
一人娘だった母は他家へ嫁ぎ、実家の親が
亡くなった後の墓を守ってきた。
それを引き継いできたが、所縁の人もいなくなり
改葬することにした。

寺の住職と相談した結果、遺骨を檀信徒供養塔に移し、新しい位牌を
寺の位牌堂に納めて、永代供養をすることに決めた。

↑位牌堂
今日、その位牌の開眼と三十七回忌法要を営み、平和公園墓地へ
出向いて墓の閉眼供養も併せて行った。


石材店も待機し、墓石の解体と整地が行われた。

寺の過去帳から写した家系図には、貞享4年
初代忠兵衛から7代まで連なっている。
姓が無いので百姓をしていたと思われるが、五代将軍綱吉が
「生類憐みの令」を出した頃の暮らしは想像もできない。

長く続いた家の幕引きは覚悟をしていたが、一通りの仏事が終わって
安堵する反面、母方とは言え途絶えることへの感慨もひとしおだった。
自分の入る墓はあるが、娘3人が他家へ嫁いでいるので、
事情は母の実家と同じだ。
昨今は子や配偶者に負担をかけたくないという人も多いが、この種の
ことは残された者が判断して決めるべきと思っている。
残すほどの資産はないが、少しばかりの課題は
残してもいいと思ったりする。