帰ってラジオを点けると、鈴木慶一さん「サウンドアベニュー905」最終回。
ああ、しくじった。もう始まっていた。そうして、急いでバッグをまさぐり、ラジカセにUSBメモリーを差し込む。
番組途中から録音ボタンを押す。
ホントは、昨年師走からAMがFM放送開局して、もっと良い音で録音できるはずなのに・・・
間近に見える空塔から発射される電波を拾いやすいはずが、TBSラジオのFM波をうまくキャッチできない。
そんなわけで、40余年付き合いの長い友だち・TBSラジオは、今でもAMで聴いている。
中高生時代みたいに万全な状態じゃないから、こうやって途中から・・・とか、チューニングが合わないまんまでも、ともかく聴ければ良いじゃないか、と思っている。
それでも、聴いているうちそれだけでは物足りなくなり、ついスイッチ押す。
そんなことが多い。記録癖、溜め込み癖は治らず。
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なあんだ、と思う。中高生時代と何一つ変わらない。
でも、昔より多少のお金がある自由はぜんぜん違う。
USB録音は、編集や消去も容易なうえ、カセットテープ時代より大してお金がかからない。
後から聴くのかい?
と思うが、昔カセットテープで聴いていた頃より、今のほうが繰り返して聴いているものが多い。
それは野外に持ち出せるポータブルmp3プレイヤーのおかげ。SONYウォークマンを買うお金は無かった少年も、今ではそんなぜいたくを楽しめる。
外で録音したラジオ番組を何度も聞けるしあわせ。
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実は、今月入って早々、友だちみたいだった同僚後輩が突然死してしまった。
それとき浴びたパンチは、じわじわボディーブローのようにこたえていた。また春に大事なものを失う。
精神が狂気に向かうときがある。
ときおり迫る発作的なものが訪れる。ヘルニアの痛みやしびれ、今日は時折耳鳴りに視野の異常。
黙っていてもつらいだけ、で鎮痛剤に手を伸ばした。
そんな日の夜に、慶一さんの愉しいラジオはありがたかった。こころが救われる想い。
昔から生粋の東京シャイネスボーイ・慶一さん。そのラジオは理屈抜きで音楽の楽しさを伝えてくれた。
「サウンドアベニュー905」始まった頃、”現代版サウンドストリートだね”と距離を感じていたが、気付かぬあいだに「今日は何曜日だっけ?」としょっちゅう聴くことになっていた。
昔聞かなかった元春さんの日には、当時と違って誠実な語り口に胸打たれ、
ピッチカートファイヴが受け入れられず避けていた小西さんの日にも、まるで少年みたいに好きな曲を嬉々として掛ける小西さんの様にこころが動いた。
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今日の慶一さん放送は、元有頂天・ケラさんとの新人バンド”ノー・ライセンス”の曲紹介。行進曲みたいで、いいかげんで、それがとても明るく活力を感じ面白い。
おととし夢の島で、横なぶりの雨風の中演奏した2人のデビュー。
聴くわたしも彼らもびしょぬれだった夏の夜を思い出す。
中高生の頃、教授、コニー・プランク、ホルガー・シューカイが関わったPhewや突然段ボール、フリクション含むPASSレコード・・・またはゼルダ・・・等々、真のアンダーグラウンド音楽が魅力的だった80年代初頭を味わっていたが、有頂天は断裂されたその後。
80年代後半「イカ天」バンドブーム同様、当時は否定的にしかとらえられなかった。
むしろケラさんは、脚本家・ケラリーノ・サンドロヴィッチ=ケラと知らずに、友人と芝居を視ていたほうの印象が強い。そんなケラさんと慶一さんが、数十年を経て繋がる事態が起きるとは思ってもみなかった。
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夢の島ライヴでお腹が出て太ったケラさんの姿には隔世の感。
けっこうショックではあった。と同時に、じぶんが勝手に恋焦がれていた緒川たまきさんを奪っていった恋がたき、であることもよぎった。
別に個人的付き合いがあったわけもなく、一方的妄想だが、高野寛くんとの放送「ソリトンSide-B」に映る天使のような姿が忘れられない。
いろいろが頭のなかに駆け巡りながら、結果的に愉しい夜となる。
2年前に聴いたときは何とも思わなかったノー・ライセンスも、なかなか良くてCDを欲しいと思った。
■大村憲司 「THE PRINCE OF SHABA」1981■
毎年、春がやってきたら必ず聞きたくなる1枚。永遠に離れられない。
書いて作業しているうちに、魂の在り処を見つけたようで、少し楽になる。
春は来ており、桜や白モクレンを見上げる夜になった。