名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

山里のなごり雪

2011年03月31日 | セカンドルーム

 

今朝、目が覚めて窓の外を見たら雪が降っていた。
空は鉛色の雲が垂れ込め、寒風が頬を刺す。


今日で3月が終わるというのに、いまだに三寒四温の繰り返しで、季節の気まぐれに体が付いていけない。
薄っすらと積もっていた雪は、真冬のように積もることも無く、すぐにあとかたもなく消えていく。

この時期に降るはかない雪は、淡雪と呼ばれているが、なごり雪と呼んだほうが似合いそうだ。

 ♪君が去ったホームにのこり 落ちてはとける雪を見ていた いま春が来て~♪♪
雪に対する思いはたくさんあるが、なごり雪、もどり雪、細雪など、散り際の桜と同じで、何とはなしに滅びの美しさに惹かれる。
山里では、4月になっても雪は降るし氷も張る。
なごり雪と呼ぶのは、まだ少し早いかもしれない。

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山里のお風呂事情

2011年03月30日 | セカンドルーム

 

柔らかい春の陽射しが山里にもやって来て、雪解けが急速に進んでいる。
家の表側は屋根の雪が無くなり、裏側もわずかしか残っていない。

畑の雪も薄くなり、間もなく黒い土が顔を出すだろう。

わが家は上下水道が来てないので、すべて湧き水を利用している。
山の尾根まで家も田畑も無いので、安全でおいしい水を毎日飲むことが出来る。
名古屋へ帰る時もポリタンクで持ち帰っているが、水道水に比べると、やはり飲みやすくておいしい。
ポンプで汲み上げた水は、台所や風呂場にパイプを通して引いている。
12月から3月まではパイプの凍結を防ぐために、露出部分にヒーターを巻いて保温している。
まだ、朝晩は氷点下の冷え込みだが、もう凍結することもなさそうなので、今日ヒーターの電源を切った。
毎年通電していても、風呂場だけは地中のパイプが凍結して、4ヶ月ほど使えない。


ここ数日暖かい日が続き、ようやく風呂場の水も使えるようになったので、浴槽や浴室の掃除をした。
まえに、ここに住んでいた人は風呂にこだわったリフォームをして、お湯を沸かす方法も薪の釜と、プロパンの湯沸かし器、灯油ボイラーのスチームと、3通りが用意されている。
しかし、タイル張りの浴室はとても寒く、ステンレスの浴槽はお湯がすぐ冷めてしまうので、冬場は水が通じていても入る気がしない。

灯油ボイラーを使った小さなスチームサウナもあるが、閉所恐怖症気味なので、一度も使ったことは無い。
お金をかけた割には寒冷地向きでないので、小さなユニットバスのほうが余ほど快適だろう。

今日は使っていなかった風呂場の掃除をして、いつからでも入れるようにしておいた。
名古屋に居ると、毎日風呂に入れられたり、肌着も変えさせられるが、ここでの入浴は週に1回ほど近くの温泉に通っている。
家人には不潔だといわれているが、冬は汗をかかないし、空気もきれいなので肌着も汚れないと言い訳をしている。

 


ぼつぼつ週一の温泉通いも終わりになってきたので、久しぶりに平湯の日帰り温泉「山がの湯」へ行ってきた。
温泉街はいつもより静かで、露天風呂を独り占めにした後、食事処ですき焼き定食を食べ、休憩室で高校野球を観戦してのんびり過ごしてきた。
冬の間、温泉のひとり遊びを楽しんでいたが、今シーズンも終盤を迎えた。

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山里の空をクマタカが飛んでいた

2011年03月29日 | セカンドルーム

 

クマタカが飛翔しているところを、運良く写真に収めることが出来た。
悠々と旋回しながら獲物を探している様子は、大きさから見てクマタカであることがすぐに分かった。
今までも度々目にすることはあったが、カメラを取り出している間に視界から消えたり、背景が森で姿がはっきりしなかったりして、撮ることが出来なかった。
特に蛇などをくわえて巣へ戻る時は、スピードが速いのでシャッターチャンスを逃していた。

今回は、野良仕事帰りのおばあさんの写真を撮っていて、ふと上を見たらクマタカが旋回していた。
すかさず空に向かって撮った1枚に、クマタカが入っていた。
ズームで撮ったのは、残念ながらスピードに負けて全部外れていた。
近所にはクマタカを調査する固定カメラが設置してあったり、一日中研究者が望遠レンズを構えている姿をよく見かける。

クマタカは生息数が減少しているので、絶滅危惧種として、捕獲や売買など厳しく規制されている。
こうした保護活動の一方で、ダム工事や大規模農道の建設、荒廃した人工林の拡大など、クマタカの減少に拍車をかけている。
最近は自然保護に対する関心が高まり、クマタカの巣一つでダム工事が中止になったり、万博会場の変更なども起こっている。
生活の利便性や快適性を今後とも追求するか、少々の不自由を我慢して、野生動物と共生できる自然環境を残すかは、常に議論の分かれるところである。
自然界は常に循環しているので、クマタカやクマが住めない所で、人間もやがて住めなくなる筈だ。
人間だけが自然循環の埒外に居ると思っていると、必ずしっぺ返しが来るだろう。

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飛騨の山里にも春の日差しが

2011年03月28日 | セカンドルーム

 

戻り寒波で雪が降ったり止んだりの寒い日が続いていたが、ようやく春の日差しが戻ってきた。
朝は氷点下で寒さは厳しいが、強い日差しで南斜面や屋根のの雪は、目に見えて解けていく。


雪に隠れていた水路も姿を見せて、朝の光を温かく反射している。


風の無い日は、雪面からも陽光がはね返ってポカポカと暖かいが、日除けをしないと真っ黒になる。

 


部屋の中へも暖かい日差しが入り、日向ぼっこが気持ち良い。

いつも小屋に篭っていたユキも、心地良さそうに寝そべっている。
晴れた日は、飼い主ともども春の日差しをいっぱい浴びて、身も心も緩んでしまう。

 

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岩井神社の春祭り

2011年03月27日 | セカンドルーム

 

早朝は小雪が舞っていたが、散歩から戻ってくる頃には止んでいた。
荒れ模様の天気も今朝までで、久しぶりに青空を見た。


今日は岩井神社の春祭りで、朝8時に神社に集合して、境内や石段の雪かき、神殿の清掃など祭りの準備をした。


掃き清められた神域は、森閑とした静けさで、霊気が漂い神が宿ることを実感できる。
宮司の説明によると、春祭りは祈年祭が正式の呼び名で、「年」は米を表わし、豊かな米の実りを祈念して行われるとのことだ。
昔から集落の人たちは、春が来て田畑や山に入る時に、鎮守の森で豊作や安全を祈ってきた。
代々引き継がれてきた神事は、つつましくて素朴であるが、米の出来不出来が、幸せや豊かさにつながるという切実な思いが籠められている。
今年は、祈年祭の神事が始まる前に、宮司に合わせて、東日本大震災で亡くなられた方々への黙祷と、復興の祈願も行われた。
毎年の祈年祭で、新入学や卒業する人たちが玉串を奉奠して、学業成就や諸事安全を祈りお祓いをしてもらう。


集落の小学校は、今春6人が卒業して、2人の新入生が入ってくる。
過疎少子化の進展に歯止めが掛からず、寂しい限りであるが、親子で玉串を捧げる姿はほほ笑ましくもあった。

 

祭りが終わった後は、神饌を頂きながら直会(なおらい)が始まる。
お互いが支え合わなければ成り立たない山里の暮らしで、春祭りは人々のつながりを深める場にもなっている。
春浅い山里の祈年祭は、底冷えの寒さであったが、温かい触れ合いで、祭り本来の姿を見ることが出来た。

 

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飛騨は今日も春の雪

2011年03月26日 | セカンドルーム

 

今朝も北西の風が強く、昨夜積もった雪が地吹雪となって飛んでいた。


日本海から流れてきた雪雲が上空に掛かると、今度は本物の雪が空から降ってくる。
湿った雪雲は両白山地や飛騨山脈にぶつかって、大量の雪を降らせた後、乾燥した空気となって太平洋側に流れていく。
ここは四方を山に囲まれた小さな盆地なので、風は唸りながら山の上を通り過ぎていくが、たまに迷った風が吹き降ろしてくる。
今日のような日は山も大荒れで、猛吹雪や雪崩で近づくことは出来ない。


ユキ(柴犬)は、戻り寒波も物とせず、飼い主が起きたことを知ると、大きく伸びをして散歩の準備をする。
今朝の散歩は、雪が深い林道を避けて、近所を30分ほど歩いてきたが、ユキにはちょっと物足りないようだった。

ボウルの水もすぐに凍るので、度々割っているが、こんなことは3月では珍しい。


お昼ごろ買出しで町のスーパーへ行ってきたが、道路際の電光表示はマイナス6度を指していた。
春休みに入った週末の街は、いつもに比べるとずいぶん静かだった。
寒波のせいでなく、震災の影響で観光客が減っているとのことだ。
高山は、ミシュランの三ツ星評価で、外人観光客が急増していたが、今日はほとんど見かけなかった。
飛騨地区の宿泊施設は、3~4月の予約キャンセルが2万人を超え、大半が外国人観光客とのことだ。
これからシーズンに入る観光地へも、じわじわと影響が出始めている。

夕方になって、断続的に降っていた雪もようやく上がり、東の空に青空が広がっていた。
これで居座っている寒気も、立ち去ってくれるだろうか。

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飛騨の朝は雪景色

2011年03月25日 | セカンドルーム

 

ゆうべ降った雪で、まわりの景色が一変していた。


野山はお化粧をし直し、枯れ木に咲いた花が、朝の陽射しを受けてキラキラと輝いていた。
晴れ間も朝の一時で、すぐに日が翳り、冷たい北風が吹き抜けていく。
朝咲いていた花も風に飛ばされて、はかなく散ってしまった。
灰色の空に舞う風花は寒々として、とても3月の空とは思えない。
夕方になって、今度は本物の雪が舞い始めた。
低気圧の接近で、今夜も雪になりそうだ。

 春は名のみの、3月の雪景色をご覧ください。

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霜と霜柱は春の兆し?

2011年03月24日 | セカンドルーム

 

土手に自生する水仙のつぼみが黄みを帯びて膨らんできたが、今朝は霜をまとって縮こまっていた。


この寒さでは、開花も4月になりそうだ。


まわりは無粋な猪の仕業なのか、重機を使ったように派手に掘り起こされて、食べ残しの球根が散乱していた。
生命力の強い水仙は、いつも猪や霜に傷めつけられても、たくましく子孫を増やしながら咲いてくれる。


傍らの畦には、10センチ以上もある霜柱が林立していた。

形は直立したり横を向いたり、時には大きくお辞儀をしているものなど様々で、いずれも頭に土や枯葉を乗せている。

中には板状や球状のものまであり、霜の芸術作品は表情が豊かだ。
霜は薄日が差せばすぐに消えていくが、霜柱は解けることなく、午後遅くまで残っている。
寒い日が続くとそのまま残って、2階建ての霜柱を見つけることもある。
霜も霜柱も、雪が積もっている間は見ることが出来ないので、これも春の兆しの一つと言えるのだろうか。
山里は春泥とは程遠く、今日も凍てついたままで日が暮れた。

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飛騨の春祭り事情

2011年03月23日 | セカンドルーム

 

今朝は、昨日に比べると北の風が強くて凍えるような寒さだった。


雪解けの進んだ田んぼは、再び氷が張り、土手には霜柱が立っていた。
こんな日は、寒くて不自由な避難所の方々のことが頭をよぎる。

話はがらっと変わるが、飛騨地方では雪解けを待って、各地の氏神様で春祭りが執り行われる。

 去年の春祭り


ここ、岩井神社でも3月27日に春の例祭が行われる。
秋の本祭りと違って祭り行列や獅子舞などは無く、氏子たちが本殿に集まり、五穀豊穣や家内安全を祈願する神事だけがひっそりと行われる。
あちこちの鎮守の森のから祭囃子が聞こえてくると、長い冬が明けて野良仕事が本格的に始まる。
飛騨の三大春祭りといわれる、高山祭(4月14.15日)、古川祭(4月19.20日)、神岡祭(4月23日)も、東日本大震災の影響で対応が分かれている。

 起し太鼓

古川祭と神岡祭は、神社での神事を除く全ての行事が中止になり、神輿行列、屋台曳行、起し太鼓などは行われなくなった。
高山祭は、市観光課によると例年通りに行われるとのことだ。


特に今年は、秋の高山祭で有名な桜山八幡宮で、5月3日~5日まで、30年ぶりに式年大祭が行われる。
この祭の起源は古く、神社が修理造営された時や、天災や世情不安の時などに行われ、「世直しの大祭」とも呼ばれていたという。
桜山八幡宮が、飛騨中の神社を招いて、それぞれが祭行列を仕立てて桜山八幡宮に向かい、闘鶏楽や獅子舞などを奏上する。
わが集落の氏神様も参加する予定で、私も祭行列の一員に加わることになっている。

規模縮小の議論や、中止になった祭行事の復活嘆願が出るなど、飛騨地方は観光と神事の狭間で揺れ動いている。
150以上の神々が集まる大祭で、天変地異を鎮め、人々の安全や安寧を祈願する神事は、粛々と執り行うべきで、被災地の復興を祈願し、犠牲者の冥福を祈ることは時宜にも適うと思う。

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山里の雪解け風景

2011年03月22日 | セカンドルーム

 

昨日の雨が、まわりの雪を勢いよく解かしていった。


屋根の雪も残り少なくなり、雨樋から溢れた雪解け水は、雨が上がった後も地面を激しく叩いている。


谷川は水かさを増し、瀬音が遠くに居ても聞こえてくる。
これも春を告げる音で、心地よい響きが心を和ませてくれる。

朝の林道は、まだ凍て付いているが、一頃の肌を刺すような寒さを感じない。


桜の花芽やたらの芽も固く閉じたままだが、いくらか膨らんできたようにも見える。


スギ花粉情報は、ほとんどの地域が「非常に多い」となっているが、飛騨も「少ない」から「多い」に変わり、間もなくピークを迎えそうだ。
長くて厳しかった冬もようやく終わりを告げ、例年通りに春の兆しを五感で味わっている。

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「飛騨の山里便り」を再開します

2011年03月21日 | セカンドルーム

 

悪夢であってほしいと祈った日から10日が経ちました。
今も被災地の状況は目を覆うばかりで、現実に起こった悲劇は、どんなドラマよりも悲しみが深く、涙が溢れてならなかった。
家や家族を失った人たちの悲しみを察すると、本当に胸が締め付けら、被害の甚大さに言葉を失うばかりだ。
未だに、数十万人の人たちが、余震や放射能などの不安の中で過酷な避難所生活を過ごされ、1万人を超す人たちの行方が判らない。
ありきたりの言葉しか見当たらないが、被災者の方々が一日も早く平穏な暮らしを取り戻し、一人でも多くの方々が無事に救出されることを願うばかりだ。
 

1週間ぶりに、「飛騨の山里便り」を再開することにしました。
しばらく名古屋で過ごしていたが、街の様子も人の動きも表面的にはいつもと変わりはなく平穏に流れていることが、被災された方々に申し訳なく思えてならなかった。
多少の変化もあって、近所のスーパーで山積みされているはずのインスタント食品や飲料水、米、電池などの棚が空になっていたり、一人当たりの個数制限の掲示がされていた。
アウトドアショップも、山食や非常食の在庫が切れ、携帯用のコンロやランタン、ストーブ、ヘッドランプなども同じように無くなっていた。
業者が被災地へ優先的に出荷したり、被災家族へ送るための品切れであれば我慢しなければならないが、一時の不安解消の過剰反応であれば、困っている人たちを一層苦しめることになる。
名古屋のホテルは、海外から来る客のキャンセルが相次ぐ一方で、首都圏からの大口や長期滞在の予約が集中していると報じていた。
原発事故の影響で、外資系企業を中心に一時的に安全な場所に移して仕事をする構えとのことだ。
これも過剰反応の一つだと思うが、一人だけ生き残って、何をしようというのだろうか。

高山は観光客が激減して、宿泊施設や観光スポットは閑散としているが、町のスーパーはいつものように商品は並んでいるし、ガソリンスタンドに行列が出来ることは無い。
被災者家族が伝を求めて、市営住宅や市有施設、親戚などを頼って避難して来る人が相次いでいる。
自治体の被災者支援活動が進んでいることはとても心強い。
 
海外メディアは、被災者がお互いに助け合って整然と行動している姿や、幼児やお年寄りを労わる様子を驚きの目で報じている。
過酷な状況下にも拘らず、略奪とか支援物資の奪い合いや、列を乱すことも無く、じっと順番を待つ姿に感銘したとも伝えていた。
テレビのインタビューに答える被災者も、異口同音に感謝の気持ちを述べながらの支援のお願いや、もっと気の毒な人もいるので贅沢は云えないと、言う人たちの健気な姿は涙を誘う。
その一方で、石原慎太郎の我欲・天罰発言は、礼儀正しく心の美しい人たちを、どれほど傷つけたことだろう。
この驕りの発言は、震災に便乗した悪質商法や、善意を装った義捐金の振り込め詐欺と同じ罪に価する。
昼夜を問わず決死の救援活動に携わる人たちや、苦難にじっと耐える人たちがいる中で、このように心卑しい人間の存在が恥ずかしくてならない。
また、政府や役所、消防、警察、自衛隊、東電など、不眠不休で復旧や救援活動に携わる人たちの姿にも感動した。
レスキュー隊の奥さんからのメールで、「救世主になってください」に思わず涙したが、陰で支えている人たちが居ることも忘れてはならないと思う。
対応の遅れや不手際を非難する人もいるが、平穏な茶の間に居て批判をすることは出来ない。

東北関東大震災に関して思うことは多々あるが、今は非常時であることをわきまえて、復旧に取り組む人たちに心からのお礼と感謝の気持ちを送り、被災された人たちに精一杯の応援を続けたいと思う。
 

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当ブログの更新はしばらく休みます

2011年03月13日 | セカンドルーム

今日の名古屋は快晴で、初夏を思わせるような天気だった。
こんな穏やかな休日の一方で、餓えや渇き、寒さに苦しむ人、肉親の安否を求めて探し続ける人、大勢の犠牲者のいることは、理解をはるかに超える現実である。

高山市役所のホームページで新着情報を見ていたら、東北地方太平洋沖地震に関する記事が出ていた。
 
・3月12日付で、「3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震では、電力供給設備に大きな被害が出ており、被災地域では電力の供給力不足が生じることが見込まれています。周波数変換の関係で、この地域から被災地域へ供給できる電力には限りがありますが、市民のみなさまには災害支援のひとつの取組みとして、節電に努めていただくようご理解とご協力をお願いします。」
 
・3月13日付で、「今回の地震をきっかけに携帯電話などで、救援物資を募る出所不明のチェーンメールが広がっているようですが、被災地への救援物資の提供については、ルートが確保できていない状況です。 市としても、そのルート確保について情報収集に努めているところですので、ご案内できるようになりましたら、 あらためてみなさまのご協力をお願いします。 市民のみなさまには、正しい情報に基づいた行動をお願いします。」
 
・3月13日付で、「3月11日に記録的な震度を観測し、家屋の倒壊や津波により被災された東北・関東地方の方を支援するために、義援金募金箱を設置します。皆様のご協力をお願いいたします。
 設置場所 市役所本庁および各支所
 なお、集められた義援金は日本赤十字社岐阜県支部に送金します。
など等、東北地方太平洋沖地震に関して、市民に対するお願いや協力依頼が、素早い対応で載せられている。

こうした動きは、愛知県や名古屋市の公式ホームページでは見当たらない。 大きな組織でのきめ細かい対応は難しいのだろうか。
 
13日現在の日本赤十字社のホームページは、
〈義援金について〉
 このたびの義援金につきましては、関係機関と調整中ですので、ご案内できる段階になりましたら、日本赤十字社のホームページ等でご案内させていただきます。
 なお、原則として個人の方からの物品の寄贈は受け付けておりませんので、ご了承ください。
 
〈ボランティアについて〉
 ボランティア活動へのご協力のお申し出につきましては、現在、被害状況の把握に努めているところですので、現時点ではご案内できる情報はありません。
 ご案内ができる段階になりましたら、日本赤十字社のホームページ等でお知らせする予定です。
 などの記載があり、義捐金は行政機関などを通して受け付け、ボランティア活動も体制が整い次第案内があるようだ。

出来ることは限られているが、小さな善意が積もれば被災された人たちに少しは役に立つだろう。
前回も書いたが、この国難とも言える大災害は、国民全員が等しく受け止めなければならない。

被災者の皆様に、心からお見舞いを申し上げます。  

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東日本大震災

2011年03月12日 | セカンドルーム

 

 

昨日のお昼前に高山を出て名古屋へ向かった。
家を出る頃は小雪が舞い、道路脇の気温の表示はマイナス5度で、路面凍結を示していた。
いつものように「せせらぎ街道」経由で、郡上八幡ICから東海北陸道に入った。

激しく降っていた雪も、美濃市辺りからは止んで、時折陽射しも出ていた。

家に着いて二人でお茶を飲んでいたら、家が突然揺れ始め、緩やかな横揺れは数分間続いたように思う。
先日高山で起きた震度4の地震は、突然がたがたと上下に振動して家鳴りがしたが、今回は同じ震度でも体感的にはずいぶん違っていた。
テレビから地震速報が流れ、震源は三陸沖で津波警報や、余震に対する警戒とともに、一部被害の状況などを伝えていた。
最初はテレビ局内や役所内部の様子を伝える程度であったが、時間とともに被害の深刻さが広がっていく状況は、阪神淡路大震災を思い出す。
今朝になって、新しい被害の状況を刻々と伝えていたが、いずれも目を覆う惨状で、被災者への見舞いの言葉すら見当たらない。
またしても、自然の脅威を前に、人間の非力さを思い知らされた。  この激震災害の痛みは、被災者だけでなく国民全員が等しく受け止めなければならないと思う。

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山里の春は雪景色

2011年03月11日 | セカンドルーム

 

真冬のような寒さが続いているが、今朝も雪で明けた。
夕方まで雪マークが並んでいるが、時折薄日も漏れるので、多くは降らないだろう。

黒い土が見えていた田んぼは、再び雪で覆われている。


雪の重みで寝ていた竹やぶも、春が来たのに起き上がれない。


干草の白い衣は、3月の風景には不似合いだ。

平野部では、スギ花粉が飛散のピークを迎えているようだが、まだ飛騨地方はそれほど多くはない。
冬のような日が続いているので、花粉も固い殻を破って飛べないようだ。
おかげで症状が出なくて助かるが、いずれ一斉に飛び散ることだろう。


まわりにはスギの木がいっぱいあるので、飛び始めれば防御していても、見えない敵は鼻や口、目から侵入してくる。
花粉症で、顔をクシャクシャにしていた猿をテレビで見たが、相憐れむ仲間の姿が可哀相だった。
ネットで調べると、飛騨の飛散は「少ない」であったが、その他の地区は「非常に多い」で、マスクをした顔のクシャクシャマークが連なっていた。
毎日スギの実を1粒ずつかじっているが、その効果を期待したい。

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薪が底をついた

2011年03月10日 | セカンドルーム

 

天気が目まぐるしく変わっているが、冬型の気圧配置は明日まで続くようだ。
夕べから今朝方まで雪が降り、寒さは相変わらず厳しい。


散歩中は雪が降り続いていたが、戻ってきたときには、雲が切れて晴れ間が出てきた。


今年の冬は、例年に比べると寒さが厳しく、ストーブ用の薪の消費量も増えている。
薪置き場から居間の外側へ運んだが、乾燥薪はこれで底をついた。


薪棚が少しずつ少なくなっていくのは、見ていても心細いし、気分のいいことではない。
乾燥してない薪でも使えるが、火付きが悪かったり煤が出るので、1年以上乾かして使っている。
あと1ヶ月ほどは、来シーズン用の未乾燥薪を使うことになりそうだ。
いつもは、余裕を持って次のシーズンに持ち越していたが、今年は使い過ぎたようだ。
裏山から切り出しているので、労力以外に費用は掛からないが、高騰している灯油を使っていたら費用もかさんだことだろう。
もっと貯金をしておけばよかったといつも思うのだが、これは後の祭りだ。

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