決まった散歩コースがあるわけではないが、朝は人家から離れて山の方に向かうことが多い。
のんびり犬を連れて散歩をしている姿を、人に見られるのが何となく気が引けて、人のいない山の方に足が向く。
都会では早朝のジョギングやウォーキングは普通の風景だが、このあたりでは散歩をする人の姿を見かけることは無い。
普段の仕事以外にも冬は雪かきをし、夏は草刈をするなど休みなく働いているので、それ以上体を使うことを避けているのかも知れない。
隣の家に回覧板を届けるのにも、軽4輪に乗って来るくらいで、仕事に備えて体力を温存しているようだ。
その結果高齢者も春になれば、元気に日の出から日没まで野良仕事に明け暮れる。
それを見習った訳でもないが、最近は趣味の登山のために体を鍛えることは止めてしまった。
日ごろのトレーニングは、若い時はそれなりの効果はあったが、今は辛い思いをしても、衰えた筋力や体力が向上したという実感は全然ない。
骨身を削って余分なエネルギーを浪費するよりは、体力を温存しておいた方が、ハードな登山にも耐えられるような気がする。
老化が止まる訳でもないので、衰えた分は装備やスポーツサプリメントでごまかしている。
それはそれとして、散歩の習慣がないこの集落で歩くのは、季節ごとに、又その日や時間によって変わる風景に惹かれることと、近所の人たちとのコミュニケーションの場になっているからである。
昨日は猫やなぎを見つけたが、今朝は杉の実が膨らみ、今にも弾けそうな様子を見つけた。
段々畑の池の氷が解けて、緋鯉が雪覆いから出て泳いでいた。
そんな何気ない風景から、春を感じて喜んだり、再び雪と氷に閉ざされて悲しんだりしながら春を待っている。
「飛騨の山里暮らし」 2月号をUPしたのでご覧ください。
楽しく拝読しております。
できることなら、足跡を尋ねてみたいとさへ思いました。
雪庇を踏み抜く危険>山に慣れておられてもやはり危険と隣り合わせですね。
小1のころ、御岳教徒だった祖父の石碑除幕式に参加、金剛杖持った写真が残っています。
多分3合目あたり、その後一度見にいきましたが、車でいけました。
ありがとうございます。
私も季節や暮らしに合った過ごし方を、いつも見習ってます。
中国もきっと学ぶことが多いでしょうね。
何が厳しい修行に駆り立てたのかは、物質文明の真っ只中に居る我々では、想像も出来ませんね。
即身仏はともかく、滝行や断食など、考えただけで身震いがします。
霊山は自然の恵みや厳しさを身近に感じる麓の人たちが、信仰の対象にしたようです。
どこの霊山も開発が進んで、山の姿が変わってしまいました。
御岳も度々登ってますが、登山道には霊神碑がたくさん建ってますが、きっとその一つかもしれませんね。
信者は霊神になって山に還ると言われているようです。
確かにそうだ~と共感をしております。
私もウオーキングなどして少しは衰えを遅らせたい~
と思う反面、いつまで、続けるの?
という気持ちもあります。
雪解けで鯉が見えてきましたね~
ネコヤナギも春の訪れを告げているようです。
ちょっと独りよがりかな~、と思ったりしてます。
ウオーキングも楽しければ、効果は十分あるので、出来る間は続けてください。
そう思っていたらまた雪が激しく降ってきました。 やっぱり春は遠いです。
ほんの3センチほどですが。。。
朝日にあたってポタポタと溶けています。
もと乙女の恋心みたいな淡雪がいいのだけど・・・
こちらは重くのしかかるドカ雪ばかりです。