こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2016年3月11日 金曜日・深夜 音楽備忘録

2016-03-12 02:23:14 | 音楽帳

昨年・渋谷陽一さんのラジオを毎週聴くことを再開し出した。
おかげで、現在進行形の音楽をたくさん知ることになり、KeepOnNowな状態がじぶんの中に広がっている。

これは仕事をするかたわら、インターFMが流れる日々が始まった2年前からの延長線上で、体内で走り出した車輪。わたしにとっての新しい車輪。
これは「サウンドストリート」ではない、2016年製の車輪とボディ。

***

今週月曜、入院するお袋のピンチヒッターでTOTOのライヴを兄と観た。
その帰り道、武道館から離れた場所で酒を呑んだ。
70年代、初期のロッキンオンに出会い・サウンドストリートをわたしより先に聴いていた6つ上の兄。その兄と音楽を巡る話しをしていた。冬はあまり呑まないビールからハイボールへ。。。話題は渋谷さんのことに及んだ。

じぶんは老いたつもりは毛頭ない抗う妄想家。むこうは徹底的なリアリスト。
それでも、Timeは生き抜いた分だけお互いの歳の比率を接近させていく。
昔かたや小学1年生/かたや生意気盛りの中学1年生といった兄弟。
そんな会話が成立しない状態は、ツノを突き合わせる関係から、歳を経るごとにどんどんと会話の広がりを深めていく。

渋谷さんにまつわる話をしながら、お互い頷いたのが、いまだに「今」にコミットしようと貫く姿勢と執念への”あっぱれ”。そんな渋谷さんの姿勢は、自ら進んで背負った役割であり、本人はその道をまったく疑いようもなく冷静でいる(かのようだ)けど、長く生きていくということはそんな側面がある。

みうらじゅんさんは、最近ぽろっと”実はじぶんはそれに興味はさほど無いけれど、そう言わないと気が済まない”ニュアンスのことを吐露していた。

こんな話しを兄へ投げかけながら、会話のキャッチボールを続ける中で言ったコトバ。
それは、たぶん自分に向かってのこと。
(渋谷さん・みうらさんのことではなく)才能があろうが無かろうが、ともかくコレと思うなら続けること。それは「意地」という意味じゃなく。
人から説教受け・笑われ・馬鹿にされながらでも、それでもひたすら続ける。
それは1つの大事な方法であり、日々が変わりゆく中でさえ、何かが決壊し・活路が生まれる可能性があること。

■ケンドリック・ラマー 「オールライト」2015■
渋谷さんが盛んに語っていたこの曲は、肉薄した現場・背景はわからない。。。
と最初思っていたが、不思議と何度も聴いているうちに沁み込んできたのが昨年末。

ロックンロールやラップとくくる世界には興味はないし、そんな分け方をして聴いてもいない今。しかし、音は音として屁理屈は言わない。
まったく予想だにしない展開に自分自身が奇妙な空気に包まれ、驚いている。
コメント
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