昨日は、ともかく、「鬼畜親父」を兄貴がねじ伏せたが、その代わりというと何ですが、今日、兄から電話があり「5連休、家でまみちゃんを預かってもらえないか?」とのこと。
仕事は、行き詰っているが、「これは、仕事を休みにするのはやめろ」という神さまの声かもしれない。
まずは、僕の家で、どんな風に、まみちゃんが反応するのか、まみちゃんにとっては「初めてのお泊り」を経験させるつもりで、預かることにした。
トイレとか、それ用の砂や、やわらかいお魚のキャットフードなどを買わないと。
昔はよく一緒に寝たが、そういうのも久しぶりだし。
どんなに元気か、嫌味を込めて「クソ親父」に電話してやろう。
***
土曜日は、昭和5年生まれのチャキチャキの江戸っ子のお袋さんが、そもそも「シカゴ」のコンサートに行くのもあり、親父とコチャコだけを置いておくのも危険だしね。
自分の親父への嫌悪は、幼少から始まるが、歳を取って、ずいぶんと物分り良くなり、自分の方も成長して、もはや「他人」という意識になることが出来たから、普通に、「対 父親」では無く、「対 他人」として、捉える事が出来るようになっていたのだが・・・、今回の件で、急にふつふつと昔、よく親父を殺すことばかり考えていた日々を思い出してしまった。
最近、よく「親殺し」が起きるが、自分は、その点ではよく理解出来る。
(但し、その怒りやストレスのはけ口を他人に向けたりするのはNOである。)
僕が、彼らと違う点があるとしたら、「殺した」か「殺さなかった」かの違いであって、そのカベは極めて薄いと思っている。
自分は偶然、その多感な時期に、勇気が無かったのか?抑制が効いたのか?大した理由は無いが、「結果」「殺さなかった」だけのことである。
***
一方、母親は、下町の東京っ子のイキなかあさんで、昔は洋裁を自分の家で、多くの花嫁前の若い子を相手に教えていたし、とにかく音楽が好きな人で、よく服を作るのに夜なべをして、ミシンを踏みながら、FMを聴いていた姿が浮かぶ。
幼い頃、僕の家には、冷蔵庫の上に、アブラまみれのラジオがあって、1日じゅうFMが流れていた。
僕が、70年代の音楽を多く知っているのは、当時、知らない間に、幼い頃から「刷り込み」のように、いろんな音楽を・アーチスト名はわからないながら、聴きこんでいたのがある。
また、幼稚園の頃、土曜日には、親子の「お絵かき教室」があって、そこに通わせてくれて、絵を描く楽しさを教えてくれたのも、お袋さんだった。
***
暗くて・陰湿で・神経質というより精神病じみた面を持った親父と、まるで逆の性格を持ったのがお袋さんとも言える。
お袋さんは、どこに行っても楽天的で、すぐどこでも友達が出来てしまう、という凄い人なのだ。
数年前、胃がんで2/3を切除したけれども、すぐ、まみちゃんのように奇跡的な復活を遂げ、「あたしには、後が無いのよ!」と言いながら、朝からディープ・パープルやレット・ツェッペリンなどのハードロックからマリリン・マンソンやらレディオヘッドまであらゆる「ロック」を聴きながら、毎月、来日するロック・コンサートに行く79歳のおばあさんと呼べない、劇的母さんなのだ。
まあ、そういう風に、水とアブラが結婚した訳だから、幼少の頃から、ずっと、毎日「たけしくん、ハイ」のように、ケンカの嵐の中を、僕と兄貴は生きてきた。
***
そもそも、自分が家を買って、実家を突然出たのは、兄貴の「もう、お前は家を出ろ。」というコトバ一言が起爆剤だった。
いつまでも、2人の間に引き裂かれながら、全体の調整をするのは止めて、自分の人生を生きろということだったのだろう。
コドモ2人が消えた家では、2匹の猫たちが間を取り持ちながら、次第に老年化と共に、ケンカも少なくなってきたかと思っていたのだが・・・・。
***
まあ、何はともあれ、自分が5日程度、まみちゃんと過ごすことで、少しでもお袋さんの気苦労が減るなら、そうしたい。
ネコは家に着くというコトバは正解で、自分の居慣れた場所に居るのが一番幸せなのだが・・・・。
「WELCOME まみちゃん」の横断幕でも貼って向かえるか。
本人は、しばらくはとまどうかもしれないけど。