昨夜に引き続き、プロパガンダなのだ。
1985年8月25日にファースト・アルバム「シークレット・ウィッシュ」という名盤が発売になった。

その中でも、(「デュエル」も大好きだが)、暗いユーロピアンなサウンドの好きな自分は、この曲が、もう1つの佳曲として是非取り上げたい。
ヒットしたシングル「ドクター・マブーゼ」「デュエル」「P-マシーナリー」に隠れてはいるが、プロパガンダらしいメロディとサウンドで、素浪人の自分は、暗い1人の部屋で、この曲もよく聴いた曲だった。
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ZTTレーベルは、トレヴァー・ホーンが戦略的に作り出したレーベルで、アート・オブ・ノイズ、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、プロパガンダ、ともにその戦略の一部として、それぞれの機能を果たしていたが、トレヴァー・ホーンと共にサウンドを創ってきたスタッフとのいさかいが起きて分裂。

それが発端となって、トレヴァー・ホーンが外に追いやられるカタチとなり、ZTTレーベルは、その後、一気に衰退の一途を辿っていく。
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元々、ZTTレーベルの堂々たるデビュー12インチシングル「INTO BATTLE WITH THE ART OF NOISE」('83年12月)は、様々な波紋を呼んだものの、

私から見ると、出元もアイランド・レコードだったし、所詮は、坂本龍一大先生の奇跡の名盤「B-2UNIT」('80)が下敷きになっている。

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それを、しゃあしゃあと、トレヴァー・ホーンは、自分のサウンドとして「アート・オブ・ノイズ」なんて言って、やり出したもので、「YMO命」と刻まれたかたちんばは、ふざけんな!とは思ったものだが、確かに一定のクオリティある音楽を生み出し、戦略性に富んでいた面は認めざるを得ない。
アート・オブ・ノイズが生み出した「オーケストラ・ヒット」('81年11月YMOが「テクノデリック」で初めて披露した、松武秀樹さんが世界で始めて生み出した「サンプリング・マシーン」の発展形のマシンが生み出した「ジャン!」という音。そういえば、今のパソコンが間違った操作をした際に出る音に近い。)
それに、「独特の機械のドラム音」は、その後、音楽業界全般にコピーされ、行き渡った功績は大きいが・・・・・。
このZTTレーベル以降、音がどんどんとマシンの応酬と分厚い・でかい音に過激化していくことになる。