昨日登った帰雲山(1.622m)は、岐阜県白川村にあり、未開の藪山で積雪期以外に登るのは難しい。
白川郷のどぶろく祭りで有名な八幡神社脇の作業道を経て、宮谷林道を詰めたあたりから手ごろな尾根を見つけて登っていく。
登山道や標識の類は無いが、山スキーをした人達の赤いテープを目にするが、地形図とコンパスで確認しながら登った方が安全だ。
好天にも恵まれ、5時間ほどで帰雲山の山頂に立つことが出来た。
時間も早かったし、余力もあったので前方に聳える猿ケ馬場山まで往復しようと、鞍部まで下った。
そこから頂上まで往復1時間と読んで、モミの大木の根元にザックをデポして登ることにした。
猿ケ馬場山の広い山頂で眺望を楽しんだあと、モミの林を目指して下り、デポした場所に戻ったつもりだったがザックは無かった。
まわりには似たような樹形のモミの木がたくさんあるので、周辺を探して歩いたがどうしても見つからない。
もう一度途中まで上り直して、足跡を辿ろうと探したが、雪面が硬くて僅かな跡も強い日差しで消えていた。
2時間ほど粘って歩き回ったが、タイムリミットも近づいてきたので、空身で下山する羽目になってしまった。
反省点は色々あるが、非常食や防寒着、雨着、ヘッドライトなどの入ったザックをデポした事、紛らわしい目印を選んで置いた事などが考えられるが、謎に包まれた山のせいであったのかも知れない。
帰雲山は、天正大地震(1586年)により山腹が大崩壊を起こし、山麓の「帰雲城」もろとも領主の内ヶ島氏一族郎党をはじめ、城下町の領民の殆どが埋没してしまった。
領主の内ヶ島氏は山師の出で、飛騨一円の鉱山を開発し、時価数千億円の金が埋蔵されたままになっていると伝えられている。
埋蔵金探しに帰雲山に入った人が行方不明になったり、下山後に急死した人も多いと言われている。
埋蔵金を探すつもりは無かったが、さ迷い歩かされたのは、いまだに道なき秘境の山には、物の怪が棲み付いているのだろうか。
行方不明にもならずに下山出来たのは、ザックが身代わりになってくれたのかも知れない。