内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「自己感」あるいは「見守られている中で独りになれること」について

2024-10-11 08:27:27 | 読游摘録

 村上靖彦氏が「自己感」という概念にその著書の中で言及するときは、明示的にであれ暗示的にであれ、ウィニコットの sense of self を参照しており、この意味での自己感は「ホールディング(抱っこ)」構造において形成される。ウィニコットは、乳幼児の母子関係をモデルにこの構造についての考察を展開しているが、村上氏によれば、「ホールディングは、抱っこによって愛情を注ぎ、体を支えることだけを指すのではない」(『母親の孤独から回復する』 以下引用及び参照は同書に拠る)。「ミルクを与えること、温度を保つこと、刺激を減らすこと、といった環境を安定させるためのすべての気遣いの総称である」。「乳児期の母子関係だけでなく、人間のあらゆる成長段階で潜在的にこの構造が確立されていることが心身の健康の要件になる」。
 村上氏はそこからさらにグループが生むホールディングまで考察を拡張する。村上氏は自身がフィールドワークを行った「MY TREE西成グループ」というプログラムで学んだことを基に次のように述べる。このグループは、重い虐待に追い込まれた母親を対象としているが、多くの参加者は自分自身が暴力や虐待の被害者でもある。このプログラムは、もともとは職権保護や公的機関の介入による同意で分離された親子の再統合を促進することを意図して考案された。

そこでは暴力や貧困に苦しむお互いの人生を聴き、語り、声を出し、声をかけられるグループが、互いに互いをホールドする。そのとき、グループは(かつては出会い損ねて外傷となった)出来事との出会い直しを可能にする。ホールディングとは、言語を絶するような出来事を受けとめるための構造のことでもある。

 同書には、ウィニコットを直接参照しながら自己感に言及している箇所がもう一つある。マーガレット・リトルという、幼少期のネグレクトと環境の混乱に由来する後遺症から深い抑うつに陥っていた女性のウィニコットによる治療過程が述べられている箇所である。

(三時間のセッションの中で)ほぼ二時間の沈黙ののちにようやく患者が現実感を獲得し、その場をウィニコットと共有できるようになる場面が描かれている。静かな状態から出発することで初めて自己感を見出し、創造的な活動ができることを、ウィニコットはさまざまな臨床事例の中で観察してきた。思考を働かせる手前にある落ち着きは、思考を用いた創造的活動の基盤となる。「見守られた中で独りになれること」が創造性の出発点になる。つまり、見守られる中で「私はいる」と自己を見出すことが、傷についての深く自由な語りを可能にする。私たちの人生は「独りから始まる」としても、つながりの回復を通して「独りになれる」強さに変化する。

 明日の記事では『ケアとは何か』の中からやはり自己感に言及されている箇所を拾い出し、そのうえで自己感についての私見を述べることにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「自己肯定感」という言葉に対する小さな私の違和感

2024-10-10 18:00:01 | 雑感

 いつの頃からかはっきりとは特定できないが、私がまだ日本にいた頃にはそんなに聞いた覚えがないから、おそらくは一九九〇年代末からだと推測されるが、「自己肯定感」という言葉が近頃よく使われるようになったという印象がある。最初はおそらく心理学や教育の分野で使われ、後に一般にも広く使われるようになったのだろうか。
 なんか違和感を覚える言葉で、もっと言えば気持ち悪い言葉で、私自身は、いい意味でも悪い意味でも、自分に対しても人に対しても、けっして使わない。
 この語の使用例を最近読んだケア関連の書籍から拾い出してみた。あらかじめ断っておくが、これはあくまで用例提示のためで、引用する本の著者たちを批判する意図はまったくない。

真に聴いてもらう体験を多くの参加者が生まれて初めてする中で、希死念慮につながる自己肯定感の低さが改善し、他の人から承認されていると感じるようになる。(村上靖彦『母親の孤独から回復する』講談社選書メチエ、2017年)

「私は~できる」という自己肯定感とは逆向きの、「できない自分」に気づき、「社会に戻れないんじゃないか」という焦燥感を抱くようになる。(村上靖彦『ケアとは何か』中公新書、2021年)

毎日のケアに追われる中で、自分の健康や将来について考える余裕のない人もいます。いろいろなことが積み重なって、自己肯定感が低くなってしまう人もいます。(澁谷智子『ヤングケアラーってなんだろう』ちくまプリマー新書、2022年)

 「自己肯定感」は「低い」という形容詞と組み合わされて使われることが多く、自己肯定感が低いことはその人自身にとって望ましくなく、高くなるように何らかのケアが必要だという文脈で使われることが多いようである。
 ちなみに、「自己否定」という言葉は以前からあるが、「自己否定感」というのは寡聞して聞いたことがない。
 自己肯定感の中身はいったいなんなのだろうか。自己肯定ではなく自己肯定感であるから、自己を肯定するという行為の問題ではなくて、自分について「これでいいのだぁ」という実感のようなもののことなのか。
 特定の能力・技能の不足、ある特定の分野での有能さの欠如、生活の余裕のなさ、失敗の繰り返しなど、それらそのものが自己肯定感の低さなのではない。それらが要因となって自己評価が下がり、自信を失ってしまい、結果として、そのままの自分を肯定することができにくくなった状態を指して「自己肯定感が低い」というのであろうか。
 では、「あなたはちょっと自己肯定感が低いから、もっと高くしたほうがいいですよ」とか「高くするように一緒に頑張りましょうね」とか「そうなるようにサポートしていきますね」という話なのか。ちがうだろう。
 そもそも自己肯定感が問題になること自体が問題なのではないのか。この造語がもともとありもしないもの(感)をあるかのように思わせ、それが「低い」とか「高い」とかいう疑似問題を発生させているだけにしか私には思えない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


画面の「向こう側」に熱量が伝わることを願いながら

2024-10-09 05:55:07 | 講義の余白から

 昨日火曜日の朝、例外的に遠隔授業を一コマ行った。学部三年の「日本思想史」である。なぜかというと、通常の時間割ではこの授業は前日月曜日8時30分から10時までなのだが、その授業直前になって急遽休講にせざるを得なかったからである。
 月曜日の朝、授業が行われる教室がある建物の前に自転車で到着すると、いつになく数多くの学生たちが建物前の広場で立ち話している。私の授業を受講している学生たちも一角に集まっている。警官も数人待機している。建物の正面玄関に近づいて理由がわかった。一部学生たちによって建物が封鎖されていたのである。
 この建物、学生たちによる何らかの抗議行動があるとき、キャンパス内でまず封鎖されるという「伝統」がある。大規模な抗議行動のときには他の建物も封鎖されることもあるが、今回の封鎖理由は、ガザ地区へのイスラエル攻撃開始からちょうど一年経過し、いまだに終息どころか停戦の見通しさえ立たず、無差別的な爆撃によって市民に多くの犠牲者が出続けていることに対する抗議表明のためで、大学そのものが直接関与する問題に対する抗議ではなく、いわばシンボリックな行動である。封鎖のために正面玄関前に置かれていた大型のプラカードには「いつまで続くのか大量虐殺(génocide)!?」と大書してあった。
 このような場合、教員と職員は大学発行のIDカードがあれば建物内に入れるが、万が一の危険を事前に回避するため、学生たちの入館は大学規則で禁止されており、封鎖中は予定されていたすべての授業は強制休講になる。私の授業の学生たちには、「休講だね。遠隔に切り替えるつもりだが、日時は後で連絡する」と言い残して自宅に戻る。
 すぐにアンケートアプリを使って学生たちにとって都合の良い時間帯を調査したが、どの時間帯にしても半数近くは他の履修科目と重なり出席できないという結果。上掲の時間帯に遠隔授業を行い、それに出席できない学生たちのために録画もすることにした。
 遠隔およびその録画の手順にはコロナ禍中にすっかり慣れているから準備に手間はかからない。今回の授業のために準備したパワーポイントを共有しながら、きっちり一時間半の授業を行う。
 テーマは先週からの続きで、「「見ゆ」から「思ふ」へ 〈眼〉から〈心〉へ ―万葉集から古今和歌集への世界認識の転回点―」。
 授業が佳境に入ったところで、小西甚一の『日本文学史』(1953年)の次の一文の意味するところを解説する。

赤人における景情融合は、叙景の底に心情が沈みきった表現であり、その融合は本来的のものであった。

 実例として次の一首を挙げる。私にとって四十数年来の愛唱歌の一つである。

若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る (巻第六・九一九)

 この一首については、このブログを始めてまだ二ヶ月ほどの2013年8月6日の記事で今読むとちょっと気恥ずかしくなるような熱量を込めてその鑑賞を綴っている。今回の授業でも、PCの画面に大きく表示されたこの歌を眼前にしながら、その「向こう側」の学生たちに向かって熱く語ってしまいました。その熱量が少しでも彼らに伝わることを願いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


講義の劇場性 ― 今月の新刊ジル・ドゥルーズ『スピノザ講義』に触れて

2024-10-08 21:08:42 | 読游摘録

 パリに住んでいた頃は、週に何度かふらりとカルティエ・ラタンの書店何軒かに立ち寄り、そこで思いもかけない本との出逢いも数え切れないほどあった。ストラスブールにももちろん素敵な本屋さんはある。でも、もう何年もほとんどそのような本屋さんに足を踏み入れたことがない。街のど真ん中のクレベール広場に面したFNAC へは月に何度かネットで注文した本を取りに足を運ぶ。でも、FNAC は本屋さんではない。家電・電子機器・CD・映像ソフト等も販売している大型店舗だ。
 先週土曜日、ネットで注文した本をFNAC に取りに行ったとき、少しだけ書籍の階を見て回った。哲学書のコーナーで、ジル・ドゥルーズの Sur Spinoza. Cours Novembre 1980 – Mars 1981, Les Editions de Minuit, collection « Paradoxe » が平積みにされていた。10月の新刊。手にとって見る。食指が動く。でも、28€はちょっと高いなあ(FNAC 会員は5%引きで26,6€だけれど)。スマートフォンで検索すると、電子書籍版は 19,99€。どっちにするか、家に帰って検討することにした。結果、昨日月曜に紙版購入。
 巻頭におかれた編者 David Lapoujade の解題に引用されていたドゥルーズの L’Abécédaire de Gilles Deleuze のなかの言葉、まさに我が意を得たり(身の程知らずの烏滸がましさこのうえもないこと、百も千も承知ですが)。
 講義の劇場性とその場での言葉の到来あるいは降臨、これはあらかじめ書いたものを読み上げただけではけっしてありえない。かといって、準備もせずに行き当たりばったりの即興性に任せるのではない。その真逆。書きものにせず、何度も頭のなかで( « dans sa tête »)「稽古」してから講義に臨む。

C’est comme au théâtre, c’est comme dans les chansonnettes, il y a des répétitions. Si on n’a pas beaucoup répété, on n’est pas inspiré du tout. Or, un cours, ça veut dire des moments d’inspiration, sinon ça ne veut rien dire. […] Et arriver à trouver intéressant ce qu’on dit. Or, ça ne va pas de soi, arriver à trouver intéressant, ou trouver passionnant ce qu’on dit. Et là, ce n’est pas de la vanité. Ce n’est pas soi, se trouver intéressant. Il faut trouver passionnante la matière que l’on traite, que l’on brasse. Or il faut parfois se donner de véritables coups de fouet, […] il faut se monter soi-même jusqu’au point où l’on est capable de parler de quelque chose avec enthousiasme. C’est ça, la répétition.

 少なくとも心意気だけは私もドゥルーズの顰に倣っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


旬の話題に背を向けて、後ろ姿が時雨れてゆくかって?

2024-10-07 18:32:06 | ブログ

 昨日、拙ブログへのアクセス数が6184および閲覧者数が5386とそれぞれ普段の5倍から7倍に増え、総合順位も32位と5月に3位に上昇したとき以来の高順位となっていて、なんでなんだろうとアクセスされたページを見てみたら、今年の6月26日の記事「紫式部の弟惟規の最期の姿が『光る君へ』に取り入れられるとすれば」に5080件とアクセスが集中していることがわかりました。
 どうして今なのかは今ひとつはっきりしませんが、最終回まで三ヶ月を切っていますから、この場面が取り入れられるとすればいつ頃になりそうかということがどこかで話題になって、それが拙ブログに「飛び火」しただけのことなのでしょう。
 それが証拠に、最近一週間の記事へのアクセスはまあまあいつも通りの数値で推移しており、つまり、あいも変わらずぱっとしないという身の丈通りの日々の現実が確認されるだけです。
 こっちから積極的に旬の話題に乗っかれば、それなりの数値が出るのかも知れませんが、ブログで商売をしているわけでもなく、耳目を集める話題を追っかけるのはそれだけで疲れますから、自分の狭隘な関心事・心配事と貧しい一般教養を後生大事にしつつ、日々の小さな「気づき」と「学び」を大切にし(と書いて、赤面する)、なんのドラマも奇跡もなく(あるわけないし)、これといった趣味もなく(ジョギングって趣味かな?)、明るく楽しい話題も「ほっこりする」(大嫌いなんですけど、この言葉)話題もイリュミネーションが眩しい大都会の夜空の星のように稀にしかなく、確実に死へと向かうゆるやかな命の坂道を毎日そぼ降る雨の下とぼとぼと歩いていくだけです。

うしろすがたのしぐれてゆくか(種田山頭火)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


大河ドラマ『光る君へ』にもし最優秀助演女優賞があるとすれば、私は清少納言役のファーストサマーウイカに躊躇なく一票投じます

2024-10-06 19:12:57 | 雑感

 今さっきNHK大河ドラマ『光る君へ』の最新回(第38回)をNHKオンデマンドで観ました。日本との時差が夏時間で7時間あるフランスで午後5時過ぎにはもう視聴できます。これってもうほとんど「リアルタイム」で観ているに等しいって勝手に思って喜んでいます。
 朝ドラも同じでした。先月終了したばかりの『虎に翼』もその前作の『ブギウギ』も、ほぼ「リアルタイム」で全回視聴しました。それどころか、特に気に入った回(いわゆる「神回」ってやつですね。この言葉、死ぬほど嫌いな言葉ですけれど、敢えて使います)は何回も観ました。これができるのがオンデマンドのいいところですね。9月30日に始まった『おむすび』も一応第一週は全回視聴したのですが、次週からは、あのぉー、ちょっと未定です……。
 『光る君へ』に関しては、まったく個人的な関心からの感想に過ぎませんが、紫式部と清少納言との絡み、和泉式部とのそれをとても面白く鑑賞しています。いわゆる学術的に認められた「歴史的史実」としては、まあありえない場面設定なのですが、まさにそうであるからこそ、もしほんとうに彼女たちが面と向かって話し合うことがあったとしたら、こんなだったかも知れないなあとか、いやいや、これはいくらなんでもやりすぎでしょうとか、ツッコミを入れながら観られるのが楽しい。
 今日の回では、清少納言も和泉式部も登場していて、それぞれに楽しめました。特に「ききょう」(清少納言)の「まひろ」(紫式部)に対する怒りの発言、よかったなあ。
 清少納言を演じているファーストサマーウイカさん、登場初回を観たときは、ちょっと周りから浮いている感じで、言葉遣い、これでいくの、大丈夫?って、かなり違和感と反発と不安を覚えたのですが、回を重ねるごとにほんとうにスゴみを増していって、『枕草子』ってこんなふうに書かれたのかって、もちろん学術的には問題があるにしても、そう思わせるだけの説得力があったし、彼女と高畑充希さん演じるところの中宮定子とのシーンも映像的にとても美しかった。
 まったく個人的な意見をぼそぼそ言うに過ぎませんが、もし今回の大河ドラマの「最優秀助演女優賞」があるとすれば、私は躊躇なくファーストサマーウイカさんに一票投じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「非自己」の多数化・細分化・差異化の「劇場」としての「自己」

2024-10-05 16:06:17 | 読游摘録

 昨日の記事で言及した『看護実践の語り』の急性 GVHD の記述箇所には注が付けられていて、その注には、ジャン‐リュック・ナンシー/西谷修(訳)『侵入者――いま、〈生命〉はどこに?』(以文社、2000年、28~29頁)からのかなり長い引用がある。その引用箇所で、心臓移植手術を受けたナンシーは移植後の拒絶反応とそれへの医学的対処ついての自身の見解を述べている。その「二重の外来性」についての記述自体はとても興味深い。しかし、『看護実践の語り』の本文に述べられている GVHD とは、移植されたものと移植を受けた生体との関係が真逆である。
 昨日の記事で見たように、GVHD の場合、移植された骨髄が移植を受けた生体を「よそ者」として攻撃するのに対して、ナンシーが語っている拒絶反応は、移植を受けた生体が移植された心臓という「よそ者」に対して仕掛ける攻撃である。後者の場合は、生体の免疫システムが「正常に」機能しているからこそ、「外敵」を「非自己」として排除しようとするのである。
 この場合、生体の免疫システムをそのまま「正常に」働かせておくわけにはいかない。過度に強い拒絶反応は患者である生体を直ちに生命の危険に曝すからである。そこで医学が介入し、患者が移植された心臓という「よそ者」に我慢できるように患者の免疫力を低下させる。
 この措置は「患者を自分自身のよそ者にする。つまり、患者の生理学的署名とも言えるようなその免疫的アイデンティに対するよそ者にするのだ」。かくして患者は、生命個体としての生理学的レベルでの自己同一性を部分的に放棄し、自分自身のよそ者にならなければ生き延びることができない。
 生命個体の免疫システムの自律性を一時的にであれ人工的に低下させることで「非自己」を受け入れることが一度できれば、「自己」と「非自己」との調和的な「共生」あるいは前者の後者への安定的な「依存」関係が形成され、それで問題解決というわけにはいかない。「自分にとってのよそ者となっても、それでわたしが侵入者に近しくなるわけではない」。「ひとつの侵入が生じるや、それはたちまち多数化し、内部で細分化し差異化されてゆくもののうちに自分を認めることになる」。
 このような「自己」は、己の内部が「非自己」の多数化・細分化・差異化の「劇場」であることを受け入れるかぎりにおいて生き延びることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「侵入者」の「圧勝」は宿主とともに「侵入者」自らをも消滅させるという結果に終わる

2024-10-04 18:07:43 | 読游摘録

 多田富雄の『生命の意味論』は講談社学術文庫の先月の新刊の一冊であるが、その原本は1997年に新潮社から刊行されており、今回の新刊でも科学的データは原本刊行当時のままなので、科学的には最新の研究に基づいて書き換えられなければならない箇所も少なからずあるのではないかと推測される。が、ド素人である私にはまったく見当もつかない。
 多田の専攻分野である免疫学についても書き換えを必要とする箇所はあるかもしれないが、多田自身が執筆している『世界大百科事典』(平凡社)の「免疫」の項目と照らし合わせてみると、本書に見られる免疫の定義は基本的には維持されていると見てよいようである。
 免疫というのは、ひとつの個体に「自己」でないもの、すなわち「非自己」が侵入した場合に、それを排除したり、あるいは共存したりしながら、「自己」の全体性を守る機構だと考えられている。病原微生物や寄生虫などの「非自己」は、この免疫によって体内から駆逐されるので、生命は個体としての全体性を守り生き延びることができる。臓器移植の拒絶反応もアレルギーも「非自己」を排除する免疫の現れである。
 この説明を前提とするとき、西村ユミの『看護実践の語り』に記述されている移植片対宿主病はどう理解すればよいのだろうか。
 骨髄移植後に発生することがある急性移植片対宿主病(Graft Versus Host Disease=GVHD)は、移植片が宿主(しゅくしゅ)である患者を「非自己」として認識し、患者の皮膚や消化管などを攻撃するために引き起こされる合併症の一種である。
 急性 GVHD の症状が収まっても、視力の低下、呼吸困難、皮膚のひどい乾燥、手の震えなどの症状が現れることがある。これは慢性 GVHD と呼ばれ、移植された骨髄が患者に生着した後に造られたT細胞によって、皮膚や消化管、眼、肺などがトラブルを起こしたものと説明される。
 つまり、GVHD は、生命個体である「自己」がそこに「侵入」してきた移植片を「非自己」として排除しようとする免疫の働きとはまったく逆に、「侵入者」が宿主である生命個体を「非自己」として攻撃することで発生する。これは「侵入者」にとって自分がこれから生きるべき場所を確保するための「命を賭けた戦い」だとも言える。
 しかし、「侵入者」の宿主に対する攻撃が激しすぎると多臓器不全を引き起こすこともあり、この場合は致命的である。「侵入者」の「圧勝」は宿主とともに「侵入者」自らをも消滅させるという結果に終わるということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


苦しみうる(passible)存在であることは人間にとって不幸なことなのか

2024-10-03 23:59:59 | 雑感

 今学期修士の演習で『ケアとは何か』を読みはじめるずっと前から、いや、そもそもケアについて考えはじめるずっと前から、苦しみ(souffrance)と痛み(douleur)との区別と関係については何度も考えてきた。にもかかわらず、いまだ問題の核心に迫ることができずにその周囲をうろついているだけという歯がゆさを感じ続けている。
 その歯がゆさは、自分の知識や経験の不足が原因であるというよりも、苦しみも痛みも我が身のこととしてよく知っているはずなのに、それについて考えようとすると何か大切なものが思考の網の目をすり抜けてしまうという捉えどころのなさに起因している。
 それはお前の頭が悪いからに過ぎないと言われれば、それはそうかも知れないが、それでも考えずに済ませることができないのだから、とにかく向き合い続けなくてはならないとだけは今も思っている。
 以下、錯綜するきれぎれの断想である。
 痛み止めの薬や注射はあるが、苦しみ止めの薬や注射という言い方は普通しない。しかし、これは両者の決定的な違いにはならない。苦しんでいる精神状態を薬物投与によって一時的に緩和あるいは消失させることはできるからだ。どちらの場合も、本来体内には存在しない物質を外部から投入する対症療法であって原因治療ではない点も共通している。
 自分の最期をどう迎えたいかという問いに対して、「あまり苦しまずに逝きたい」といった表現がよく使われる。これは実のところどういうことを意味しているのだろう。痛みに七転八倒あるいは夜も眠れなかったり、鎮痛剤のせいで痛みは緩和できても意識が朦朧となったり、延命措置のために何本ものチューブで医療機器に繋がれて身動きもままならなくなったり、死を前にしての恐怖に慄いたり、そういうことなしに穏やかに死を迎えたいということだろうか。
 では、生まれてからずっと病気らしい病気もせずにある夜を迎え、就寝中に突然心臓発作が起こり、苦しむこともなくそのまま逝ってしまうのが理想的な死なのだろうか。
 確かに、避けることができるなら、痛みも苦しみもないほうがいいのかも知れない。それだけ人生をより楽しむことができるのだから。
 実際にはなんの痛みも苦しみも経験することのない人生というものはありえないとしても、だからといって、あったほうがよいという結論は直ちには導けない。
 痛みも苦しみも自分で経験しなければ、人の痛みも苦しみもわからないとしても、それらの経験があるからといって人のそれらがわかるとは限らない。前者は後者の必要条件ではありえても、十分条件ではありえない。
 苦しみのない痛みはある。例えば、人を助けるために足を骨折したというような、いわば名誉の負傷で、かつ後遺症もなく完治が保証されていれば、完治までに患部に痛みを感ずることはあっても、そのことに苦しむことはないだろう。
 痛みのない苦しみはあるだろうか。怪我・病気等に起因する身体的苦痛は自分にまったくなくとも、言葉で人を傷つけてしまったことに苦しむことはある。しかし、そのような苦しみは「心の痛み」とも表現されることがあるから、やはり体のどこかに痛みを感じてもいるのではないか。
 痛みを感じうるということは生命維持のためにも必要だ。直ぐに手当しなければ死に至る怪我をしても放置すれば死に至る病になってもまったく痛みを感じなければ、手遅れになってしまう。
 苦しむことそれ自体は悪いことなのだろうか。避けるべき「悪」なのだろうか。すすんで苦しもうとすることにはなにか倒錯的なものがあるとしても、苦しみうる(passible)存在であることは人間にとって不幸なことなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


苦しみを前にして「何もできない」という状況のなかでのケアとは

2024-10-02 12:36:42 | 読游摘録

 いっさいの医療・看護行為の手前のところで、人が人にできることはそもそも何なのかという、誰にとっても無縁ではありえない根本的な問いに、医療・看護としてできることはすべてやり尽くした後、苦しみを前にして「何もできない」という状況のなかで患者と向き合うことになった看護師Cさんは直面することになった。この経験について西村ユミ氏は次のような考察を記している。それはケアの実践とは何かという問いへの「何もできない」という極限状況のなかで見出された一つの答えにもなっている。

 苦しみや、その苦しみのために助かる希望を見失いかける赤土さんのことが「すごく気になる」が、その苦しみを取り除く手立てがない。しかし、苦しみを前にして「何もできない」という状況が、Cさんを赤土さんの傍らに「ずっと一時間近く」留まらせもする。「何もできない」けれども、その場を立ち去れずに赤土さんの傍らに居続ける、そのことが、Cさんの手を彼女の背に伸ばさせ、苦しみの声に耳を傾けさせる。逆に言うと、それらの行為が、「何もできない」と言うCさんが赤土さんの傍らに居続けることを可能にしていたのかもしれない。それは数百日にも及んだ。(『看護実践の語り』100頁)