先日、岩崎御嶽山を訪れた時に、浅野祥雲の作と
言われる、コンクリート像を数多く見てきた。
いずれも、垢抜けない素人っぽさに、
なんとも言えない味があった。
昔の銭湯の富士山や、心斎橋の「くいだおれ太郎」に
似た泥臭さが、妙に脳裏に焼きついて離れない。
浅野祥雲は、岐阜県中津川生まれの、コンクリート像作家で、
昭和初期から40年代にかけて、中部地方を中心に多くの作品を残している。
「ほとんどが身長2メートル以上の人物像(仏像)で、コンクリートの
表面にペンキで着色され、一箇所に集中して林立することが特徴である。」(wikipediaより)
どの作品も、歴史や美術界で評価されず、大寺院や古刹で
目にすることはないが、B級スポットの、ゆるキャラ的な像に惹かれる人は多いという。
各地で目にする弘法大師像は、鋭い眼光とキリッと
結んだ口元から、威厳と気品を感じて、思わず手を
合わせるが、岩崎御嶽山の大師像は庶民的で愛嬌があり、
口に締まりの無いところに親しみが湧く。
毘沙門天も、仏法を守る厳しい武神であるにもかかわらず、
邪鬼を踏みつける姿から、荒々しさが伝わってこない。
どういう訳か、踏まれてる鬼に邪悪な形相や苦悶がなく、
満更でもなさそうな表情が、アブノーマルで可笑しい。
霊神場のコンクリ像も、亡くなった信者の写真をもとに、
作ったと言われているが、いずれも民俗信仰の素朴さがあり、土の匂いがしてくる。
ペンキが剥げ落ちた像や、一部が欠けた地蔵に、怪しげな
空気を感じなくもないが、どことなく愛嬌があるので、
心霊スポット的な不気味さも感じない。
調べてみると、犬山の桃太郎神社や、日進市の五色山・大安寺(五色園)、
南知多町の中之院・軍人墓地など、多くの祥雲像聖地がある。
稀有な作家の像を、これ以上巡ると惹き込まれそうだが、
乗り掛かった船と、いつの日にか、 訪ね歩いてみたい。