こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ニューウェイヴ・カセットシリーズ ⑥ 1981年12月~1982年1月

2016-03-14 23:07:24 | 音楽帳

⑥のカセットも④⑤同様、ニューウェイヴでもなんでもない。むしろ相反する代物。
A面は「軽音楽をあなたに」で特集されたピンク・フロイド。先に話したベスト(?)盤的「時空の舞踏(A Collection Of Great Dance Songs)」より。
B面は、まだヘヴィーメタルという呼び方も浅いころの新譜曲が中心。

A面は、曲順を間違って書いてしまった。修正液が高価でふだん使えなかったから、仕方なく定規で消した跡が残る。

ピンク・フロイドで初めて出会った曲は「吹けよ風、呼べよ嵐」。それは70年代小学生の頃。
毎週土曜日の夕方見ていたプロレス、ブッチャーの入場曲だった。

あるいは夜のピンク番組のバックでかかる「虚空のスキャット」(狂気/ダーク・サイド・オブ・ザ・ムーン)。
光る画像加工がされたヌード女性が恍惚とする後ろで鳴っていた。

洋楽という意識で出会ったのは、1979年シングル「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」。そして、この曲を収録した2枚組アルバム『ザ・ウォール』。
レコード屋さんに飾られたヒプノシスのLPジャケットを想い出す。

***

B面のサクソンは、1980年ミュージックカセットで「鋼鉄の掟」を聴いていた。
今思えば、YMOやボズ・スキャッグスを聴いていたのと同時期で不思議なことだが、かっこよかった。
いろんな音楽が違和感なく、じぶんのなかで共存していた。

マイケル・シェンカー・グループも同じで、土曜13時からの「ポップス・ベストテン」で聴いたシングル「クライ・フォー・ザ・ネーション」(1980年)に始まる。
その後来日し、NHK-FMで放送されたライヴを録音したテープを繰り返し聴いた。特によかったのが「イントゥ・ジ・アリーナ」というインストゥルメンタル曲。
このライヴテープはのちにお金がなく、目の前のエアチェック番組に迫られて上書きしてしまった。

⑥カセットに収まるサクソンは「鋼鉄の掟」の次作品「デニム・アンド・レザー」。
マイケル・シェンカー・グループの曲は、「神」の次のアルバム「神話」に収録されている。

***

このカセットのなかで一番今と糸口が少ないのは、サッド・カフェだろう。
「サッド・カフェ」といえば、イーグルス最終アルバム「ザ・ロング・ラン」(1979年)のB面最後の切ない曲。

カセットテープ自体は今やない⑥だが、ネット動画のおかげでひさしぶりにサッド・カフェの曲を聴けた。
「10CCのメンバーがプロデュースを買って出た・・・」と雑誌にある。

単純に「良いなあ」と思う。(だからカセット録音で残したのだろうが)まったくの盲点だった。

■Sad Cafe 「Follow You Anywhere」1981■
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2016年3月14日 月曜日・深夜 その日の神性、その日の天使

2016-03-14 18:14:27 | 雑記帳
雑誌やチラシ類を”あとで見るから”などと積み上げてきたけれど、”あとって、いつなのよ?”。
というわけで少しづつ捨てるものと捨てないものとを分ける作業に昨年より入ったが、この言い方すらが、すでにダメだ。

「少しづつ」もダメだし、「分ける作業」自体がぜんぜんダメだ。
正直とんでもない時間と工数を喰い、疲れる。むしろ面倒なことになってしまう。

そんな折、ためになる言葉に出会う。
”強迫的ため込み”。
そうか、とひらめく。

断捨離だ、シンプルライフだ。。。最近ではミニマリストだ。。。
どれもこれも言いたい核心は同じことと思うが、
どれもこれもカネのにおいがあからさまにプンプン漂う。
どれもが結局みうらじゅんさんいわくの「ない仕事」を作るために、言い換えたみせかけ上の(新)コトバ。
とりあえず、こういった方々とグルは、参考程度として加担せず・無視したい。。。と、今夜も独り座禅を組む。

***

その日そのとき目の前のもので、気になったらちぎってノリで貼る。
残りはすべて捨てる。日や時間で判断はまったくことなるだろうが、捨てたものを後悔しない。

「2016年は、日記をちゃんと形に」と思ったが、ヒマな主婦じゃないので、そんな時間はない。
小林先生の「三行日記」のように、 その日をその日じゅうに何らかの形で記す。。。のはそうできれば良いが、そんな「理想=非現実」予定調和にいかない。
よけいに無理をじぶんに強いるだけのことで、精神衛生上、逆に追いつめられるいっぽうだ。

ここ数週間、手当たり次第身近にある何もかものゴッタな紙類を適当にちぎる。
飽き飽きする「いかにも」な撮影方法の食べ物の広告写真、取ってあった無料風俗雑誌の女、勝手にポストインされるチラシ。
意味や脈絡などルールはない。もともと大して価値のないもの。それが良い。
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2016年3月11日 金曜日・深夜 音楽備忘録

2016-03-12 02:23:14 | 音楽帳

昨年・渋谷陽一さんのラジオを毎週聴くことを再開し出した。
おかげで、現在進行形の音楽をたくさん知ることになり、KeepOnNowな状態がじぶんの中に広がっている。

これは仕事をするかたわら、インターFMが流れる日々が始まった2年前からの延長線上で、体内で走り出した車輪。わたしにとっての新しい車輪。
これは「サウンドストリート」ではない、2016年製の車輪とボディ。

***

今週月曜、入院するお袋のピンチヒッターでTOTOのライヴを兄と観た。
その帰り道、武道館から離れた場所で酒を呑んだ。
70年代、初期のロッキンオンに出会い・サウンドストリートをわたしより先に聴いていた6つ上の兄。その兄と音楽を巡る話しをしていた。冬はあまり呑まないビールからハイボールへ。。。話題は渋谷さんのことに及んだ。

じぶんは老いたつもりは毛頭ない抗う妄想家。むこうは徹底的なリアリスト。
それでも、Timeは生き抜いた分だけお互いの歳の比率を接近させていく。
昔かたや小学1年生/かたや生意気盛りの中学1年生といった兄弟。
そんな会話が成立しない状態は、ツノを突き合わせる関係から、歳を経るごとにどんどんと会話の広がりを深めていく。

渋谷さんにまつわる話をしながら、お互い頷いたのが、いまだに「今」にコミットしようと貫く姿勢と執念への”あっぱれ”。そんな渋谷さんの姿勢は、自ら進んで背負った役割であり、本人はその道をまったく疑いようもなく冷静でいる(かのようだ)けど、長く生きていくということはそんな側面がある。

みうらじゅんさんは、最近ぽろっと”実はじぶんはそれに興味はさほど無いけれど、そう言わないと気が済まない”ニュアンスのことを吐露していた。

こんな話しを兄へ投げかけながら、会話のキャッチボールを続ける中で言ったコトバ。
それは、たぶん自分に向かってのこと。
(渋谷さん・みうらさんのことではなく)才能があろうが無かろうが、ともかくコレと思うなら続けること。それは「意地」という意味じゃなく。
人から説教受け・笑われ・馬鹿にされながらでも、それでもひたすら続ける。
それは1つの大事な方法であり、日々が変わりゆく中でさえ、何かが決壊し・活路が生まれる可能性があること。

■ケンドリック・ラマー 「オールライト」2015■
渋谷さんが盛んに語っていたこの曲は、肉薄した現場・背景はわからない。。。
と最初思っていたが、不思議と何度も聴いているうちに沁み込んできたのが昨年末。

ロックンロールやラップとくくる世界には興味はないし、そんな分け方をして聴いてもいない今。しかし、音は音として屁理屈は言わない。
まったく予想だにしない展開に自分自身が奇妙な空気に包まれ、驚いている。
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2002.3 Tokyo Tri-X Pan

2016-03-11 01:06:01 | 写真日和










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2011.4 Liminal

2016-03-10 23:58:54 | 音楽帳

先週、砂原良徳さんの2枚組「リミナル」を買った。
彼の作品では最新作にあたる。最新作と言いながら2011年4月発表。
作品自体は3・11前に制作完了している。その点では、細野さんの「ホソノヴァ」と同じ。

なんで5年経って購入したのか?理由は特にない。
あるとすれば、ネット等で知っていたそれぞれの楽曲を1枚通して聴いてみたいと思ったくらいなのか?

彼の作品でこれだけを持っていなかった。じゃあ、穴埋めで買ったのか?そうではない。
お金が無かったのか?貧乏人だが、それが理由でもない。

「ラヴ・ビート」からの繋がりを理解出来ずにはいた。
じぶんはよくこの”理解できる”の範疇外に行ってみたい、と意味も無い行動に移ることがある。
では、それか?というとそうでもない。

じゃあ、3・10が東京大空襲で、その翌日が3・11なので、この作品を聴いているのか?
というとそれでもない。

要は、何もわからない。
事実上は5年が経過しているが、その意識があるかないかもわからない。
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1975 Pink Floyd ”Wish You Were Here”

2016-03-06 23:05:30 | 音楽帳

かつてシド・バレットを中心にしたピンク・フロイド。
最初1枚を残して彼がいなくなったことで、他のメンバーは、今後どうするかという岐路にいきなり立つ。
そこにデイヴ・ギルモアが現われ、その後のピンク・フロイドが進んでいく。

70年代の終わり、正確には1979年中学生の頃、ピンク・フロイドは「ザ・ウォール」と目の前に現れる。そこから後、じぶんが聞いて事実と思っていた話はこうだった。
スタジオ録音をしている最中、シド・バレッドが発狂して叫んで居なくなってしまう。彼はそれきり消息不明になり、作品制作もバンドもそのまましばらく頓挫した。

そんな話を他人に話したのは、逆にじぶん自身が”発狂”した後。転がり込んだ大学でだった。
片隅にでもじぶんがじぶんを置いておける場所を探す中、偶然出会えた友人MZ師とのおしゃべりでだった。
彼もピンク・フロイドについて、おんなじような言い回しをした。

80年代は文字を打てばすぐ検索出来る世の中じゃない。
雑誌や人から漏れ伝わる話しをそれぞれの中で咀嚼しながら、友人同士話しては確認し合い知識を膨らませていく。しかし、それぞれの見聞きしたものを持ち寄った割には、ピンク・フロイドについて似たようなことを言うのは、お互い共に気違いであり、だからこそ気が合ったのだろうし、お互い早々知ってはいけない何かを知ってしまい、それを素直に言って頷き合える相手を見つけたからだった。

中学から大学に掛けた十代の季節が、誰にとっても精神の危機とカベにブチ当たるせいか?
時代は80年代というのに、じぶんの周囲には、やけにピンク・フロイドのファンが多かった。
大学時代には、幾人も明白に精神を病んだ人と出会った。
病んでいると思い込んでいるぼくからすれば比較的普通と思える人でも、確かに或る場面にだけ顔を出す奇妙な振る舞い・言動があった。彼の居る空間に流れる時間と気配は、ほかの一般学生には無い、ただならぬ”普通”と一線を画す何かがあった。彼らが持つ違和感は感じる側であるぼく自身の持つ違和感でもあった。
ピンク・フロイドと彼らの不思議なまじわり合いは、彼ら自身が好きな音楽の音楽観というよりは直感に近い。精神の芯と結び付いているかのようで、彼らの話しにしばし登場した。

「ほとんどすべての曲を書き、ギターとヴォーカルを担当していたシド・バレットは、単なるリーダー以上の存在であった。そんな彼がなぜグループを急に抜けたのか。彼の発狂が原因とされている。
発狂の理由が何であったかは、はっきりしないが、シド・バレットがいわゆる天才肌のミュージシャンであり、非常に繊細な精神の持ち主であったことは確かだ。そして、シド・バレットあるいはその発狂はその後のピンク・フロイドの重要なテーマとなる。

ある意味でフロイドは、その後ずっとシド・バレットの発狂という影を引きずりながら演奏活動を続けているといっていい。
『ウィッシュ・ユー・アー・ヒア』というアルバムは、フロイドによるシド・バレット賛歌であり、一種のラヴ・レターとさえいえるのではないか。”シャイン・オン・ユー・クレイジー・ダイアモンド”は、シド・バレットに向けての最高の賛辞といえる。正気と狂気の狭間にあり、どちらの側もよく見えるという場所がフロイドの表現の拠点なのである。」(渋谷陽一 1990年著「ロックミュージック進化論」より)


渋谷さんのこの文章は、この後もシド・バレットとフロイドについて書きながら、友人シドへのロジャー・ウォーターズを察して、こうも言う。
「狂気を特殊なものとして見ず、世界が狂っているなら、それに順応できないものは全てが狂人であり、そんなら、むしろ狂人として生きる方がよほど人間らしい行為ではないか、そうした発想にフロイドはたどりついたのである。」

中学生の頃「ザ・ウォール」のヒットをきっかけにして、雑誌やカセットテープの懸賞やレコード店の棚や友人宅でピンク・フロイドのLPレコードジャケットを物欲し気に見ていた。
それでもちゃんと作品を聴き込むことになったのは、1981年彼らの一部の曲をまとめた「時空の舞踏」というLPレコードの発売である。初心者向け入門盤みたいなもの。エア・チェックをしてカセットテープで聴き込んだあと、LPレコードを買った。「狂気」は兄から既に借りて聴いていたが、それ以外のものを、ここからさかのぼって聴いていくことになる。

このLPにはアルバム「炎」からタイトル曲「Wish You Were Here(あなたがここにいてほしい)」と「狂ったダイヤモンド」が入っている。
思えば「炎」も発表から41年が経つのだが、今でも「狂ったダイヤモンド」のデイヴ・ギルモアのギターフレーズは衰えることなく心に響く。それは情緒的という意味じゃなく、音が言葉よりも語っている。何を言いたいか?言葉ががなくても”あるコト”を指し示している。

■Pink Floyd 「Shine On You Crazy Diamond」1975■
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2016年3月4日 金曜日 「春の想い出」

2016-03-05 00:44:33 | 音楽帳

3月3日 木曜日
けふも朝から地方都市で仕事。ふだんより早い電車に乗ってごとごと。
王さまが鎮座する御前会議・・・と名ばかりの会議。じぶんは主催者だがゲッペルスではない。

水曜前夜、その資料準備で遅くなる。
夜から翌朝の電車まで、(=。=)と絵文字で現せるような表情だったよう。いろいろあって気が滅入っていた。実は”いろいろ”という理由は無い。精神の浮き沈みが激しいだけ。
ただ、それは20数年経験してきた苦渋のおかげで、昔の一割くらいの不感症。”慣れ”は恐ろしい。

少しでも気持ちが明るくなるように、と前夜入れ替えたmp3プレイヤーの曲たち。
入れ替えるだけでもけっこう手間と時間と労力をくうのだ。
朝の晴れた車窓を見ながらジュリア・フォーダムの美しい声がそこから聞こえた。脳がじんわり沸き立つ。

「不安を持つも持たないも、いずれにしたって、避けようがない予期不安だよ、キミ。
イイ歳して、なーに中坊みたいなことを今ごろ言ってんだい。」
そこまで仙人になり切れていない。
”中坊”とは良い言いぐさだ。永遠の精神的中坊で何が悪い。
「このまま行くんだよ、このまま。」

いざコトに当たれば、時はすぐ流れ去り、イノチ取られることなく会議は終わる。そりゃそうだろ。主催者がイノチ取られてどうする。
終わってみれば何事も起きなかったが、こんなことは四六時中。

大阪から東京に戻ってから転がり流されながらも、間もなく丸20年を迎える。
要領を得ない反スピーディーなじぶん。それでも多少のディシプリン(鍛錬)がきょうを過ごさせてくれている。
他人にはどうでもいいかもしれない程度の一山を超えて、きょうもごはんがおいしい。

朝聴いたジュリア・フォーダムの「Porcelain」。
彼女に出会ってから何百回目の官能。。。心身共に彼女の声に包み込まれる。
好きな音楽はいつも、レトロじゃない。永遠に劣化しない、新鮮な味わいをわが身にもたらす。創られた時期は関係ない。

調べてみるとジュリア・フォーダムがまた来日することを間際で知ってしまう。どうしようか迷う。
昨年の今ごろ、別の恋人シンディー・ローパーが来日して、2つ同時に行けなかった。
浮気じゃなくて、2人とも好きなのだ。そういう意味ではたくさんの彼女がいて困る。
観たいライヴも立て込んできた。うれしい悲鳴というもの。

こないだぐちゃぐちゃの家(世間用語:ゴミ屋敷)にあるCD積み替え作業しているうち発狂。
とてもじゃないが整理はムリ、捨てるか売っぱらうしかねえ、そんないらちな沸騰状態になった。
それでも行為には及ばず。モノが捨てられない性格は永遠に続く。

結果、CDの渦を少しづつ分類し出す。
1つひらめいたのがフィーメルヴォーカルでかたまりにしてしまうこと。そうすると非常にわかりやすいことに気付いた。
フィーメル中心のグループも入れて、ヴォーカル以外楽器も入ってきて。。。という具合だが、音楽家として優れた女性でくくる。これで1コーナーを作る。

陽が長くなり出した夕べ、パチパチとキーボード叩いて仕事をするかたわらで鳴るインターFM。
デイヴ・フロムさんの番組から大好きなバングルス、ハートの曲が掛かってごきげんさんになる。

ジュリア・フォーダム、シンディー・ローパーといったソロアーティスト。
それ以外のグループに焦点をあててみると、どうだろうか。

その1つが「コアーズ」。英語でCorrs、と書く。
男女混合ユニットだが、4人のうち3人ならびにヴォーカルは女性。

出会いは1996年4月。
大阪から東京に戻された途端、「数週間撮影で太秦(うずまさ・京都)行ってちょうだい」といきなり関西にUターン。
平日は深夜まで撮影、太秦の旅館は畳の間に戻っても校正に打合せ・・・そしてただ夜寝るだけの日々。

そんな合い間に休日をもらった。
京都は四条烏丸まで出て、音楽ショップで出会った1枚がコアーズのデビューアルバムだった。ヘッドフォンで視聴出来るお店の新譜の一枚。
ヘッドフォンを着けて聴いた1~2曲目。その流れだけで即購入を決意するに値した。

「ラナウェイ」がヒットしたファーストアルバム。
新人アーティストを情報で”耳年増”になるより前に、じぶんの耳で発見した喜びが大きかった。

ヴァイオリンが入ったグループ、というとタキシードムーンの徹底した暗さやウルトラヴォックスがヨーロピアン・ロマンティシズムを演出する道具として使った音を想い出すが、それらとは全然違う。
コアーズはクラシカルで清潔感ある空気を醸し出す。

当時、土曜日の昼下がり、彼らの室内ライヴをFMで聴いてカセットテープに納めたが、夜よりも昼、それも風がさわさわと吹く春の日に似合う。
派手ではないけど、その誠実さに共感を覚える。

ファーストアルバムには1~2曲目や「ラナウェイ」以外に、「クローサー」という美しい曲がある。
個人的には、幼いころ聴いていたカーペンターズのような感触をおぼえた。

■Corrs 「Closer」1995■
「クローサー」というとついジョイ・ディヴィジョンがよぎる。
それは実にじぶんらしいが、全くの別世界。
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2016年3月2日 水曜日 「沈丁花かおるころ」

2016-03-02 23:38:01 | 写真日和

人は車とおなじで、エンジンとガソリンがなきゃ走り続けてはいけない。
そんなガソリンになり得るものをまさぐり探し、手に入れながら前に進んでいく。
ウソでも笑ったり、たいして興味なくても取り組んでみたり、興味持つふりをしてみたり、すること。

よく心理学や精神医学などにそんな行動療法が記載されるが、それはウソじゃない。
歩くことは、今のじぶんにとってそんな一つの大事な方法。気が進まなくとも一歩進んでみること。
そうしているうちに精神にドライブが掛かる瞬間がある。
闇に光が差すときがある。

いくらやっても晴れ間が見えぬこともあるが、うろうろしながら別の道を歩いてみる。
気が沈んでも、じっと進むこと。それはふだんどおりの今。
何かが現れ、着火され、精神がスパークするのを待ってみる。

みうらじゅんさんのこの十数年の行動には、根底にそれがあって、つくづく感心し・大笑いし・励まされる。

”人間はだれでも気違いだが、人の運命というものは、この気違いと宇宙とを結びつけようとする努力の生活でなかったら何の価値があろう?”

寺山修司さんの文庫本「ポケットに名言を」に入った好きなコトバ。
アンドレ・マルロオの『希望』という中の一節。

幸福/ハピネスを感じる楽曲は?
と昨日メモしてみた。そんな中の一曲。

■Stevie Wonder 「Overjoyed」1985■
スティーヴィーのヴォーカル・楽曲のすばらしさ。
サンプリングされた鳥の声や水や自然の音がメロディーの骨格をさらに際立たせ、久遠の響きがする。

もくれんが咲いた。











修善寺寒桜。

寒緋桜。































コチャコ。2012年2月。
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