内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』新版の「あとがき」より

2024-04-10 01:04:48 | 読游摘録

 ガタリの Les Trois Écologies の初版が出版されたのは1989年である。そのポッシュ版の新版が四月五日に Ligne という出版社から発売された。当初は三月中に出版される予定だったが、おそらくは「あとがき」の完成が遅れて出版が四月にずれこんだのではないかと思う。というのも、「あとがき」の筆者であるイタリア人哲学者 Manola Antonioli さんと先週水曜日ラ・ボルド病院で昼食を一緒したときに、別の出版の件について自分のせいで遅れていると言っていたからである。
 「あとがき」といっても四〇頁におよぶ詳細なもので、『三つのエコロジー』が書かれた時代状況や他の思想家の関連する著作との関係やガタリの本の今日的意義について行き届いた説明がなされている。ガタリの本文は六〇頁弱であるから、マノラさんの力の入れようには並々ならぬものが感じられる。余計なお世話だが、日本の大学の学部レベルのフランス語購読に好適な一冊だと思う。
 マノラさんに敬意を表して、その「あとがき」から引用しよう。

Chaque institution et chaque groupe (parti, école, université, hôpital, etc.) tout discours littéraire ou philosophique constitué, porte sa propre cohésion et sa propre axiomatique et demande l’adhésion de ceux qui aspirent [à] y participer à son « programme », mais il existe toujours la possibilité d’intervenir sur les mécaniques institutionnelles et de réintroduire de la plasticité dans l’organisation d’un groupe. Le groupe-sujet ne s’incarne pas dans un individu qui pourrait prétendre parler en son nom, il est un projet qui prend appui sur une totalisation toujours provisoire. Au cœur d’un groupe passif peut toujours surgir, de façon imprévisible, une nouvelle forme de subjectivité qui développe une dynamique interne propre, tout comme un groupe-sujet peut devenir et rester prisonnier de ses propres fantasmes. L’hôpital psychiatrique, par exemple, peut être complètement assujetti aux formations sociales qui le supportent (l’État, la sécurité sociale) ou produire de nouvelles expériences collectives qui échappent à la fixité et à la totalité de son fonctionnement, qui font exister un ou plusieurs groupes-sujets au sein de sa structure massive et molaire. L’analyse et l’intervention dans un groupe impliquent une prise en considération des formations imaginaires autour desquelles il se constitue, pour en élucider les blocages internes et réintroduire le désir dans son fonctionnement. (p. 94)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


なぜ精神医療に「制度化」が導入されなくてはならないのか

2024-04-09 08:27:16 | 読游摘録

 フェリックス・ガタリの Psychanalyse et transversalité. Essais d’analyse institutionnelle, La Découverte, 2003 の新刷が今年刊行された。原本(Éditions François Maspero)は1974年刊。ドルーズが序文を書いている。 « Introduction à la psychothérapie institutionnelle (1962-1963) と題されたインタビューの要約からの引用。

Toutes ces tentatives impliquent une remise en question méthodologique de la recherche dans les sciences humaines : l’accès direct à l’individu n’est pas possible, ou bien il se révèle trompeur ; on peut croire parler à l’enfant, au névrose, on peut croire qu’il vous entend, mais cela peut être un faux-semblant. Des effets de suggestion apparaissent malgré les intentions de l’observateur. Une psychologie de l’adaptation pourra obtenir des résultats, mais en fait elle ne peut pas vraiment atteindre le registre du sujet. L’accès aux désirs les plus fondamentaux implique certains détours, certaines médiations. C’est là que nous introduisons cette notion de l’ « institutionnalisation », ce problème de la production d’institutions : qui produit l’institution et article ses sous-ensembles ? Y a-t-il une façon d’infléchir cette production ? La prolifération habituelle des institutions dans la société contemporaine n’aboutit qu’au renforcement de l’aliénation de l’individu : y a-t-il une possibilité qu’un transfert de responsabilité s’opère, et qu’au bureaucratique succède une créativité institutionnelle ? Mais à quelle condition ? Y a-t-il des techniques particulières pour donner la parole à l’objet que l’on veut étudier ? En effet, si — implicitement ou non — on réifie l’objet d’étude, si on ne lui donne pas le moyen de s’exprimer, même et surtout lorsqu’il ne dispose pas de moyen de communication adéquats (ce moyen pouvant être le rêve, le fantasme, le mythe, l’expression picturale, praxique, etc.), on est alors soi-même pris par un effet de mirage, par des relations projectives sur l’objet considéré. Il s’agit en fin de compte d’une remise en question des vieilles catégories mal expurgées de la psychologie universalisante et abstractifiante. (p. 40-41)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日から月末まで辞書項目執筆に集中する

2024-04-08 23:59:59 | 雑感

 今日から月末までは辞書項目の執筆に集中しなくてはならない。他のことは、大学関係の避けがたい仕事(特に、審査委員長を務めている来年度日本学科入学希望者の全願書審査)を除いて、脇にのけなくてはならない。会議(幸い研究休暇中だから例年よりは遥かに少ない)は極力欠席する。学生の指導(特に修士論文、学部小論文、文化プロジェクト等)は続ける。相談にも乗る(が、少ないことを祈る)。招待はありがたくともすべて断る。人と外食もしない。ジョギングは続ける。このブログは生命反応あるいは生存確認であるから継続するが極小化する。原則、引用のみか、読んだ本・観た映画・ドラマの感想一言(せいぜい数行)か、辞書項目作業の余滴か、気分転換の与太話に限られる。例外はたまにあるかも知れない。写真は例によって使いまわし。
 で、今日の引用。

On entend dire que la psychothérapie institutionnelle est dépassée depuis longtemps, que « ça » n’existe plus. En réalité elle n’a jamais « existé », car, […], ce n’est qu’un « mouvement » qui ne peut vivre que si l’on y est. Exercice d’une dialectique concrète pour éviter toute hypostase définitive. Toujours en chantier, avec les moyens du bord. Ce qui exige une syntaxe opératoire, des concepts, une logique spécifique. C’est dans ce sens que nous espérons que ces textes rassemblés ici peuvent être matériaux utiles, en prise avec ce qui se passe dans ce champ toujours vulnérable de la psychiatrie. 
                Jean Oury, Psychiatrie et psychothérapie institutionnelle, Les Éditions du Champ social, 2001, p. 5.

 では、皆様、ごきげんよう。


ラ・ボルド病院訪問(6)「みなさんと時と場所を共に過ごすことができたことを私たちは心から感謝しています」

2024-04-07 23:59:59 | 雑感

 ラ・ボルド病院で金曜日に出席したいくつかのミーティングのことも、水曜日から金曜日の昼食時の患者さんたちとの会話のことも、月曜から金曜までのL先生のお宅での朝食時と夕食時の歓談のことも、それらそれぞれがあまりにも豊かな時の恵みであったので、今すぐにはそれがどういうことだったのか具にここに記せない。
 ラ・ボルドでのあのときこのとき、L先生宅でのいつまでも話を聴いていたいと思わせるお話のあれこれ、こちらの思いに心を開いて耳を傾けてくださる先生ご夫妻のお姿をストラスブールで思い起こしている今、感謝の気持ちばかりが溢れ、言葉が追いつかないのです。
 「患者」であるなしかかわらず、それぞれの人がそこにただ居たいように居るだけでよいということを実現することがかくも難しく、でもそれが完璧ではないにしても実現されており、それを継続するために日々多くの人がそれぞれの働きにおいて協働している姿をラ・ボルド病院で垣間見ることができたことは、大げさでなく、これを見ずに死ななくてよかったと私に思わせる。
 今回の訪問における私の役割は通訳だった。それ以上何も期待せず何も準備せずに現場に臨んだ。結果として、それがよかったのかも知れないと今は思っている。「予習」をして大過なく役割をまっとうすることもできたかも知れない。あえて準備をしなかったわけではない。ただ単に時間がなかっただけだ。そんな無防備な姿勢で現場に入ったからこそ、現場では驚きの連続だった。
 今回の滞在で経験したことを、今後少しずつでも、今はそれがどんな形になるかわからないが、自分の研究に活かしたい、心からそう望む。
 金曜日、食卓を共にした患者さんの一人が囁いた言葉が今も耳元で響く。かつてフルート・トラベルソの奏者であった老齢の彼は、歩いているときも座っているときも、まるで首が折れたかのようにいつも下を向いたままだ。食卓でもそうだった。その斜め前に座った私に向かって彼は「痛くてたまらないんだよ」と眉をしかめる。どこがどう痛いのかわからない。でも、眉間に皺をよせた彼が苦痛に耐えていることわかる。昼食前にスタッフが配る薬を飲むだけでも彼にとっては一仕事だ。
 薬を飲んだ後、ほとんど食卓に突っ伏すような姿勢でため息を吐くように小さな声で彼は繰り返す。 « Je veux guérir. » 直訳すれば、「治りたい」。でも、それは、彼にとって、ほとんど祈りの言葉なのだ。
 ちょっと泣きそうにながら、私は « Bien sûr » (「もちろんそうですよ」)と即座に応じた(ああ、何と軽薄な対応だったことだろう)。それに対して彼は « Pas bien sûr »(「なわけないだろう」)とすぐさま返してくる。そうだ。そうに違いない。彼がいったい何年病苦に苛まれているのか、私は知らない。
 午後の会議で彼は議事進行スタッフの一人として中央前方の席に座る。首が折れてしまったかのような姿勢はそのままだ。でも、彼の発言に皆耳を傾ける。彼の冗談に皆が笑う。彼も笑う。
 その会議中、今日が滞在最終日である私たちに一言挨拶をと求められる。感謝の言葉を一通り述べた後、その日の午前中に出席したミーティングで convivialité の語源について私が話したことを繰り返す。
 「Convivere 共に生きる、これがコンヴィヴィアリテの語源的意味です。具体的には、食事を共にすること。ラ・ボルドではまさにそれが実現されていることをこの数日間この目で確かめることができただけでなく、私たちはそのコンヴィヴィアリテに与らせていただきました。四日間という短い時間でしたが、みなさんと今この時と今この場所を共に過ごすことができたことに私たちは心から感謝しています。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ラ・ボルド病院訪問記(5)モノの修理が親密な時空を開くきっかけとなる

2024-04-06 17:19:41 | 雑感

 Nicolas Philibert のドキュメンタリー映画 La machine à écrire et autres sources de tracas はとても面白かった。パリ市内に居住する精神疾患を患う人たちの四つのエピソードからなるオムニバス形式。全部で一時間十二分。彼らのアパルトマンをさまざまな修理業も請け負う看護補助師二人が訪れ、彼らが普段使っている機器(タイプライター、CDプレイヤー、プリンター等)の修理を行う場面とその直後の両者のやり取りを記録したドキュメンタリー映画である。私がこれまで観たことのあるドキュメンタリー映画とは異なった手法が使われていることが特に興味深かった。
 ドキュメンタリー映画は、通常、撮られる側がカメラを意識しないように極力努力する。そのためには撮られる側が撮られていることを意識しなくなるまで待たなくてはならない。そうなってからほんとうにカメラをまわし始める。そうなるまでにはかなりの時間がかかる。
 ところがこのドキュメンタリー映画はまったく逆の手法なのだ。上映後、監督と会場との質疑応答が一時間近くあったのだが、それがまたすこぶる面白く、そのやりとりのなかで監督がそれぞれのエピソードの撮影は半日ほどだったと言ったときにはほんとうに驚かされた。
 もちろん事前の相談はあったにせよ、そして撮影を断られたケースも多々あったにせよ、撮影当日に機材を担いだ監督とスタッフが彼らの部屋をいきなり訪れた。スッタフとはいっても一人か二人である。実際、アパルトマンの狭さからいってそれ以上は入れない。
 もう一つ、私にとっての発見だったのは、撮影する監督とカメラがドキュメンタリーの一部を成していることだった。撮られている側がカメラ目線だったり、カメラを回している監督を見たり、監督と言葉を交わしたりしているのだ。つまり、ドキュメンタリー映画のなかに監督と彼が回すカメラも組み込まれているのだ。これは私には新鮮だった。
 それぞれのエピソードは当人たちのアパルトマンのなかという狭い空間のなかでの修理や整理の対象であるものをめぐっての会話に尽きる。が、修理がうまく行った後、あるいは整理の段取りに合意が成り立った後、住人と訪問した介護師たちとの会話がそれ以前の会話のトーンと明らかに異なっていることが鮮やかに記録されていた。
 在宅訪問という「新しい」療法形態の「客観的」記録ではない。撮る側もドキュメンタリーの現実に参加しているのだ。小さな親密な時空のなかで関係の変化が発生する機微をよく捉えた秀逸な作品だと私は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ラ・ボルド病院訪問記(4)機会を捉えてスッタフたちにインタビューする

2024-04-05 01:20:51 | 雑感

 昨日は朝からラ・ボルド病院にL先生の車で向かう。pilotis という名の病棟での朝の会に出席した。
 九時半に始まるとのことで私たちは時間前に入室した。すでに何人かの患者さんが来ていて、もう顔見知りの患者さんもいれば、今日はじめて会う患者さんもいた。そのはじめての患者さんの一人が笑顔で「こんにちは」と日本語で話しかけてくる。その彼のとなりに座って、どこで日本語を覚えたかという話をきかっけに日本のポップ・カルチャーについて話し込む。息子が大の漫画好きで『ONE PIECE』は全巻持っているそうだ。
 そこへ初日にすでに会った別の患者さんが割って入ってくる。巨体の彼はしばしば極端な発言をしてみんなを困らせる。発語も不明瞭で聞き取りにくい。何がきっかけだったか思い出せないが、彼が「日本も patriarcal(家父長制的)なものがまだ強いだろう」と言い出したので、正義の倫理とケアの倫理というまさに私が今関心をもって関連書籍を読んでいるテーマの方に話を引き込み、正義の倫理と家父長制的思想の関係、それとは異なるケアの倫理についてしばらく話した。同席していたスタッフの人たちも関心を持ってくれたようだが、場違いな話なので途中で止めた。
 こういっては大変失礼なのだが、容貌魁偉な老婦人が「禅は偉大な哲学だ」と言い出す。呂律がよく回らなくて何を言っているのかわからないときもあるのだが、日本及び日本文化についていろいろ思い出を語ってくれる。それらから推測するに、彼女の時間は一九六八年で止まっているようだ。
 そうこうしているうちに、十数人集まったところで、モニターの一人である女性が「今日は誰が朗読をしてくれるのか」と問いかけると、私が最初に話した男性が、ボードレールの『悪の華』が枕頭の書であると言い、だから当然全部暗記していなくてはならないところなのだけれど、どうしてもできないからと、表紙が傷んだポッシュ版の『悪の華』を開き、« Le chat » を静かに読み始めた。すると、皆聴き入り、部屋が静まり返る。モニターの女性も目を閉じて聴いている。その静けさの中の朗読の時間は短かったが、とても心地よい時間だった。会の合間に、ラ・ボルド病院に来て十年というモニターの方にインタビューをした。とても真摯にこちらの質問に答えてくれた。
 この朝の会に引き続いて同じ部屋で comité hospitalier という重要な会議が組まれていた。その会議開始までの間に、初日に総会で一言挨拶を交わしただけの研修生がすぐ脇の席に座ったので、さっそくインタビューを試みた。心理学部三年生で必修実習としてラ・ボルド病院に一ヶ月間の研修に来てまだ数日だという。どうしてこの病院を研修先に選んだかなどいろいろと質問した。気持ちよく答えてくれた。話の中で彼女が名前を思い出せなかった日本の精神医学者は木村敏のことだと見当がついたので、フランス語訳で読める木村敏の二冊の本を紹介しておいた。
 Comité hospitalierという、医療スタッフと患者たちが責任を担うクラブの代表者たちとの間の話し合いのための重要な会議の中身の詳細については省くが、驚いたのはクラブ側の会計担当が患者さんだったことだ。スタッフと患者との間に相互信頼の関係がなければ決してできないことである。もっとも、こういう二分法的な表現自体がラ・ボルド病院の原則には相応しくないのだが。
 昼食は、日本に強い関心をもっていて、少し日本語が話せる女性の患者さんと、昨年十二月に着任したばかりだという女性の医師の方とご一緒し、そこでもまたその医師の方にいろいろ質問させてもらった。
 午後は、L先生にご自宅まで車で送っていただき、先生だけまたすぐに病院に戻られた。三日間毎日長時間通訳し続けたので、さすがに疲れた。一時間ほど午睡ができたのは幸いであった。
 夕食後、先生の車でブロアの映画館で本日公開の Nicolas Philibert のドキュメンタリー映画 La machine à écrire et autres sources de tracas を観に行った。ラ・ボルド病院の患者さんたちやスタッフも観に来ていた。先生の話によると、もとスタッフで来ている人たちもいるとのことだった。この映画については明日の記事で話題にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ラ・ボルド病院訪問記(3)「自立」した患者は「患者」ではなく、市民である

2024-04-04 23:59:59 | 雑感

 昨日はL先生のご提案により、ブロア市内の一軒家で「自立」した共同生活を送っている「患者」さんたちのお宅での会議に午後出席させてもらった。その会議とは、「患者」さんたちが発行している不定期の新聞「ガゼット」の編集会議である。
 なぜ「自立」とカギ括弧に入れたか説明する。その一軒家はL先生が会長をしているアソシエーションが借りている。外部からの援助や公的援助は一切受けていない。そこに住む四人の「患者」さんたちはそれぞれ自室を持ち、台所と風呂は共同。各自自室の家賃は払う。食事は各自別々に取ることが多いが、ときには一緒に料理を作って分け合う。共同生活を送っているのは、一人暮らしが困難な心疾患をそれぞれに抱えており、それゆえ助けてくれる人を必要とするからである。しかし、彼らは原則として自分たちで助け合いながら暮らしているという意味で「自立」している。これがカギ括弧をつけた理由である。
 なぜ「患者」とカギ括弧に入れたか説明する。確かに、彼らは診療のための通院やラ・ボルド病院でのデイ・ケアを必要とする。それは一般の市民が病気や怪我で病院に行くこととさして違いはない。ところが、病院に通う必要のある市民は普段の生活においては患者ではない。それなのにどうして長期の心疾患を抱えている人たちには「患者」という恒常的なレッテルを貼らなければいけないのだろうか。彼らもまた医療を必要とする市民であるというだけのことで、他の市民から恒常的に区別されなければならないような「患者」ではない。だから彼らを「患者」と呼ぶのは実は不適切である。これがカギ括弧をつけた理由である。
 その日行われた編集会議の主な議題は、次号に載せる記事やレイアウトだったが、日本の精神医療の現状についての私たちへの質問も会議の中に組み込まれ、私たちの答えたことと今日の会議に出席しての私たちの感想をこちらでまとめて記事にすることが提案され、事実上私がその執筆を引き受けることになった。
 会議の後、ブロアの街を観光するつもりだった私たちは、会議の出席者たちにこの家から街の中心部までどれくらい距離があるか聞いた。歩いていける距離だとわかった。が、道順がわからない。すると、出席者の一人が自分は街の中心部にあるカテドラルのすぐ近くのアパートで三人の「患者」と共同生活しているから、街の中心部まで道案内することを買って出てくれた。もとヴァイオリニストだったという彼は、道中自分の歩く速さが私たちにあっているかどうか気にかけ、穏やかな話し方でいくつかの街の建造物について説明してくれた。その間も私は感じた、普段私がその中で生きているのとは違った時間の流れと空間の広がりの中を歩いている、と。
 大切なことは簡単に言葉にまとめてしまうとつまらなくなってしまうし、人に伝わらない。それはそうかも知れない。が、今回の訪問で経験しつつあることの「痕跡」を僅かなりともリアルタイムで残しておく作業は継続する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ラ・ボルド病院訪問記(2)互いに開かれた存在としてそれぞれのリズムでそこに居る

2024-04-03 18:11:39 | 雑感

 昨日午前中、ラ・ボルド病院の駐車場から敷地内に散在する建物の方へとL先生に導かれながら歩いていくとき、建物間を結ぶ細道をさまざまな方向にゆっくりと歩いている患者さんたち(このような呼び方もラ・ボルドにおいては実は必ずしも適切とは言えないのだが)を見かけて、そのときはすぐになぜなのかよくわからなかったのだが、流れている空気も時間も違うと直感した。あえて一言で言えば、互いに開かれた存在としてそれぞれの人がそれぞれのリズムでそこに居るとでも言えばよいだろうか。
 敷地内にいるすべての人たちが私服なので、患者さんなのか、スタッフ(医師、看護師、モニター、研修生、事務員などなど)なのか、ちょっと見ただけはわからない。しばらく皆の動き方、姿勢、表情を観察していると、患者かそうでないかはおよそ区別できるようになるが、スタッフ側に白衣・制服・名札などの一目でわかる区別の指標がまったくないので、言葉を交わしている患者さんたちとスタッフの方々とを区別できるようになっても、人と人の間に流れる空気の緩やかさと温かさと開放性、その中での両者の繋がりと患者さん同士の繋がりはむしろより強く感じられるようになった。
 患者さんたちが自由に敷地内を歩いている姿に印象付けられたことをL先生にお話すると、まさにそれがこの病院の大原則なのだとおっしゃられた。つまり、私が直感したことは、この病院が長い年月をそれに掛けてきた、そして今もその形成過程にある経験・実験 ・知恵(expérience)が醸成している雰囲気であり、単なる私個人の主観的な印象ではなかったのだ。そのことは、この病院の伝統である患者さん自身による院内案内をしてくれた二人の方と歩きながらの会話によっても確認された。
 そして昨日のクライマックスは週一回の病院総会だった。この総会には、患者さんたちと病院スタッフすべてが参加し、議事進行はスタッフ一人と患者さんの代表三人とが担当し、順次本日の議題を審議していく。医療スタッフは患者さんたちの間にばらばらに座っており、会議開始後に少し遅れて入室した私たちは全員から歓迎されたが、最初はどこに座ればよいのかもわからなかったが、議事進行チームのすぐ脇に席を作ってくれた。会議の進行を見守っていて、審議への患者さんたちの積極的な発言の数々に驚かされると同時に、すべての発言がそれぞれに尊重され、注意深く聞かれていたことにも深く印象づけられた。
 一つ一つの議題が皆によって共有され、その過程の中で問題の所在が徐々に明らかにされ、解決策が、たとえそれが暫定的なものであれ、模索されていった。予定されていた一時間の枠では収まらず、次回に持ち越しになった議題もあったが、会議の進行の仕方そのものにこの病院の諸原則が凝縮されていると感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ラ・ボルド病院訪問記(1)

2024-04-02 23:59:59 | 雑感

 昨日午後、日本からいらっしゃったM先生ご夫妻とオーステルリッツ駅で合流し、4時16分発のTERでロワール地方の古都ブロアに向かった。復活祭の連休最終日ということとそれゆえに本数が通常より少なかったこともあったのか、電車はほぼ満席であった。
 定刻の午後5時49分に到着。駅には、ラ・ボルド病院(Clinique de la Borde)の医師L先生と一昨年からブロワにお住まいのT先生が迎えに来てくださった。明日も病院でお目にかかるT先生とは簡単な挨拶を交わしただけでお別れし、L先生の車でご自宅に向かった。30分ほどの道のりの間、ロワール地方のなだらかな美しい風景を嘆賞した。
 先生のご自宅は、Cheverny という村にあり、病院まで車で15分くらいのところに位置し、周囲にはブドウ畑が広がり、すぐご近所にはロワール地方最小の可愛らしいお城がある。樹齢数十年から百年を超える木々に囲まれた広大な敷地の中に、その最も古い部分はルネッサンス期に作られたご自宅はある。ここに5泊6日3人でお世話になる。こうしてブログの記事を投稿できていることからわかるように、先生宅で問題なくWIFIに接続できた。
 今日は朝食後10時過ぎに先生の車で病院へと向かった。今回の旅の目的は、精神医療の世界でその名を世界に知られた病院をM先生ご夫妻が見学することであり、私は通訳として同行した。この同行の話が決まったのは1月末で、そらから病院について俄勉強をはじめたら、私自身この病院の運営のされ方とそれを基礎づけている創立者の思想に強く引きつけられてしまった。残念ながらさして「予習」をする時間はなかったのだが、見学初日である今日、豊かな緑に包まれた5ヘクタールの敷地の中に点在する各建物(病棟という言葉は相応しくない)を自由に見学し、医療スタッフ、ケア・スタッフ、患者さんたちと言葉を交わし、いくつかの会議に陪席させてもらい、それだけでとても言葉に尽くせない未曾有の経験をすることができた。
 あまりにも多くのことを今日一日で見聞きし学んだので、それらがまだ頭の中で整理できないままで、すぐに言葉にすることはできないが(それに、ただ頭の中で整理しただけのことなど大した意味は持ち得ないとわかってはいるが)、この滞在の「痕跡」をこのブログにリアルタイムで残しておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


復活祭の四連休

2024-04-01 03:50:18 | 雑感

 昨日が復活祭で、その翌日の月曜日は国民の祝日です。アルザス地方は復活祭直前の金曜日も聖金曜日という休日です。つまり、毎年復活祭前後アルザス地方は必ず四連休になるわけです。
 毎年そのことを忘れては学生たちに指摘されていたのですが、なんとアルザス出身のフランス人の同僚も忘れることがあるそうで、やはり学生から指摘されて、その日に実施するつもりだった試験や補講を前後いずれかの金曜日に移動させざるを得なくなったことがあると言っていました。
 それでなくても、夏のヴァカンス、万聖節のヴァカンス、ノエルのヴァカンス、冬のヴァカンス、春(復活祭)のヴァカンスがあるのだから、そんなに休まなくてもいいじゃないかとも思うのですが、皆休むのですね。私ももちろん喜んで休みます。
 五月にはやたらと祝日があって、一日(水)はメーデー、八日(水)は1945年5月8日戦勝記念日、九日(木)は昇天祭(これは移動祭日で九日とは限らない)、二〇日(月)は聖霊降臨祭(ペンテコステ)の翌日の月曜日(これも移動祭日)です。水木と連休ですと、休日ではない金曜日も多くの人たちは自主的に休みにしてしまい、親が子どもに学校を休ませることも珍しくありません。つまり、五連休になります。ちなみに、このように休日に挟まれた日を休みにすることをフランス語で faire le pont と言います(橋を架ける仕事ではありません)。
 こうなりますと、なんか休みの合間に仕事してるって感じになりますね。もっとも、かく言う私は今学期研究休暇中なので、ほぼ毎日が休日のようなものですが。
 さて、今日から六日までの五泊六日、ロワール地方のブロア(Blois)という街あるいはその付近に滞在します。でも、ヴァカンスじゃありませんよ。お仕事でもありませんが、ちょっと通訳みたいなことをいたします。詳細は後日報告いたします。
 この間、滞在先でネットに接続できる環境なのかどうか確かではなく、接続できないとなれば、このブログへの投稿も休止せざるを得ません。二〇一三年六月二日の開始以来、一日も休まず投稿してきただけに、もしそうなるとちょっと残念なのですが、記事は毎日書いておいて、後日それぞれの日付に投稿することにしようかと思っています。
 皆様にとりまして、今日がよき四月の始まりでありますように。