名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

「生誕110年 ・片岡球子展」と「リニア体験乗車」当選

2015年06月30日 | イベント


県美術館で「生誕110年 片岡球子展」を観てきた。



鮮烈な色彩と力強い筆致が特徴と
言われるだけあって、どの作品もエネルギッシュで 迫力がある。

特に昭和30~40年代にかけての作品に、
その感が強かった。

もと会社OB会サークルの例会で、美術観賞後は
会員17名で会食をし、お茶などを飲んで歓談も楽しんでだ。



家に帰ったら、先日申し込んでいた、
「JR東海リニア体験乗車」の当選連絡が入っていた。

第1回の抽選に外れたので、今回は希望日時が多い日を避け、
最終日の1番列車を申し込み、狙い通り2席を射止めた。


(写真はリニア見学センターHPより)
2027年開業に先立って、世界最速列車に
乗れると思うと、今から胸が高鳴る。
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円空・木喰展

2015年06月29日 | 趣味


荒子観音寺のご住職から「円空・木喰展」の招待券を頂き、
松坂屋美術館で鑑賞してきた。



円空は寛永9年に美濃に生まれ、64歳で
入寂するまでに、12万体の神仏像を彫ったと言われている。

木喰は円空に遅れること約100年、甲斐に生まれ、
円空の足跡を辿るように全国を行脚し、93才で生涯を閉じている。

いずれも廻国聖で、衆生救済を願って全国を
行脚し、今だに多くの神仏像が各地に遺っている。

鋭い鑿跡を残す円空仏と、のっぺりとして
優しげな木喰仏は、対照的な像として、高く評価される。


↑ 飛騨国分寺(2007年初秋にここからスタート)

円空仏との出会いは、十数年前に「飛騨三十三観音霊場巡り」
をした時である。


↑ 2008.2月千光寺(カモシカの出迎え)

第1番の飛騨国分寺から、33番の千光寺まで、
多くの寺で円空仏を拝観した。


↑ 千光寺寺宝館(冬季閉館中)

薄暗い本堂におわしたり、スチール製のロッカーの中や、
寺宝館のガラスケースなど様々だった。


↑ 上宝 桂峯寺

無住の寺や常駐の僧侶がいない寺もあって、他のお寺や
郷土館などの展示施設へ移座した円空仏も多い。


↑ 丹生川 正宗寺(梅原猛さんの色紙)

↑正宗寺本堂
撫でられたり抱かれたりした円空さんは
遠い昔のことで、今はガラスケースに納まって、
美術品として鑑賞されている。
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梅雨の晴れ間の日曜日

2015年06月28日 | 暮らし


久しぶりに朝から青空が広がり、
風も爽やかで気持ちがいい。

なでしこJAPANの応援で、いささか眠い体を、
公園の涼風が目醒めさせてくれた。



上空の風が強いようで、箒で履いた
ような雲が流れている。



ひと仕事をした後は、作業部屋で彫刻の練習をした。
最近はBGM代わりに、ネットラジオを聴いている。



NHKらじる・らじるは、機能が多く過去番組の聴取や、
ipadの横画面対応など、少しずつ進化している。

日曜の午後は、音楽番組が子守唄になって、
睡眠不足を解消してくれた。
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山頭火~最後の放浪

2015年06月27日 | 雑感


朝日カルチャーセンターの特別講座「山頭火~最後の放浪」を聴講してきた。
昨年聴いた「山頭火~歩いたり地球1周半」は、
彼の放浪の足跡をたどり、破天荒でぐうたらな
人となりや、自由な「生き様」が語られた。

今回はシリーズの集大成で、講師の大塚幹郎氏の
言葉を借りれば、「彼の最後の放浪を追いつつ、終活を
その死まで見つめます。」と言う言葉通り、彼の「死に様」が、
元テレビ局報道局長らしいインタビュー映像を交えて語られた。

昭和14年春、死に場所を求めて最後の放浪に出た山頭火は、
伊那谷の無宿俳人・井上井月、松山で夭折した天才俳人野村朱鱗洞、
小豆島で孤独死した尾崎放哉の墓に参った彼は、それぞれの
壮絶な「死に様」を心に秘めて、昭和15年秋に松山に戻った。

長い放浪で、シラミや垢まみれで異臭を放つ山頭火を、
温かく迎え入れ、寺の納屋を終の住処として与えられた。
昭和15年秋が深まるなか、句会が終わった後に酒に
酔っ払ったまま寝入って、59歳の生涯を閉じた。



講師の大塚氏は退職後の10有余年と、退職金を投入して
山頭火の足跡を辿って、ドキュメンタリーに纏めた。

定職を持たず行乞行脚で、好きな俳句を詠み、
酒に酔っ払ってころりの「死に様」には、大塚氏
ならずとも引かれるが、最後の句として紹介された
「濁れる水の流れつつ澄む」は、母と弟の自殺、神経症の
持病を背負った放浪の果ての、叫びのようにも聞こえた。


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雨のウォーキングは熱田の森~白鳥エリアへ

2015年06月26日 | 歩く


降りしきる雨の中で、もと会社OB会の
ウォーキングサークル例会が催された。



スタートの熱田の森は、雨に洗われた木々の
緑が新鮮で、参道の砂埃も立たなくていい、
と負け惜しみを言いながら、のんびりと歩き始めた。
本殿に参拝した後は、堀川河口の「宮の渡し」へ向かった。



東海道五十三次の一つ宮宿は、桑名までの
海上七里の船着き場として栄えた。

周辺は「宮の渡し公園」として整備され、
当時の常夜灯や時の鐘も再現されている。



公園の脇には、もと会社取引先の
お店があったので立ち寄った。

特徴のある建物は、大正年間に建造された蔵を
改装して利用しているとのことだ。



立地を生かして、クルーザーやマリン用品が
主力の店だが、電動シニアカーや電動三輪車が展示されていた。

居合わせた社長が、オートバイの営業マンの
数倍の規模で、シニアカーの営業に取り組んでいるとのこと。

基盤を築いたオートバイより、マーケットの拡大が
期待出来るシニア市場の開拓に注力しているようだ。



堀川沿いの水辺の散歩道「白鳥プロムナード」を
歩いて、次の目的地へ向かった。


↑ 旧白鳥貯木場、正面のアーチは国際会議場


↑ 白鳥庭園の門

雨脚が強くなり、「白鳥庭園」は外から眺めるだけでパスした。


↑国際会議場ロビー

ゴールの国際会議場へは、予定より早く着き、
展望レストランで空腹を満たした。



炎天下で熱中症を気にしながら歩くか、雨に
濡れても涼しい方がいいかは、意見が分かれる
ところだが、いずれにしろ年寄りの冷や水は堪える。

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円空さんを訪ねて下呂へ

2015年06月25日 | 旅行

↑ 下呂温泉合掌村

「円空仏彫刻・木っ端の会」のメンバーと、
円空仏を訪ねて下呂へ行ってきた。

この会は年に1~2回ほど、円空ゆかりの地を
訪ねて旅行をしている。




↑ しらさぎ座



下呂温泉街の外れにある「合掌村」には、円空館があって
近在の寺社や個人蔵の円空仏29体が展示されている。






美濃や飛騨は円空仏の宝庫と言われるほど、
多くの仏像が残されている。



円空仏が広く知られるようになるまでは、
寺院をはじめ小さな社やお堂、農家などにあったという。

散逸や盗難を防ぐため、郷土館や資料館などを
開設し、多くの円空仏を拝観できるようになった。


↑ 菅田庵

下呂で昼食をとった食堂の座敷には、
馬頭観音像がさりげなく置かれていた。



店の建物は、大坂夏の陣の頃から続く旧家の
移築と聞くと、円空仏と言われても、おかしくないと思ってしまう。



会員のツテを頼って訪れた旧家で
善女竜王像を拝観させていただいた。

こちらは、今まで見た円空仏と同じ鑿跡や
顔の表情から、400年の重みを感じた。

生涯12万体彫ったと言われる円空なら、
あちこちにあっても不思議はない。

真贋を見極めるほどの目利きではないので、
ただ有り難く拝観している。

謎の多い円空さんの一端を垣間見て、
興味がますます湧いてくる旅であった
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名古屋商大・丸の内タワーが完成した

2015年06月24日 | 雑感


今朝の散歩は近場を歩き、栄一丁目の
コメダモーニングで朝食を済ませた。



納屋橋再開発工事現場は、、東側から
全体が見えるので、通る都度観察している。

ずいぶん深い穴が掘られているのは、隣接する
ビルに影響が出ない様に、地盤を固めているのだろうか。



桜通り沿いに建設中の、名古屋商科大学
「名古屋キャンパス丸の内タワー」が完成した。



高層ホテルと見紛うような威容は、ビルが
建ち並ぶビジネス街でも一際目立つ。

MBA取得を目指す社会人向けの大学院
キャンパスでは、多くのプログラムが用意されている。

グローバルな人材を養成する、国際経営1年制の
学費は2.440.000円とホームページに出ていた。



帰りに下園公園に寄ったら、MIZUHOのチョッキを
着た人たちが、公園や周辺道路の清掃をしていた。

汚す人がいる一方で、仕事前に清掃活動に
励む人たちの姿に頭が下がる。

掃除をする人は勿論、その姿を見た人も街を
汚すことはしないだろう。

草の根社会人教育を実践する、
メガバンクに拍手を送りたい。
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飛騨高山思い出旅行

2015年06月23日 | 旅行


2日目の高山は、まずまずの天気になった。






予定通り乗鞍西麓の丸黒山に登るため、
青少年交流センターへ向かった。




通い慣れた小径を、カラマツやシラカバ林を抜けて、



峠から前方を見ると乗鞍はおろか、
丸黒山も雲に隠れていた。

眺望はきかないと思っていたが、前方で
稲妻が走るのを見て、早々にコースを変えた。




↑ 御嶽展望台へ


↑ 雲の中には、薬師岳、笠、槍・穂高、乗鞍の大パノラマが

日影平山からブナの木平まで歩き、御嶽展望台など、
ビュースポットに寄ったが、高い山は雲の中だった。



ここからオリエンテーリングコースを辿りながら、
「乗鞍青少年交流の家」に戻った。



途中で、岐阜市から来た女子高生たちが、
ポイントに置いてあるジャガイモや玉ねぎ、
肉などを地図を頼りに探していた。

迷路のような小径を、地図とコンパスを
読みながら探すのは、結構難しく手こずっているチームも見かけた。
探した材料でBBQを楽しむとのこと。

オリエンテーリングは都会から来た
高校生には、良い思い出になることだろう。



予定変更で時間が余ったので、また昔お世話に
なった集落に寄って、四方山話をしてきた。

集落のおじいさんが、外の流しで
歯を磨いていて、熊にお尻をひっかかれたとか、
おばあさんが飼い犬の餌を食べているカモシカを
見つけ、棒切れで叩いて追っ払ったとか、浮世離れした話に笑えた。




棚田も金網と電柵で厳重にガードされ、
青い稲が丈夫に育っている。

行く度に、昵懇にしていた人たちが亡くなり、
寂しい思いが募る。

飛騨の木こりの伝統を継ぐ林業一家の
長男が、伐採作業中になくなった。

この親子には、作業現場を見せてもらったり、
チェンソーの扱い方も教わった。

凍える雪山の作業は、想像以上に過酷で、
危険と隣り合わせであることを実感した。

同年輩の親父さんからは、熊猟の話や
ミツバチの飼育、キノコ栽培も教わった。

サワラの幹の巣桶や、マイタケの菌床を
頂いたのも懐かしい思い出だ。

今は仕事に戻り、跡取りの孫を鍛えているとのこと。
一日も早く立ち直られることを祈りたい。

雪椿の小枝や、初物のササゲ、あく抜きの
ワラビを手土産に、桃源郷を後にした。

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せせらぎ街道を通って高山へ

2015年06月22日 | 旅行

↑ 長良川サービスエリア

今朝早く名古屋を出て、高山に向かった。
東海北陸道の長良川SAで小休止し、懐かしいドッグランでは、
ワンちゃんたちものんびり寛いでいた。







郡上八幡ICを出て、せせらぎ街道の緑の
トンネルを走った。





道の駅「パスカル清見」で、2度目の休憩をした。
冷たい清流も川風も気持ちがいい。



ラベンダーも咲き始めて、甘い香りを放っている。



そば処「清見庵」の開店を待つ間に、
大倉の滝の見物をした。



途中の眺望スポットから、御嶽山や乗鞍漣峰を
見たかったが、あいにく雲の中だった。





以前暮らしていた集落を訪ね、
懐かしい人たちと無事を喜び合った。



亡くなった人や、高齢夫婦の田畑は、背丈ほどの
雑草が生い茂り、空き家の軒が大雪で落ちたままになっている。





朝夕散歩をしていた道路には、熊の出没を
知らせるポスターがやたら目立ち、箱罠もあちこちに設置されていた。

緑豊かな過疎の集落は、人が減ることはあっても増えることはない。
以前と変わらず、眠ったように静かだった。
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第3回・夏山フェスタ

2015年06月21日 | イベント


午前中は雨が激しく降っていたが、
午後には止んで日差しも戻ってきた。



雨の降りしきる中を名駅の「ウインクあいち」
で開催中の夏山フェスタを見てきた。



登山用品や山小屋、観光施設、旅行社などの
ブースが並び、登山愛好者がたくさん詰め掛けていた。



登山家や山岳関係者の講演やセミナーなども
開催され、最新の山岳情報を得ることができる。



ドキュメント御嶽「生還した私がつたえなければいけないこと」
を、登山ガイドの小川さゆり氏が語っていた。



山頂に到達し、火口を回る「おはち巡り」を
していたところ、突然噴火に見舞われた。

轟音と共に1メートルを超す噴石と真っ黒な
噴煙が襲う中を、水の枯れた一の池を横切り九合目の
小屋にたどり着いて、九死に一生を得たと語っている。



噴石の直撃を受けなかった運もあったが、
ガイドとして最短距離の崖を駆け下りる判断と、
体力が功を奏したようだ。

パニックに陥るのが人の常であるが、危険と直面
した時の行動が生死を二分するのだろう。

生還した後ろめたさと、亡くなった人へ
思いやりが、淡々とした口調から滲み出て、とてもいい話だった。


↑ 前方が山頂剣ヶ峰

3年前にお鉢巡りをしたが、火口から数百メートルの
切り立った崖を歩くコースで、硫黄臭い噴煙を間近で見ることができる。



もしここで噴火に遭ったら、ルートを外して
崖を駆け下る勇気も体力もないので、身をかがめて運を天に任せていたことだろう。

山岳遭難の現場報告をした岐阜県警山岳警備隊長は、
もと住んでいた集落の出身で、ご両親から山菜や
きのこ採りを教わったことを思い出した。
険しい山は登らなくなったが、あちこちで山の思い出だけを見つけている。
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昨日は中華、今日イタリアン

2015年06月20日 | 食べる

↑ 伝馬橋から桜橋方面

今日は時々薄日が漏れ、蒸し暑さが戻ってきた。



堀川端から下園公園あたりを歩いtきたが、
湿気が肌にまとわり付くようだった。

昨夜は学生時代の仲間と、今池の中華料理店で
酢豚や海老チリソース、牛肉細切り炒め、麻婆茄子、
鶏肉野菜炒めなどの定番料理と、締めにカニ炒飯と餃子まで平らげた。



今日はもと会社OB会の「美味探訪サークル」が、
中区丸の内の「ダイニングバーユニコーン」であった。



創作イタリア料理をうたい、魚は三河湾、肉は
知多半島の旬の食材を売りにしている。



ヒラメのカルパッチョ、鶏のやわらか煮、チーズの玉子焼き、
しらすとブロッコリーのペペロンチーノ、豚肩肉のロースト、
季節野菜のイタリアンサラダ、ブラットオレンジソルベなどが
次々とテーブルに並び、大皿が空になっていく。



同世代のメンバーの、よく食べよく飲む姿に驚くが、
たまにはカロリーも塩分も気にせず、美味探訪できるのは
幸せなことかも知れない。
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東山一万歩コースを歩いた後にOB会へ

2015年06月19日 | 歩く


今日も曇りマークで、すっきりしない梅雨空が続いている。
たまにはカラッとした青空に映える、木々の緑を見たくなる。



雨の気配はないので、東山一万歩コースを歩いてきた。







ここもお気に入りのコースで、周回した後に
植物園へ行く楽しみがある。

もと会社OB会の会合があったので、バラやアジサイは
お預けにして、会場へ向かった。

行事スケジュールの確認や報告やらを終え、
雑談混じりの会食をして散会した。

今月も残り3分の一になったが、会合がある毎に
予定表が埋まっていく。
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梅雨寒の名古屋

2015年06月18日 | 暮らし


関東や九州は激しい大雨に見舞われたが、
幸い名古屋は荒れることはなかった。

梅雨寒の今日は、季節が1ヶ月ほど
戻ったようで、しのぎやすい1日だった。



午後は円空仏彫刻の稽古日で荒子観音寺で過ごした。
本坊のアジサイは、ほど良いお湿りで鮮やかさを増している。

教室は会員の熱気で暑かったが、終わって
帰る境内の空気は、ひんやりとして心地よかった。


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ヨコハマ摩天楼から「いだかの森」へ

2015年06月17日 | 歩く

↑ 田植えの終わった井堀の棚田

高層ビルの林立に圧倒された横浜から戻り、
名東区から長久手市に広がる「いだかの森」を歩いてきた。






↑ ハンの木とアザミ

雑木林を通り抜ける風や、ウグイスの
さえずり、野に咲く花はいつも通りだが、なぜか新鮮に感じる。


↑ 背丈を越えたヨシ原





↑ 塚の杁池の睡蓮

2時間ほど歩いて、都会の疲れを汗とともに流し、
刺激的な景観で昂ぶった気分も鎮めてきた。
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港の見える丘公園~山下公園からシーバスで横浜駅東口へ

2015年06月16日 | 旅行



↑ 本牧、根岸方面

「みなとみらい横浜」のホテルを出て、山手の
外人墓地あたりを散策し、「港の見える丘公園」から
横浜港の眺望を楽しんだ。


↑ 大佛次郎記念館

↑ 神奈川近代文学館
大佛次郎記念館が休館日だったので、近代文学館で
神奈川県ゆかりの作家の資料を見物した。


↑ フランス領事館跡

旧フランス領事館のあったフランス山を下り、
山下公園に出た。




氷川丸やマリンタワー、ホテルニューグランドの本館は、
まだ小さかった子供達を連れて遊びに来た頃のままだが、
周りの風景は高層ビルやマンションで一変していた。


ここからシーバスに乗船して、横浜駅東口へ向かった。


↑ 山下埠頭

↑ 大桟橋

↑ レインボウブリッジ

↑ 赤レンガ倉庫

↑ みなとみらい船着場

船上から湾岸風景やレインボウブリッジの
眺望を楽しみ、赤レンガ倉庫やみなとみらい桟橋
に寄って、東口の船着き場で下船した。


↑ 横浜駅東口ビル街

↑ 東口船着場
東口の風景も大きく変わり、運河周辺は
整備され、高層ビルの林立に圧倒される。


↑ そごう百貨店

当時の記憶は、国道1号線沿いのそごう百貨店と
崎陽軒ぐらいしか記憶にない。

蒸し暑い横浜の二日間は、何かと昔のことが
思い出される、センチメンタルジャーニーであった。
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