こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年1月14日 水曜日 ~ 冬の蒼さ ~

2015-01-14 23:28:23 | 音楽帳

こういう偶然もあるんだな、と知る。
ボニー・ピンクの昨夜の曲は、ミッチェル・フレームのプロデュース。彼はスザンヌ・ヴェガのプロデューサーでもあり、いっとき夫でもあった人。
ボニーさんの歌はよく中古CDショップの店頭で試聴するたびに、声の良さ・音と声の間合いにイイなぁとは思ったものの、そこまでフィールドを広げられる容量が私には無くて、CDを買わずに来た。

音楽との出会いの偶然は気まぐれで、たまたまとあるお店に寄った、そこで流れていた、あるいは、エサ箱にあった。。。そこに因果は無いはずなのだが、何かのさじ加減で、その音楽に辿り着いたりする。
(逆に、目の前にあるのに気付かずに通り過ぎてしまう。そのときは、お互い一期一会のタイミングではなかったのだ。)

マスメディアべったりの生活を送っている人には、必要以上のギチギチの情報が詰まっていて、パターン化された特定ルートを辿って何かに辿り着くことが多そうだが、怖いのはそこにキチンとしたマーケティングの法則があって、それに従った行動であった、というケース。
ボクらだけでも、こんな“その人がまるごとグーグル化していく”事態にコミットせず、そこから離れた地点にいるようにしたいものである。

ボニー・ピンクの昨夜引用した曲にプロモーション・ビデオは不必要だと思った。見なければ良かったとも思った。
音そのものの良さを殺してしまっているから。
しかし、そう言えるのも「今」だからであって、当時のボニーさんには必要な状況があったのかもしれない。プロモーション・ビデオが無ければ、音楽が成立しないような状況は不幸だと思う。

映像は視ず・音だけを聴く。それも必要。
ガービッジも17年を経て、今週初めて映像を見たくらいのもの。
昨夜戻った部屋で、何もほかに音がしない中鳴らした3曲入りマキシシングルには、とても素敵な時間をもらうことが出来た。

また、あるときは。。。
月曜歩く中、一切の余計なものを断ちたくて、珍しく音楽もラジオも聴かないで歩いたが、風や外気の音がとても新鮮だった。年が明けてから、素敵なことが多い。

最近ずっとどうするか悩んでいることがあった。昨年からずっと。

それは、「シンディー・ローパーのライヴに行くか、どうするか。。。」ということ。
実に幸福な悩みである。

昨年来日が決定してから、ずーっと迷っているうちに、こんな間際になってしまった。
TBSラジオやインターFMをいつも聴いていると、さかんにラジオCMをやっている。
そこでアナウンサーなりたてとおぼしき坊やが「“しーず、そー、あんゆーじゅある“・・・名曲のかずかず・・・どうたらこうたら・・・チケット発売中」と言うCM。
たぶん彼は、シンディー・ローパーがメインストリームに出てきた1984年に生まれてはいないし、アナウンスしている対象に対して、ろくに音楽すら聴いてもいないのだろう。
彼のスカスカした底の浅い発語感にそれが明確に現れていた。

ただ、1月に既にはじまっている日本公演のさなかでも、こんなにもCMを打つ、というのは、それだけチケットが売れていないんだろうな、ということは分かった。
彼女は、このもう変わり果てたクニ(ニホン)を今でも愛してくれている。
その一方で、たかだか数十人がタコ部屋で作ったヤフーニュース等々数行でモノを語ろうとする媒体を“すまほ”で見ては、くだらない話題や芸人を巡って、ああだのこうだのとメディアと合体して幼稚な騒ぎを日々繰り返す。そんなしょうもない生活を送る者が居る。そんな情けない事実がある。
「シンディーさん、あなたが思うようなクニでは無いんですよ。」

YMOが散会して暮れた1983年。明けて1984年は、細野さんの正月特番を聴くに始まったけれど、その後、私の精神状態がよりひどくがたがたになっていき、その視野からもあるが、1984年進行形音楽シーンはある局面で行き詰まりを見せ出す。80年代がとてつもない爆発をしたのも3・4年で失速し出す。
そんなさなかにシンディー・ローパーは目の前に現れた。

「ハイスクールはダンステリア」のプロモーション・ビデオで、派手で鮮やかな衣装に身をまといながらも、“はいっ、どんどこせっ、たら、どんどこせっ”といった具合に、がにまたで歩を進めるさまに微笑みながら、見て・聴いて・楽しんでいた。
ユーモアのセンスがあるユニークなヒト。私のイメージの中では(後に同居した相棒ネコにまで名前を付けるくらい大ファンになる)山瀬まみちゃんとダブる部分がある。

ファーストアルバム「シーズ・ソー・アンユージュアル」から何枚ものシングルヒットを飛ばし、映画音楽を経て、その後オリジナルアルバム二枚目で大きな変化を起こす。
セカンドアルバムとシングル「トゥルー・カラーズ」(1986年作)の登場である。このタイトル曲のシリアスさ、にぎやかにしている彼女の仮面の下の心情が見えるようで染み入った記憶。
(余談:この1986年暮れ近く、暗い綾瀬川への夜道に、カセットテープを捨てに行った。
その中の一本が、この「トゥルー・カラーズ」だった。好きなものを捨てるということは、つまりは、それなりの覚悟をしていた。)


いつも、この曲を聴くと、マドンナが“アイドルちっくな風して実はスケベ”や“処女のフリをして実は淫乱女”を演じるに始まったところから、それら汚泥にまみれたSEXにまつわる場所を離れ、見失いそうな自分に立ち戻るために、あるいは心身を清めるために、制作されたアルバム「トゥルー・ブルー」(1986年作)を思い出す。
ジャケットそのままの音楽。まさに透き通るかのようなブルーが見える宝石みたいな曲たち。

2人が「トゥルー」に向かった経路をいつも思い出し、そこに(作為的ではない)浄化されようとするそれぞれの魂のありかについて想いをめぐらせる。

2015年が明けた1月。インターFMから、何度もシンディーさん“おなじみの曲”が掛かった。
そのたびに、どうにも離れがたい彼女の音楽への愛着を自らに見いだしてしまい、なおいっそう悩んでしまっていた。実は仕事上、彼女の音楽に会いに行くには難しい日程なのだった。それでも、大好きな「シー・バップ」や映画グーニーズのテーマ曲など、聴いているうちたまらなくなる。

9・11直後のニューヨークの路上、即興的に教授のピアノに合わせて歌ったビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」の映像。あの姿までもが脳裏に浮かんでやまない。
もともと彼女は、深い情を持った人なのだ。

たくさんのヒットがあるけれど、セカンドアルバム「トゥルー・カラーズ」に入ったこのカバー曲にも彼女らしい愛らしさが満ちていて、どうにもこうにも好きで仕方がない。

■シンディ・ローパー 「What‘s Going On」1986■
愛聴盤シングルレコード。
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2015年1月13日 火曜日 ~2015年冬の旅~駒込 

2015-01-13 22:46:20 | 写真日和

つね街に佇んでいる自分にわかるのは、体感として昨日がこの冬一番の冷え込みだったこと。
帽子を飛ばされそうになりながら、北風の中歩く。ぎゅっと帽子をかむり。

道行く喪服の人たちが、服をはためかせながら、カラダを抱えるように丸くなり、コーヒーショップに向かって足早に小走りしていた。
自転車は倒れている。

その寒さゆえか?歩いても歩いても、あまり人に会わない。
不思議な街。風景。

歩いているうちに、実は今日は祝日ではないのではないか?と不安になるくらい。

街を歩くと、その移り変わる光景の中で一瞬輝く。
その刹那をおさめようとシャッターを切る。素手で構えるカメラと乾燥した手がつめたい。

ある人・ある光景と出会うとき、それを永遠に閉じ込めたい一心がシャッターを押すと共に、遠ざかる。
不思議な不思議な距離がそこにあることを、時折感じる。

風景に、人に、ネコに、花に。
どれだけかキミと一緒にいたいと願っても、その間に確実に此岸と彼岸に分かれ合った一定の距離がある。だけども、このミクロコスモスの中でだけは一緒だよ、そうも言ってくれる。

永遠に街をさまようのをやめられないのは、そんな求める希求に呼応する幻想が立ち現われるからだ。

東京の中で豊島区は過疎化・高齢化の進みが激しい地区というが、過去巣鴨高校という男だけの囚人室に入れられていたことから、想い入れが強い。
そして、今でも街に佇む空気がたまらなく好きで、とてもいとおしく愛している。

実は都内で住む候補の一つに豊島区もあった。
結果的には、荒川区から追い出され、この東向島という楽園にたどり着いたけれども。
ほかにもたくさんの優しい街がまだいっぱいあるんだ。
街のゆくえを憂えながらも、為政者が潰しても潰しても、それでも、ボクは何かを探してさまよいながら、光を求めて歩き続けるんだろう。

昨年秋以降からだろうか?
かつて1996年東京に帰還してから、フィルムカメラを持って・くつ底をすりへらして歩いたこのへんを、再び歩き出している。
永井荷風先生が毎週嬉々とした満面の笑みで、まるで子供たちの遠足の心境で、いくつもの”お気に入り散歩コース”へと、独り旅に出ていたように。。。

今日は、そんな小旅の一部。冬の駒込より。
純化された冬の光が生みだすコントラストが輝くとき、体内にアドレナリンが流れる。
その光景のエロティシズムと官能。それに出会う瞬間が幸福でならない。



■ボニー・ピンク 「You Are Blue , So Am I」 2000■
ガービッジと同時にJANISで発見して買った、これも3曲入りのCD。
ボニー・ピンクの2000年の作品。

CDをかき集めて棚に納めていくうち、思った。
”そうだ、女性ヴォーカルでくくれば、良い一角のコーナーが出来るな。。。”。
そこにおさまるのは、スザンヌ・ヴェガ、ジュリア・フォーダム、グロリア・エステファン・・・etc。
































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2015年1月12日 月曜日  休日と意味

2015-01-12 10:07:26 | 音楽帳

クニが制定する”祝日”も、役に立つときもあれば”余計なことをしやがって”ということも多い。
2015年は、仕事初めが月曜日で、最初から一週間フルスロットルで息切れしている人も多いだろうから、今日の祝日はありがたい、という方も多いだろう。

しかし先週”今ごろは、お酒を呑んでは寝てをしていたから感覚が掴めないよ”と言っていた人がいたように、再びの三連休で戻ろうとしていた日々のリズムも逆走してしまうので、今朝は無理してでも朝早く起きる。

さすれば、やはりどんよりとしただるさ・鬱に包まれる。そこで再度、越えねばならないものに気付く。そうはいっても、休みなどとは無縁な飲食業の方など働く人に比べればゆるくて仕方がないだろう。友人たちも、今日は働いている人が多い。
しかし休めるのだから、せいぜいは邪魔な者を可能な限り回避した経路で街歩きを愉しむ。

自分は二十歳を、誰一人歓待する者などいない中、素浪人として街を放浪しているさなか迎えた。
ついよぎるのは学生運動の頃、東大やあさま山荘にたてこもる場所に親が来て「○○ちゃん」と呼びかけるシーン。

二十歳まで育てた親にしてみれば、喜ばしい日だろうが、それは誕生日に祝えばよいこと。また未だに不思議で理解出来ないのは、どうして抵抗感あるはずの年頃の者たちが、全員同じような服装で同じ場所に集まるのか?
その光景は、未だ不気味に見えて仕方がない。ニホン的光景なのだろう。

抵抗を、その場に行って騒ぐなども居るが、それは苦笑に過ぎないが。
未だ共同体が生きている地域の通過儀礼としての祝祭ならまだしも、性貫通をした者が着物で中身を隠し集う光景は、いったい何なのだろうか?

起きぬけラジオをつけると、やはりこの手の話題。すぐ切って音楽を聴く。

昨日もふらふら街をさまよう中で、JANISに寄った。
そこで懐かしい一枚に出会う。
1998年毎日インターFMを聴いて仕事をしていた頃、毎日掛かった曲、ガービッジ。

初めて聴いた「Push It」は衝撃だったが、その後シングルになった曲も素晴らしい。
昨日出会ったCDは3ヴァージョン入りのプロモーションCDで、それゆえにジャケットもない。



■Garbage 「I Think I'm Paranoid」1998■
こうやってついつい買ってしまうCDで、せっかくゴミを捨てて片付けようとする一方でお荷物が増えていく。
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2015年1月11日 日曜日 今日も晴天なり

2015-01-11 12:25:37 | 雑記帳

気持ちの機微は、振り子みたいで、ちょっとしたことで躁にも鬱にも動くけど。
それは、つね一秒ごとに生きていることのあかし。

じっとして心地良いときもあるけど、とどまることがよくないときには、外に出てみる。
運良く今日は晴天だし。これは達人たるネコたちの極意。

インターネットだとか、すまほだとか、小さい画面に必死に向かっていて、それが役立つときも多いけど、それが中心になったり、そこに引きずられ・あやつられ。。。
そんなことは、必要なときだけでもうおことわりです。

人肌の真綿のようにやさしい街を歩いていると、こちらもリラックスして、そういう気持ちになれる。
今朝は、半日近い小旅でくたびれ果てて、全身鬱のようになって起きたけども。
慣れたもので、歩き過ぎても、足が痛くなるようなことはないのだけど、最近は腰が痛くなるときがある。

そうやって腰をもんでいると、江戸時代・宿場町で翌日の長旅を前に、心身をいやしていたであろう旅人の姿が、なにかいとおしい姿として脳裏に浮かんで、ふいにほほえむ。

起きてトランジスタラジオをつけると、安住さんの声。
そこに相づちを打ち、ほんわか笑う中澤さんの声。
拓郎さんの「元気です」が流れた。70年代の幸福なあの子供の頃のシーンがよぎる。

”過去は加工されて美しく輝くように着色されるもんさ”
そう人は勝手にそう言うけれども、ボクはそうは思わない。

それはともかく、今という現在進行形のこのクニであったって、全部がダメとは言わない。
それは現実に歩けばわかる。出会う人、出会う風景、露地、ただよう空気やにおい。

今日も、そんな幸福な何かを求めに、歩きに行く。
かつていっとき地下生活者でもあった自分だが、今はどうやら旅の路にいながら、そこで過ごすほうが合っているようである。

■サディスティック・ミカ・バンド 「42℃のピクニック」1989■
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2015年1月9日 金曜日 しずかな夜の波間

2015-01-09 23:48:54 | 音楽帳

昨日いったん着たコートは、今日は着ずに越える。
雑踏からは程遠く、島の帰路は、人も居ず風も吹かずにおだやかで静かな夜。
夜闇にただよいながら、イヤホンから繰り返し流れる、教授と青葉市子さんの「Curl To Me」に任せて座礁すると、闇の深いところへと入っていく。

それはキュアーを聴きながら、夜の杜へ入っていく習慣を綴った「ロッキン・オン」のライターさんが、毎夜おぼれたのであろう浄化に近い。

帰っても「Curl To Me」をひたすら聴く。
お湯を沸かしてポットに入れる。お茶を飲み、あぐらで座し、ハロゲンヒーターにあたる。

ゴミ整理を、と開けた西尾久時代のローム層段ボールに手を突っ込み、紙ゴミをひっぱりだす。
「まずいな」と思う。
何がまずいのか。
紙ゴミたちに自分の抜け殻を発見し、そこでじいっと見つけてしまう何か。

それは、領収書のかたまり、もう不要になったのであろうが、それでも捨てるに困る様々な証書だったり。
それに混じって、2005と表紙に書いてあるHPの(今はおんぼろになったが使っている)プリンターの説明書本とCD-ROM。

表紙の小さい女の子の写真。夏の海。そのさまが何だかとてもかわいくて、CD-ROMもその本も、今では不要だろうがそれでも捨てるに困る。
こんな何かの偶然に出会うとき、大竹伸朗さんは切り取って貼ったり塗ったりするんだろう。時の隙間に裂け目が現れる。

それらに混じって、当時プリンターを買ったうれしさから、写真用の印画紙に向けて、スクラップブックをスキャンしてポストカードにしたものが出てくる。
何でもそうだが、描いたり貼ったり塗ったりした挙句、放り出した「何か」は、時間をおいて眺めると、当時は気付かなかった発見を呼び起こす。

あんがい、おもしろいものを創っていたんだな、と。

夜に漂うには。。。とジュリー・クルーズの「フローティング・イントゥ・ザ・ナイト」のCDをまさぐるが、どこにあるのか分からずやめる。
ゴミ倉庫をまさぐるうちに、かわりに出てきたのがスザンヌ・ヴェガのCDのかたまり。
買い物に行って、そこで目的じゃないものをいつの間にか買ってしまうように、好きで一生懸命集めて聴いた彼女のCDを持って、部屋に戻ってしまう。



■スザンヌ・ヴェガ 「ルカ」1987■
彼女の”つぶやくような”ヴォーカル。
それを「発語すること、そのものの重みを知っている」と表現した方が居て、その表現に感服した。彼女の発語するさまに、詩人・田村隆一さんの「帰途」をつい重ねてしまう。

”言葉なんかおぼえるんじゃなかった
言葉のない世界・意味が意味にならない世界に生きていたら
どんなによかったか

・・・日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙の中に立ちどまる”(「帰途」より抜粋)


2枚目アルバム「Solitude Standing」は、異国・大阪で初めて買ったCDプレイヤーで、初めて買ったCD。
あの狭くとも、唯一の雨宿り場所だった十畳一間での夜を思い出す。

火曜・定期通院で「ヘルニアはどうです」と訊かれ、「なんら平気ですよ」と言ったとたん、急に温度が下がったせいか、(たぶん)首に起因した頭痛が出始めた。
この冬は気付けば痛みが起きず忘れていると、こういう具合。それももっと苦しい想いをしている人に比べれば、さしたることではない。
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2015年1月8日 昭和90年1月8日備忘録

2015-01-09 00:28:19 | 音楽帳

昨夜食べた”七草お茶漬け。見た目はともかく、おいしく頂いた。

いくらうすーいお湯割りとは言えど、何杯も呑んだらよくはないだろう。
眠る時間も少なくて、朝またもやアラーム音に「うううっ」とうなっていた。

さらには、朝えらくさぶくて、というのが立ち上がられなかった言い訳。
まるで座禅みたいに座って、ラジオが鳴るに任せて、お茶を一杯、味わって飲み、朝風呂の勢いを借りて出発する。

ラジオから、東京にインフルエンザ警報が出た、それに今日は北風ピューピューで寒いよ、と言っている。
地方都市に行くのもあって、ついにコート解禁。
しかし、朝風呂後にコートを着たので汗をかく。

外はたしかに寒い。
ただ、空の蒼さは純度高く美しい。行く道々、空にばかりシャッターを切る。

朝の電車はスカスカ。
教授と青葉市子さんの鼓動を聴きながら、本を読む。

おとといふらりと訪れた三省堂書店。
そこで、気になっていた辺見庸さん最新の対談本を立ち読みするために。
しかし、立ち読みするうちに、これは即買わねばならないと思って、衝動買いしたのだ。

辺見さんとの出会いに始まる云々は、今夜述べるにはヘヴィーなので後日に譲る。

今日、仕事で各所を移動するうち、約四半世紀知っている彼。
彼は、6つ下だが同じ頃に仕事を始めた、ほんわかした後輩。
話していると愉しい。

そんな彼と初めて深い話になった。
あなただから言うのだけど、とかしこまられて。
仕事をやめようと思っている事。こんな告白は、何もこんな機会じゃなくても、私だって昔からようく出会うこと。それはたいていが、そうはならずに済まされてきている。

まあ、仕事は人生でもあなた個人とも等しくない、ある一部に過ぎないんだから。その程度だよ、とさとすが、そういうことでもなかった。

それまで気が付かなかったのだが、言われて分かったのが、補聴器を付けている。
片耳は聞こえず、もう片耳も悪いという。
そうだったのかい。。。とハラを割って、いろんな話をした。
私は彼が好きであり、数少ないなかまであり、彼の心を何とかある方向に向けたかったのだ。

また、時間取って話そう。そうして笑顔の彼と別れた。

その後も別の場所で、仕事をまじえながらいろんな方と話したが、最近、社会でも組織でもない、その人そのものの”個”を最大限想うことにしている。
というのも、憂慮すべき人だけにだが。

夕方話していた主婦と両立して仕事をされている方は、足をけがして以降調子が悪い。
何度となく大ゲンカをした人だが、このところ身体ばかりを心配してしまい、どうやったら意に添えられるかをばかり考えて、言葉を発している。
自分にもそんな気持ちがあったのだな、と思う。

たまに憂える表情の彼女を笑わそうとする。

仕事を終えた地方都市の夜は早く、しんしんと冷える。
最後に雑談をしていた事務所。その新年のカレンダーを眺めていて、凝視した。
「こんなカレンダーあるんだね。」と話す。ついシャッターを切る。

へーせー何年、の下に、昭和90年・大正104年と記載されているのだ。
そうか、そんなえらい年数となっているとはね。。。そんな会話。

それに、今日はそういえば、へーせーが始まった日だったね、とも話す。
あの日の、ぽっかり空いた、変哲もない空虚な大学生のあの1989年の日の感じを思い出していた。

つい暗い方向に、またもや進んでしまった。
しかし、ここには一条の救いがあるのだ。
特別な説明は必要もなく。
なかまと共に、同じ時間を分かち合い、生きているリアルな感覚があることにおいて。

景気づけではないが、昨夜同様”あの1981から1982への冬の蜜月”に陶酔していた1曲を。
ミッジ・ユーロ率いる第二期ウルトラヴォックスのセカンドアルバム「エデンの嵐」は、レコードのミズがすり減るほど聴いた。
ジャパンの「孤独な影」と共に、生涯の100枚の1枚であることは確実だろう。



■ウルトラヴォックス 「幻想の壁(The Thin Wall)」1981■
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2015年1月7日 水曜日 1982年冬・地下室の生活より愛を込めて

2015-01-07 23:55:46 | クロスオーバーイレブン

今週月曜、仕事初めの日、ウォーミングアップだから早々に帰ろう。帰ってゴミ仕分けの続きもせねば。そう、思っていた。
ところが、とある一生の付き合いの先輩に誘われ、おいしいお寿司に舌鼓を打ち、おちょこでお酒をくいっと呑んでいるうちに泥酔。トイレに座って眠っていた。

年末年始、狂ってしまった一日一日のサイクル。平常に戻った初日にお酒でつまづいた。
酒疲れの溜まりは、今日もひきづった。
たぶん、今週一杯、こんな具合にアンバランスなまま行くんだろう。

昨夜は、午前0時前に眠る、という快挙でGood、と思えば、今朝の目覚めのしんどさは変わらない。6時間は珍しく眠った。

昨日は、午後ずっと外に居た。朝からの温かさ。風は南風で、その風の中に佇んでいると、もう春がそこまで来ているように思えた。遠くから春の足音が聞こえた。

元旦に浮かんだお正月の曲は2曲だったが、もう1曲浮かんだ。
はっぴいえんどの「春よ来い」。
悩み深いときのお正月ならば、誰もがなるヤケクソの心境で粗暴に投げうたれ、吐き出すであろう言葉。“春よ来い”。

田端のYMO
たくさん綺麗な冬の花が咲いている。天に向かって背筋をピンとした姿勢の良さでもって咲く・アロエの鮮やかなべに色の花を見るのが、最近は楽しい。
街を歩きめぐりてたくさんの花に出会う中、梅やもくれんの樹々とも会う。
枝の先端は、来たる時を待ちわびながら、頑固にじっと中にエネルギーをたくわえて、春を待っている。

川の面(も)には、等間隔で浮かんだカモたち。楽しそうにぷかぷか浮かび・佇んでいる。

それはともかく。。。
そういえば、と思って1981と1982の境目を見つめていた。
そうそう、あの冬。
受験間際の、夜な夜な机に向かっていた”あの夜”。

まるで苦しみみたいな追い詰められた感は当時あったが、それでもあの時間は自由で永遠だった。
今も、大して進歩していない。

クロスオーバーイレブン 1982年1月12日 火曜日 午後11時15分~55分
1・宇宙の燈台 ティム・ブレイク
2・ニュー・ヨーロピアンズ ウルトラヴォックス
3・アイム・ノット・ザ・ワン カーズ
4・イグジット タンジェリン・ドリーム
5・ア・ドリーム・アウェイ カーズ
6・天啓 ティム・ブレイク

ナレーター:横内正


■カーズ 「アイム・ノット・ザ・ワン」1981■
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2015年1月5日 月曜日~6日 火曜日 仕事初め・・・ハートビート・魂の響き・ほのかな光が輝く方向へ

2015-01-06 22:12:36 | 音楽帳

元旦、兄がプレゼントしてくれたネコの日本画のポストカード。
堆積して層と成した部屋各所に点在した“ゴミの山”。それを少しばかり崩して“そうじ”をした。
その層の中から「そういえばこの本読んでいたなあ~」という書が、ほこりをかぶった中から出てきた。
一昨夜からパラパラめくり、昨日・仕事初めの朝から、電車の中でページを開き出している。

その本は小谷野敦(こやのあつし)さんの「退屈論」。
本はそれなりに傷んでいるが、巻末のページにエンピツで走り書きされた文字は「2002.11」。その頃読んでいたのか。。。
この2002年4月に発売された初版本だが、確かどこかの古本屋さんで発見し飛びついて買って読んだような記憶。ブックオフでは無かったと思う。
小谷野さんとの出会いは、1999年作品「もてない男」を読んだことにはじまっている。

本を開くといろんな箇所にエンピツでアンダーラインが引かれている。
当時36歳の自分が、それだけ熱中して読んだ形跡が残る。その箇所を再度読んでみると、改めて今の自分に響く発見があって興味深い。

アンダーラインの一部を写経。この文章は2002年でも、今にも役立つであろうから。

『・・・私は、何人かの有名文化人が、現代日本の状況を抽象的な原理で総括し、これに原理的に対処させようとしていることに、危惧を抱いている。
あるいは現代の日本に、社会の根本的な変革を目指そうとして、その夢に他人を引きづりこもうとする人々がいることを憂慮している。
彼らは、「自由」とか「公正」とかいった理念を、あたかも唯一神のように信奉し、これに反対する者と議論もしようとせず、「反動」といったレッテルを張りつける。それは人を「非国民」と呼んで排除する行為と、本質的に同じものなのだ。
(中略)日本社会はもっと速度を落とすべきである。退屈のあまり、ラディカリズムの煽動に乗ってはならない。』

『・・・大きな原理をもって世界を説明し、やはり大きな原理の現実への適用によって一挙に救いを得るという考え方に多くの人間が取りつかれた時代だった。社会主義をはじめとする社会変革の思想もそうだったが、フロイトの精神分析が流布させた、幼児期の抑圧された記憶を思い出すと一挙に神経症が快癒するといった類の物語がその最たるものである。
それはほとんどホラ話の類だ。
私たちがまず捨て去るべき習慣は、何らかの原理によって生や社会ががらりと変わるといった考え方なのだ。』(小谷野敦)


まさに今、自分の心にあるひだの凸凹。でっこみへっこみにはまる。
そう、何もかもが芝居であり、何もかもがウソなのだ。
そんなことは今更全員周知のことで、何もかしこまって言う必要のないもの。もう誰もが見抜いてしまったモノ。
それに翻弄され続け・三文芝居に共演することにも飽き疲れてしまい、自分はすっかり舞台から降りてしまっている。

まあ、それでいいのだ。舞台なんか上がらないでも良いのだから。
ゆっくりと舞台裏で着ぐるみを脱いで、コカコーラでも飲みましょうかねえ。

本を読むかたわら。今日聴いた音楽としては、ここ数週間聴いている坂本龍一教授の2013年7月発表の作品。テイラー・デュプリーという方とのコラボレーション。
この作品を知ったのは、昨年10月あたりだった。
“あいまいもこ“としたサウンドスケープは、特別なひっかかりを持てぬままいたのが実際。
しかし、この1月に入ってから「Curl To Me」という12分に及ぶ曲が異なる響きを持って、聴こえてきた。昨日、朝になって、音の波と同調した。

かつて坂本さんが9・11を発火点に制作発表した「キャズム」という名盤にあり、好んで毎夜聴いていた『only love can conquer hate』の延々たる水の流れを思い出す。

この曲「Curl To Me」には、かつて一緒に暮らしていた愛猫コチャコが病床についたとき、子守唄として聴かせた「ひかりのふるさと」を歌っていた天女・青葉市子さんが参加している。
青葉さんのハミングが遠くに聴こえる。そのキューキューというような風な声のアクセントは、まるでシガー・ロスの「スヴェン・ギー・エングラー」と近き響きをしている。
ついネットで読んでしまった「青葉市子さんの心音が入っている」に引っ張られて、そればかり気にしていたが「なあんだ、聴こえないじゃないか。。。おおげさだよ。」そう思っていた。

昨朝電車の中でこの曲を聴いたのは、たぶん十何回目かである。だというのに、昨朝初めて曲の前半で、心臓のドック、ドック、という音が耳に聴こえてきたのだ、初めて。
なぜ、それまで聞こえていなかったのか?では、なぜ今朝、その音が聞こえ出したのか?
mp3プレイヤーの低音(ベース)を強調したモードにしたのは、何も昨朝ではなく、相当前のことである。理由が見当たらない。

心音が聞こえてくると、再度シガー・ロスの「スヴェン・ギー・エングラー」と収録されたアルバム「Agaetis Byrjun」のジャケットの胎児を想起し、YMOの「LOOM(きたるべきもの)」や坂本&デヴィッド・シルヴィアンの「体内回帰」を同時に想い出した。
なぜYMO?と言えば、「LOOM」のテンポは3人の脈拍数の平均値を用いていることによる。



■坂本龍一&テイラー・デュプリー(With青葉市子)「Curl To Me」2013■

一説には、音楽というのは脈拍や心音のテンポに近いほど、音そのものが抵抗なく人の体内に染み込むという話しがある。どこで知ったか忘れたが、そう言った人が居た。これは自分もかなり真理に近いものと思っている。

★1月5日のインターFMより 耳に響いた曲・プレイリスト★
09:54 「WHO WILL YOU RUN TO」 HEART
10:23 「GIRLS ON FILM(グラビアの美少女)」DURAN DURAN
10:33 「BLACK OR WHITE」 MICHAEL JACKSON
10:56 「I'LL GO CRAZY IF I DON'T GO CRAZY TONIGHT」 U2
11:52 「SONIC MANIC」 木村カエラ
13:21 「アルクアラウンド」 サカナクション
13:25 「NEW」 PAUL MCCARTNEY
13:52 「ENDLESS LOVE」 DIANA ROSS & LIONEL RICHIE
14:47 「FOREVER」 HAIM
15:11 「OUR HOUSE」 MADNESS
15:32 「TAINTED LOVE」 SOFT CELL
16:32 「OB-LA-DI, OB-LA-DA」 BEATLES
17:44 「ROCK THE CASBAH」 CLASH

★1月6日のインターFMより 耳に響いた曲・プレイリスト★
09:30 「YOU'RE ONLY LONELY」 J.D. SOUTHER
09:44 「RUNAWAY」 THE CORRS
09:48 「YOUNG FOLKS」 PETER BJORN AND JOHN
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2015年1月3日 土曜日 夜空の下で掃除

2015-01-04 00:58:22 | 音楽帳

年末からゴミ屋敷一掃キャンペーンを、一個人で張っている。
そう言ってしまうのは、私がモノへの愛着/執着が異常だからである。

他人は他愛も無くさっさとゴミ箱に捨ててしまうものを、後生大事に取ってしまう。
草加から西尾久、西尾久からココへ引っ越す際、たった独りなのに4トン車2台が用意された。
よく”生きるテクニック”として、あえて引っ越しをたくさんすることで「要/不要」を選別し、身軽にすみかを転々とする達者な方がいる。

どうも私はそうなれずに、三ノ輪―草加―大阪―草加―西尾久―ココと引っ越すたびに雪だるま式に荷物がふくらんでいく。

よく引っ越しの手伝いに来てくれた友人たちは、そのモノを見ては「なつかしいなあ~」と驚きつつ、いろんな話をしてくれた。
しかし、彼らと私の感覚が如何に違うのかを、この時によく感じた。

例とすれば、カセットテープやEP・LPレコードだったり、ソニーのCDウォークマンだったり。別に大事に使えば、それは特別ではない。
だが、彼らは今一番”最新”の何かに飛び付くと全部それより前を捨て去れるいさぎよさを持っているから、私の持ち物自体がいわば「骨董品」扱いなのだ。

実際、引っ越しをしてくれた業者の若い方たちは、ずいぶんけげんな顔をした。
なぜ、独りなのに、こんなに荷物が多くあり、それも家具や生活に必要な基本道具は無くて、本や音楽・映像メディアばかりなのだ?と。

仕事の最後に”ありがとう”とあいさつをして、これでお昼でも食べてね、とわずかばかりのお金を渡すと、リーダーの子が「あのお、何か御商売をされているんですか?ネット販売なんかで?」と言われた。
説明に苦慮したが、別にいかがわしい者では無いですからね、と説明してさようならを言った。

”あの世にどうせ持っていけないんだからさ”と言葉では言ってきたが、その本当の意味を骨身で理解したのは、一昨年後半からのこと。

今日午後は、友人ハブ噛み師匠と会って、写真を撮りつつ街歩き。
その途中でお店に寄って、掃除に役立つ便利グッズを買って帰った。

帰ると、昨年6月に買ったはいいが、組み立てていなかったカラーボックスを汗かいて組み立てする。音楽を聴きながら。
不思議とこういうときには、ふだん聴くラジオは聞かない。

じゃあ何を聴くのか?というと、あまりカテゴリー用語は使いたくはないが、ノイズやインダストリアル系の音楽を、あるいはインストゥルメンタルであったりアンビエントなものを掛ける。
作業をしていると、人間的な機能を放棄したくなるのだ。
ついついメロディアスだったりロマンティークな音楽に吸い寄せられがちな私だが、まるで工場(こうば)の作業みたいなモードに入る。

何もこういうときだけではないが、考えたり・悩んだり・・・そればかりが長くなりがちな自分はいつも疲れている。
しかし、こんな戦闘モードのときには変わっている。
「ああ、こんなもん取ってても見ないしめんどくさいから”捨て”」となる。

これは大勢で仕事場の掃除をしている”ノリ”と勢いでたんまりモノを捨ててしまう時に似ている。それをまねて、こうでもしないと勢いを持って後悔せずにモノを捨てられないのだ。
まあ、捨てるといっても、チラシや小冊子類がほとんどだが、紙類ほど重量があり・中身をめくる面倒なモノはないので。

BGMは最初、大好きなスティーヴ・ハイエットのLP「渚にて」だったが、その後、キャバレー・ヴォルテールやリチャード・カークスのソロに行き、その後はいろいろランダムに掛けていた。
3時間を経て、まあ今日やれるのもこのへんまでかな・・・と思い、一息ついてお湯割りを頂いている。

さっきまで本やCDをとりあえず適当に収納し、ほこりを取っていた。
そうしながら「こうして汗かいてまで整理するのもなあ。。。いずれは全部売買されてしまうのに。」とよからぬ想いがよぎった。

その後、そう想った自分を叱った。
「そんなこと言ったら、あんたは生きていなくてイイよ。」
そうなのだ。生きてYMOファミリー等々のCDを整理している「今」が幸福なのであり、それこそが私、なのだ。

今からしばらく聴く(よく聴く)CD・よく見る本、それらを近くに集めてくることは、生き物たちが巣や寝ぐらを作るようなもので、必要なんだよ。

この言葉は正しい。うん、実に正しい。そう思って、今、作業場で納得している。

■Cabaret Voltaire 「This is Entertainment」1980■


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2015年1月2日 金曜日 ”現代の音楽”や”現代音楽”のことなどをつらつら

2015-01-02 23:40:35 | 音楽帳

鹿児島の知覧茶が切れたので、紫香楽をおろす
今日も寒い。
そりゃそうで、この地と連なるどこかで雪が降っていることが、外を歩いていると分かる。
コートも着ないで来たが、どうやらそれもそろそろ・・・だろうか。

昨日、実家にあいさつに行って戻る夜道、耳が痛くなったし。
そう思って、東京の最高温度・最低温度を見てみる。

12月26日 金曜日 10.0℃/0.4℃
12月27日 土曜日 8.7℃/1.8℃
12月28日 日曜日 8.0℃/マイナス0.6℃
12月29日 月曜日 6.1℃/2.5℃
12月30日 火曜日 12.2℃/1.8℃
12月31日 水曜日 12.9℃/1.8℃
 1月 1日 木曜日 8.2℃/0.7℃


昨日会った兄から、何枚ものCDを譲られ、大荷物になる。
クラシックのCDに混じって、武満徹さんのCDも1枚頂いた。

武満さんの音楽と言えば、80年代・日曜日23時からの1時間、NHK-FM「現代の音楽」という番組を思い出す。この番組で盛んに武満さんの音楽が掛かっていた。

日曜から月曜へと渡る時刻、週末が終わっていく中。
ラジオはおおむね深夜1時には終わってしまう。その真空の寸前の夜のしじま。

そんな中「現代の音楽」では、現代音楽寄りの音楽を流していた。
録音したカセットテープで一番印象に残っているのは、フィリップ・グラスの「浜辺のアインシュタイン」。
ブライアン・イーノを知ったお蔭で、彼の音楽の源流をたどるうちに、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリー、フィリップ・グラスの3人の巨匠に出会う。

「浜辺のアインシュタイン」の演奏を掛けた際、ゲスト出演したのは坂本龍一先生。
”昔、大学の頃にはよく聴きましたが、最近は接していないので、今日は久しぶりに聴くことになりますね。”と言っていた。
当時サウンドストリートのDJだったのもあり、その流れでゲスト出演したのだと思うが、普段とは違う語り口や声だったことのほうが、実際の音よりも印象に残っている。

1982年春・国内発売されたフィリップ・グラスのLP「グラスワークス」を聴いた。そのメロディアスな側面に魅力を覚えた。
その一方、ラジオ録音した「浜辺のアインシュタイン」は高価なメタルテープに録音したものの、当時ちんぷんかんぷんだった。延々と繰り返すこの曲に魅かれなかった。

フィリップ・グラス等々に興味を強く抱いたのは、上記の1982年春だが、そこにはFM東京の夜番組「ソニー・サウンド・マーケット」で一週間ぶっ通しでのブライアン・イーノのインタビューが介在している。
ニューヨークはマンハッタンに住むイーノを立川直樹が訪ね、長時間インタビューに成功するのだが、そこで掛かった彼を取り巻く音楽の中の1つがフィリップ・グラスだった。

1982年4~5月に国内発売されたLPを並べると、いかにこのタイミングが稀有な時間だったかが分かる。
(それは80年代初頭から始まってはいたものの)
”現代音楽”とかつてくくられてしまいがちな類の音楽を、ポップスやロックサイドのミュージシャンが様々なアプローチを試み、作品へと昇華させていた。

●デヴィッド・バーン 「回転花火」
●ローリー・アンダーソン 「ビッグ・サイエンス」
●細野晴臣 「フィルハーモニー」
●立花ハジメ 「H」
●ブライアン・イーノ 「オン・ランド」
●ホルガー・シューカイ 「イマージュの旅人」
●ピッグバッグ 「ドクター・ヘックル&ミスター・ジャイヴ」

この中で特筆すべき事件は多々ある。
ミュージシャンの創造的マグマを作品の中に展開させるうちに、それまでになかったような音が生まれている。
特に、プラスチックスがほぼ空中分解となった後、ハジメちゃんがサックスを購入し、伊福部昭先生の「ゴジラ」に始まりジャズそれに現代音楽まであらゆる音を聴いたうえで創作した「H」。
本人はこれを”ノンカテ・インスト”(つまりノンカテゴリー・インストゥルメンタル)と呼んでいたが、やんちゃで茶目っ気のある一人の少年心のままの男が、アッと驚くような音楽を創ってしまった。

ピッグバッグは、元ポップ・グループが3つに分裂した1つのバンド。
カリブ音楽要素が大きいのだが、ダブやハイチなどと共に不可思議なガムラン的とも言えるような音が渦巻くインストゥルメンタルの曲が含まれている。

なんだか書いているうち、どんどんと横道にそれてしまい、訳が分からなくなってしまったので、とりあえず今日はいったんココまで。

■Pigbag 「Brian The Snail」1982■
現代音楽は教授の例を挙げるまでもなく、プリミティヴな民族音楽とも繋がっている。
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