くこともある。
 テーマが決まると、それに関連する単語をA4版の無地のノートに思い浮かぶままに書きつける。この段階では、テーマに関する重要度に応じてそれらの単語を配列することはしない。この単語の羅列は一頁で済むこともあるし、数頁に及ぶこともある。長くなるのは、それだけ考えあぐねている証拠である。
 今実験的に導入しているのは、ノートに書きつける前段階として、色違いのポストイットを使い、それをA4版のアクリルボードに貼り付けていくことである。このアクリルボードがポストイットでいっぱいになったところで、それらを全部剥がし、相互に関連付け、取捨選択し、ノートに書きつけていこうと思っている。ちょうど今日ボードが一杯になったので、明日ノートへと移行する。
 これらの語を書きつける際(ポストイットでもノートでも)、テーマに対する重要度とは関わりなく、それらの語の間の類縁・近接・対立・包含などの関係性に応じて、ボールペンの色を使い分ける。赤・紫・青・緑の四色を使う。黒は使わない。語間の関連性が色の違いで自ずと視覚的に訴えてくるようにするには黒は適さないからである。
 ボールペンはいくつか試してきたが、これで決定というほどのものにはまだ出会えていない。でも、この一月ほど気に入って使っているのは、Pentel, Energel 0,7mmである。書き味がなめらかでインクの乾きも速い。
 次の段階は、それらの単語の関連性を考えながら、いくつかの問い或いは命題の形にそれらを統合していく。すんなり統合できないときは、さらに別の関連語を書きつけたり、逆に傍線を引いてリストから外したりする。一度書いた単語は消さない。事によるとそれらを復活させることもあるからである。
 これらの命題あるいは問いの間には大きな余白を空ける。その余白の大きさは、単に気分次第のときもあるが、命題あるいは問いの重要度にもよる。その余白に命題あるいは問題へのコメントや論理的展開を書きつけていく。それがどれだけの長さになるかは、書き始めた段階ではわからない。だから無地のノートを使う。罫線は邪魔でしかない。この書き込みは、問いや命題より小さい字で、より細いボールペンを使う。同じくPentelの Energel infree 0,4mm の十色セットが今のお気に入りである。
 色を変えるのは、書き込んだ日付が異なることが視覚的にすぐわかるからである。それに、色を変えると気分も変わるという心理的効果もある。あたかもモザイク模様のように様々な色でノートが覆われていくのは自分で見ていても楽しい。
 しかし、本人にとって、多色使用の最大の理由は、これらのフラグメントは、一定の秩序と「色調」とにしたがって構成されたテキストではまだなく、テキストへの生成過程にあり、その構成要素の多様性を視覚的に示すには多色書きが適しているということにある。
 複数の色によって視覚化されたこの「多色的思考」の運動は、当面のテーマの範疇を超えて複線的・多元的思考へと発展することもある。一つのテキストのための多色作成作業は、かくして、より大きくダイナミックな思考空間を生成させる契機ともなりうるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「汝自身を知れ」の実践としてのメディア・リテラシー

2021-09-19 23:59:59 | 哲学

 プラトンの『パイドロス』に、「じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ」(岩波文庫 藤沢令夫訳 164頁)という文字批判がある。これは、テウトという発明の神様が自分の発明した文字をエジプトのタモス王に誇ったのに対して、タモス王が突きつけた批判である。
 この一文だけでは、特に上掲の邦訳の一文だけでは、文字についてどのようなことが批判されているのかよくわからない。記憶と訳されているギリシア語はムネーメ―、想起と訳されているのはヒュポムネ―シスである。フランス語訳では、それぞれ mémoire、remémoration である。これでもよくわからない。
 しかし、この一文の前後を含めて、テウト神話のくだりを全部読めば、少なくともどこに論点があるのかはわかる。ムネーメ―は、「自分で自分の力によって内から思い出すこと」であり、ヒュポムネ―シスは、「自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出す」ことである。文字が有効なのは、後者のためであり、前者にとっては、文字に頼ることは、逆に、覚え、思い出す努力を惜しむようになり、果ては放棄するという望ましくない結果をもたらしかねない。
 秘訣と訳されているギリシア語はファルマコンで、治療法、麻薬、媚薬、秘薬などを意味する多義的な言葉である。プラトンはこの多義性を利用してここでの議論を展開している。一言で言えば、文字は薬にもなれば、毒にもなる、ということである。
 このファルマコンをめぐっては、デリダの「プラトンの薬法」(初出は1968年 Tel Quel 誌上で、後に La dissémination, 1972年に収録)の委曲を尽くした論文が有名で、Flammarion の『パイドロス』仏訳にも収録されている。
 例えば、約束を忘れないようにとメモを備忘録に書きつける。あるいは、なんらかのデヴァイスのリマインダーに入力しておく。そうしておけば、その備忘録あるいは外部記憶装置がデータを保存し、必要なときに思い出させてくれるから、自分の頭にそれらのデータを記憶しておく必要がなくなる。
 今日の私たちの生活は、スマートフォン、タブレット、PCなど、ヒュポムネ―シスのための超便利な外部記憶装置に満ち溢れている。二四〇〇年前のムネーメ―とヒュポムネ―シスをめぐる議論が今日ほど先鋭な仕方で問われるべき時代はかつてなかったと言ってもいいだろう。
 ヒュポムネ―シスを批判し、ムネーメ―を擁護する、という簡単な話ではない。日々進歩しつつあるICTおよびAIによって、両者の関係そのものが変容しつつある。脳の記憶がムネーメ―で、外部記憶装置に依存するのがヒュポムネ―シスだと、前者を善玉、後者を悪玉にして済ませるわけにはもはやいかない。両者の境界が以前とは異なってきた。あるいはこの二分法的思考そのものが問い直しを迫られている。Humanisme から Transhumanisme へと不可逆的な仕方で人間社会は変容しつつある。
 そもそも無媒介なムネーメ―などありうるだろうか。私たちは、何らかの媒体・媒介、つまり広義のメディアなしには生きられない、本来的に「メディア的」存在ではないのか。だとすれば、メディア・リテラシーとは、「汝自身を知れ」の実践であり、哲学の実践にほかならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


プラトン再読を通じて現代社会の問題を考える」

2021-09-18 23:59:59 | 講義の余白から

 昨日のメディア・リテラシーの授業の最後の15分間で、プラトンの「洞窟の比喩」をメディア論として読む、あるいはそれをメディア論に適用する可能性について、足早ではあったが話した。
 その話を始める前に、学生たちに、高校最終学年の哲学の授業でプラトンの「洞窟の比喩」の話を聞いたことがあるかと尋ねたら、予想通り、皆頷いていた。彼らがどれくらい正確に内容を覚えているのかはわからないが、哲学の古典中の古典が、たとえその一部であれ、文系・理系を問わず、高校生たちに共有されているのは、フランス中等教育が誇ることのできる点の一つであろう。
 そのおかげで、プラトンが用いた種々の比喩のなかでも最も有名な「洞窟の比喩」についての詳しい説明は省いて、いきなり本題に入ることができた。つまり、「洞窟の比喩」の構図のどこをどう読み替えれば、本来イデア論の表象モデルであったこの比喩を現代世界のメディア論に導入することができるのかという話である。
 「洞窟の比喩」のメディア論への応用について学生たちが示した関心に勢いを得て、一旦は授業で取り上げるのを諦めた『パイドロス』のムネーメ―とヒュポムネ―シスとの違いの話もやはり来週することにした。なぜなら、こちらの話は、現代テクノロジー社会における記憶あるいは記憶媒体のあり方を根本的に問うための基礎的な枠組みを与えてくれるからである。さらには、その枠組みの中で、現代社会に遍く流通している具体的な事物に即して問題を先鋭な仕方で考えることをも可能にしてくれるからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


いわゆる日本人的心性が日本語の上達を妨げるという逆説について

2021-09-17 23:59:59 | 日本語について

 学部三年生になると、日本語学習に熱心で優秀な学生たちは、私に日本語で話しかけてくるし、メールを送ってくる。それは日本語学習者として望ましい姿勢だ。それに対して私ももちろん日本語で受け答えする。
 たとえ彼らの文言に文法的には少なからぬ誤りがあっても、ほとんどの場合、意は通じる。日本語学習者と教師という関係の中では、日本人同士であれば多かれ少なかれ無礼な物言いも許容される。それらの物言いに対してあまりにも厳しく対処してしまうと、彼らの学習意欲を削いでしまいかねない。
 だから、原則として、学生たちの日本語のミスについて、私はとやかく言わない。彼らができるだけストレスを感じないで話せるように配慮する。たとえ彼らの言いたいことがすぐにはよくわからないときでも、会話の持続性を重視し、その持続の中で、同じ話題に関して表現を変えながら、彼らが言いたいことを探り当てるようにする。会話がちゃんと成立しているという成功体験が彼らの学習意欲を高めるからである。
 間違いを減らすという意思ではなく、言えることを増そうという姿勢を彼らにはもってほしい。一言で言えば、そして嫌いな表現をあえて使えば、プラス思考あるいはポジティブ・シンキングということである。
 ところが、フランス人学生たちの中には、特に成績優秀な学生たちの中には、間違いを恐れてつい口籠ってしまい、積極的に話せない学生が少なくない。ちょっと皮肉な言い方をすれば、彼らは、いわゆる日本人的な姿勢を身に着けてしまった結果、あるいはもともとそれと親和性があったために、日本語表現力の向上において後れを取ってしまう。裏返して言えば、間違いを恐れず、場合によっては、場の中で浮いてしまう或いは相手にドン引きされてしまうことを恐れずに、とにかく積極的に話すという「非日本人的」姿勢が日本語の上達にはより好適なのだ。
 しかし、今日、ある三年生からメールをもらって、ちょっと考え込んでしまった。その学生は一年次から常に成績は断然トップ、人柄も申し分がない。二年生の終わり頃から日本語のメールを私に送ってくるようになった。意を通ずるのに十分な文章である。ところが、彼女が一生懸命使おうとしている敬語はほぼ全部間違っているのである。
 以前は、返事の中で「教育的配慮」からその間違いをすべて訂正していた。それに対して彼女は感謝の返事をくれる。だが、今日もらった短いメールを読んで、その中にもやはり敬語の間違いがあったのだが、それを指摘せずに、用件についてのみ返事を送った。
 なぜそうしたか。問題は、単に間違いを訂正し、敬語を身につけさせるというところにはないのではないかと思ったからである。敬語システムという膨大な負担を日本語学習者たちに課し続けるよりも、日本語自身が変わるべきではないのかと思うのである。言い換えれば、日本語自体が「国際化」すべきなのではないかと思うのである。
 敬語システムを目の敵にしているわけではない。私自身は、かなりちゃんとそれを運用できているつもりであるし、その適切な運用が人間関係を円滑にすることも認める。しかし、日本人にとっても必ずしも容易ではない敬語の適切な運用を、外国語として日本語を学習する人たちに対して、「日本語ってこういうものだから」という理由だけで強制していいものだろうか。
 「タメ口」をデフォルトとして推奨したいのではない。「他者」に対してより開かれた言語として日本語が創造的に進化することを願っているのである。思いっきり大風呂敷を広げて啖呵を切れば、このブログはその「創造的進化」に貢献することをその目的の一つとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


メディア論としてのプラトンの「洞窟の比喩」

2021-09-16 23:59:59 | 講義の余白から

 午前4時起床。すぐに明日のメディア・リテラシーの授業の準備を始める。昨晩思いついたアイデアに基づいて文献を読み漁った。
 昨晩、石田英敬の『大人のためのメディア論講義』(ちくま新書 2016年)の中から読解テキストとして使えそうな箇所を探していた。Marc Azéma, La préhistoire du cinéma. Origines paléolithiques de la narration graphique et du cinématographe…, Éditions Errance, 2015 に言及している「はじめに」の一節を使おうと夏休み中から目論んでいたのだが、いざ読み直してみると、語彙レベルがちょっと高すぎることに気づく。そこで、語彙・構文レベルの点からより適切な箇所を探すことにした。
 第1章「メディアと〈心の装置〉」の中の「プラトンとファラオの文字」と小見出しが付けられている一節に目が止まった。そこで取り上げられているのはプラトンの『パイドロス』である。哲学科の院生だったときに熱中して読んだ対話編だ。「メモリーとリマインダー」と題された次節で、『パイドロス』の中の記憶(ムネーメ―)と想起(ヒュポムネ―シス)の違いを問題にしている箇所が引用されている。内容的には授業で話題にしたいテーマにまさに対応しているし、語彙・構文のレベルもさほど難易度が高くない。
 ただ、ちょっと困るのが、岩波文庫の藤沢令夫訳がたくさん引用されていることである。藤沢訳の日本語が特に難しいわけではない。だが、現代日本語の通常の語法とは若干違っているところがある。それで学生たちが語義・語法について妙な誤解をしてしまっても困る。他方、それらを既存の仏訳に置き換えてしまうと、残りの地の文は易しすぎる。ということで、本書から読解テキストを選ぶことは諦めた。
 読解テキストとしては、松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』(中公新書 2014年から三箇所選んだ。
 読解テキストのためのパワーポイント作成が済んだ後、もう一度、『大人のためのメディア論講義』「はじめに」最初の節「クロマニョン人たちは「運動の文字」を書いていた」を読み直す。そのとき、「篝火のゆらめく洞窟の暗がりに浮かび上がった動物たちの運動は……」という一文に目が止まった。プラトンの『国家』のかの有名な「洞窟の比喩」が自ずと思い起こされた。そこでハッとした。「洞窟の比喩』がメディア論に応用できると気づいたからである。
 ここまでが昨晩の出来事である。
 昨晩「降臨」したこのアイデアを受けて、今朝起き抜けから、『国家』の当該箇所の5つの仏訳を繰り返し読み、二十冊ほど手元にあるプラトン研究書の中から「洞窟の比喩」に言及している箇所をすべて拾い出した。メディア・リテラシーの授業はわずか1時間であり、そもそも哲学の授業ではない。しかも、「洞窟の比喩」に言及できるのは、せいぜい二十分ほどである。なのに、その準備に半日かかった。しかし、本人としては、すごく充実した時間であった。
 学生たちの多くは、高校最終学年の哲学の授業で「洞窟の比喩」について習っているはずである。メディア論とは何の関係もないかに見えるその「洞窟の比喩」が、実は、メディアの本性を理解するための良き手がかりになることを明日の授業で示す。


歩行するエピキュリアン ― 歩行と思考のシンクロナイゼーションという快楽

2021-09-15 23:59:59 | 雑感

 今日は走らなかった。早朝から今にも雨が降り出しそうな空模様だった。でも、それが走らなかった理由ではない。今日の午後の修士の演習の準備として、新渡戸稲造の『武士道』の最新の仏訳に付された序説と、二つの現代日本語訳(ちくま新書と角川ソフィア文庫)それぞれの訳者による解説とを読みながら、あれこれ考えているうちに数時間が経ってしまい、その間、案の定、雨も降り出し、ジョギングに出かけるタイミングを逸してしまった。
 午後3時20分、小雨がぱらつく中、演習を行う教室がある政治学院と地理学部の建物に徒歩で向う。30分余りかかる。天気予報によれば、日中ときどき小雨程度だから、以前なら迷わず自転車を使った。単純に、その方が早いからであり、それだけ時間の「ロス」が少ないからである。ところが、昨年春のコロナ禍以来、ウォーキングをするようになって考えが変わった。どうしても時間が足りないとか、荷物が重いとか、徒歩での移動を著しく困難にする条件がないかぎり、移動は、原則すべて徒歩である。
 それは健康のためでは必ずしもない。そのためだけなら普段のジョギングだけで十分だ。それよりも、歩いているときに感じられる快さが主な理由になっている。この快さはどこから来るのだろうか。思うに、それは、思考と歩行の同期(synchronisation)にある。
 水泳を日課としていたとき(とうとう回想的な言い方になってしまった)、それは一日の始まりを身心のリセットから始められるという効果があった。ジョギングにもその効果がある。泳いでいるときは、考えることを止める。というか、自分なりにかなりハイペースで泳いでいたので、何か考えている余裕はなかった。ゆっくり走っているときは、あれこれ考えはする。しかし、一定の論理にしたがって展開させる緻密な思考はできない。一点に思考を集中させるには、やはりじっとしている必要がある。
 これらいずれの場合も、思考のプロセスと身体運動との間に同期は成り立っていない。ところが、歩いていると、この同期が自ずと成立する。いわば、思考が歩く。京都学派っぽく言えば、歩行即思考、思考即歩行、である。この「即」が快楽の源泉なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


新渡戸稲造『武士道』の仏訳比較検討から見えて来る、フランスにおける日本研究の宿痾

2021-09-14 21:47:16 | 雑感

 6時23分からきっちり1時間で10,3キロ走る。今日のシューズはミズノの Wave Inspire 17。交互に履き替えている4足のうちで285グラムと一番軽い。その他はどれも300グラムを超える。接地の感触が一番「しっとり」としているのはミズノだ。足首のホールド感は他の3足に劣るが、地面の形状の変化が最もよく感じられる。同じコースを走っていても、脚に感じられる感触がシューズごとに違う。それに応じて風景もちょっと違って見える。どれがベストか決めてしまうよりも、シューズそれぞれの特性に合わせて走り方を変えるほうが面白い。
 明日の修士の授業の準備として、新渡戸稲造の『武士道』の3つの仏訳を比較しながら読む。読みながら怒りが込み上げてきた。以下がその理由である。
 1927年刊行の Charles Jacob の旧訳は、当時の水準としてはとても良心的な訳だと思う。BNU  の Gallica で初版の写真版が無料でダウンロードできる。ただ、アマゾンで購入できるその電子版は、幼稚な誤植だらけで話にならない(こんな代物を商品として売りつけんじゃねーよ。安けりゃいいってもんじゃねーんだよ!)。
 1997年刊行の Emmanuel Charlot 訳は、新渡戸フリークらしい武道家による杜撰な訳だ。訳し落としがそこら中にあり、全体に自分の「フィーリング」で訳しただけ。身も蓋もなく、はっきり言おう。学問的訓練もプロの翻訳者としての経験もない、頭が筋肉的な体育会系は翻訳に手を出すな! 自分は新渡戸の崇拝者のつもりかも知れないが、贔屓の引き倒しなんだよ!
 仏訳としては、2019年の Laurence Seguin 訳が優れている。ただ、武道家としては高名らしい Alexander Bennett の同書の序説には、日本史に関して、どうしたらこんないい加減な事実誤認がチェックされないままに出版されてしまうのかと叫びたくなるようなデタラメな記述が随所に散りばめられている。
 これらの事実が示しているのは、1900年の刊行直後から欧米で大ベストセラーとなった『武士道』が、まさにその過去の輝かしい栄光と戦時中の悪用・乱用ゆえに、本来それに値する真剣な学問的研究の対象にはフランスではなっていないということだ。言い換えれば、本書 Bushido の世俗的な成功と戦中の日本を全否定する教条的で非生産的で硬直的な歴史観とが、「真面目で優秀な」研究者たちを本書から遠ざけているのである。
 念のために言っておくが、私は新渡戸の礼賛者ではない。ただ、フランスにおける日本研究のあまりにも中華思想的で上から目線的な態度(いつまでやってんの?)にうんざりしているだけだ。
 ここでも、はっきり言っておこう。自分たちの大好きな「美しい日本」にそぐわない近代日本の「負の遺産」から目を背ける輩は、京都学派の哲学者たちの著作をろくに読みもしない(というか、読めさえしないんだろう、くそムズカシイもんね)で、軽佻浮薄な偏見だけから蛇蝎のごとにそれらを嫌い無視するだけではなく、利いた風な批判(にも値しないが)を平気で口にして事足れりとする連中と同じ穴の狢である。
 それら欧米人に尻尾を振る日本人が今でもいるって? そうだね、確かにいる。私は彼らと同じ日本人であることを心から恥じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日仏の学生たちを繋ぐ

2021-09-13 23:59:59 | 雑感

 6時23分から7時35分までの1時間12分で12キロ走る。今日は2週間ぶりにアシックスの GEL-1090 を履いた。これは7月のセール期間中に型落ちで買ったものだが、9月1日から昨日まで履き続けたアシックスの GEL-NIMBUS 23 とは明らかに設計思想が異なり、靴底はかなり硬めで、接地の際の反発力は比較的小さい。しかし、靴底のクッションが前後に分かれており、土踏まずのあたりが少し抉れた形状になっていて、つま先での蹴り出しに力が入れやすい。長距離にはあまり向いていないかもしれないが、ピッチを上げて走ろうという気に自ずとしてくれるところがあり、気に入っている。
 午後、来年5月末までの一年弱の予定で経営学院に留学してきた日本人学生と会う。2年前の春に短期研修で来たことがあり、そのときに一度会っている。先日、会いたいというメールがあった。2時間ほど大学付近のブラッスリーで歓談する。
 彼は東京の私立エリート大学の四年生だ。昨年秋からの留学が決まっていたが、コロナ禍で中止となり、就活に専念し、一流企業への就職も決まっていた。ところが、この6月になって大学から、昨年度中止になった留学を再度希望するものは許可するとの通知を受けた。そこで一週間考え、なんと、人も羨む就職先を蹴って、留学を選んだ。
 両親やまわりに反対されなかったかと聞いたら、少し驚きはしたようだが両親も反対はせず、友人たちはむしろ面白がっていたという。ここであっさり就職して自分の型を決めてしまうより、もっといろいろな人に会い、いろいろなものを見てから自分の将来の構想を練りたいという。
 コロナ禍で多くの人が先の見通しが立たずに煩悶している中、見上げた志だと感心する。頭の回転もとても早く、私の話に対する反応も実に的確で、話が弾んだ。
 私たちがテラスで話に熱中していると、「あのぉ、日本人の方ですか」と通りがかったフランス人男性が日本語で話しかけてきた。かつて政治学院の学生として京都に一年間留学したことがあり、また近い将来に日本に行き、働きたいという。JETプログラムの話も出た。何か役に立てることがあるかもしれないから、いつでも遠慮なく日本学科に遊びに来てくれと伝えた。
 日本人留学生の彼には、私の月曜日の授業に来週から来てもらうことにした。日仏の学生同士がお互いに刺激し合えるような場所の一つにこの授業がなればいいなと思っている。学生たちを「繋ぐ」こと、それもまたそれが可能な場所で働いている教師の大切な役割の一つだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語音読リモート・レッスン、そして、森の小道のゆるゆるジョギング

2021-09-12 19:12:17 | 雑感

 日の出はもう7時過ぎになっている。6時にジョギングに出かける、まだ薄暗い中を走ることになる。今朝は、9時から例の日本語音読リモート・レッスンを1時間おこなうことになっていたから、その前にジョギングするのはちょっと慌ただしくなる。そこで、レッスンが終わったらすぐに出かけられるように、ジョギングウエアを着、シューズも履いてレッスンに臨んだ。
 この日本語音読レッスン、本人の修論に直接関係のある本を読んでいるので、内容理解や使用されている術語の意味についてときどきかなり鋭い質問が出る。質問も原則日本語だが、ちょっと込み入った話になると、どちらからともなくフランス語に切り替える。
 今日のレッスンでは、江戸時代初期の対馬藩と幕府との関係がテーマとなっている箇所を読んだ。対馬の宗氏は、日本船の朝鮮半島への渡航許可証の管理を徳川政権から任され、日本人の朝鮮通交権を独占することを許されていた。また、朝鮮から「訳官」(通訳者)たちが90人規模で交渉のために対馬に百日間くらい滞在するときはその接待も一任されていた。一方では、幕府から直接の庇護を受け、対朝鮮外交に関して独占的な特権を与えられていた。しかし、他方では、常にその監視下におかれ、実務一切は自分たちで取り仕切らねばならなかった。日本近世外交史における対馬の特異な立場と重要性は、フランスの日本研究ではまだよく認識されているとは言えない。だからこそ学生にこのテーマを勧めたのだが、私自身大変興味がある。いつか対馬を訪ねたいという思いが募る。
 レッスン後、10時12分にジョギング出発。青空が広がる好天。森までは最短距離のコースを選び、昨日同様、森の中の小道をゆっくりとできるだけ長く走ることにした。日曜日ということもあり、この時間帯だと、ジョギングやウォーキングをしている人、ゆっくりと散歩している人、犬の散歩をさせている人、犬と一緒にジョギングしている人、自転車の人などに、森の中のいたるところで出会う。
 2時間18分で21,4キロ走る。昨日の記録を更新した。消費カロリーも1326キロカロリーに達した。これも最高記録。ただ、さすがに最後は少し脚が重くなった。このあたりが今のところの私の限界なのだろう。明日は軽く走るだけにして、脚を少し休ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ゆっくりとできるだけ長く走る

2021-09-11 17:32:45 | 雑感

 昨日、朝方雨だった。ジョギングに出かけるきっかけを失う。雨中、徒歩で教室に向う。35分かかった。10時から14時まで4時間続けて授業があり、その直後に学科の教員間の勉強会に2時間参加、そして、来週から私の授業をTAとして手伝ってもらう日本人交換留学生と面談1時間。この間、水分補給しただけで、休憩する時間も食事を取る時間もなかった。
 学科の教員室がある建物と授業を行う教室がある建物との間の移動は徒歩で十数分かかる。徒歩での帰宅には50分かかった。行きも帰りもかなり汗をかいた。行きは、授業開始時間に間に合うように急いだため、帰りは、雨上がりの蒸し暑さのなかを歩いたため。帰宅して体重を測ったら、朝測ったときより2,5キロ減っていた。さすがにかなり疲れた。
 昨晩はいつもより長く寝床の中にいた。よく眠れたわけではない。かなりリアルな夢で苦しめられた。大学の会議に出席中に同僚の一人がコロナ感染の症状を発症し、同席者の一人であった私は濃厚接触者ということになってしまう。そうなると一週間自宅待機しなくてはならない。授業が遅れてしまうと困惑するという内容。やれやれ。夢の中にまで現実にありえなくはない事態が入り込んできて苦しまされるのは御免被りたいものだ。
 気分を変えるためにジョギングに出ようとすると、雨が降り出す。出鼻を挫かれる。仕方なく、雨が止むのを待ちながら雑務処理。9時頃、雨止む。雨雲まだ上空に滞留しているが、晴れ間も少し見える。このチャンス逃すべからず。9時38分出発。体が軽い。これは端的に物理的に体重が減っていることに因る。天気が再度崩れないかぎり、ゆっくりとできるだけ長く走ろうと思い決める。主にロベルソーの森の中を走る。お気に入りの「オオカミ島の小道」など、昨日来の雨でしっとりと湿った土の道を選んで走る。走っている間にどんどん青空が広がる。樹々の緑を通して陽の暖かさを感じる。2時間13分で21キロ走る。ペースは遅かったが、時間と距離はこれまでの最高記録。
 走っている間に心拍数を測ってみたら最高で85bpm。安静時の心拍数は、水泳をずっと続けていたせいか、かねてから45~50bpmと低めなので、このあたりが私にとって無理なく有酸素運動を続けられるレベルなのだろう。2時間以上走っても、たいして疲れておらず、足取りもまだ軽く、まだまだ走れそうだった。だが、過ぎたるは及ばざるが如し、余力を残して上がることにした。