私のホームページやブログのタイトルは「かわ遊び・やま遊び」ですが、この言葉で「自然の中で行う遊び」を代表させています。

このような「自然の中で行う遊び」・・・たかが遊びですから難しく言う必要性は無いのですが、それを敢えて民俗学的に言うと・・・農山村の伝統的な民族習慣の流れを汲んでいると言えます。
つい最近までの農山村の姿を想い描くと、その仕事場は田んぼや畑だけではなく、山や野原、川や沢、ため池などに広がっていました。これらの場所ごとに、季節ごとに植物や動物など生き物が生まれ育っていて、私たち人間にとって食料や道具などの一部となっていました。
それを採集し捕まえる行為は金では買えない何かがあります。それは、仲間と分かち合う喜びであり、人よりも多くとる競争や自慢であり、自然の仕組みを体で覚えられる経験であり、自然の生き物たちとの駆け引きであるといったように、何故か夢中になれる楽しい仕事であって「遊び仕事」と呼ばれていました。
この「あそび仕事」は、主業である野良仕事と連続性を持って行われながらも経済性の低い、娯楽性の強いものだったのです。

現在は、農林業に従事する人たちが減ってきてノラ-ハラ-ヤマといった一連の場所の中で仕事をする人が少なくなりましたが、山菜採りやきのこ採り、さかな捕りなど自然の中での「遊び仕事」は「単なる遊び」として独立し、ますます盛んとなっています。
その「かわ遊び・やま遊び」の喜び楽しみを伝えるとともに、ルールとマナーを守った行動をしていただこうと開設したのが、このホームページとブログなのです。

このような「自然の中で行う遊び」・・・たかが遊びですから難しく言う必要性は無いのですが、それを敢えて民俗学的に言うと・・・農山村の伝統的な民族習慣の流れを汲んでいると言えます。
つい最近までの農山村の姿を想い描くと、その仕事場は田んぼや畑だけではなく、山や野原、川や沢、ため池などに広がっていました。これらの場所ごとに、季節ごとに植物や動物など生き物が生まれ育っていて、私たち人間にとって食料や道具などの一部となっていました。
それを採集し捕まえる行為は金では買えない何かがあります。それは、仲間と分かち合う喜びであり、人よりも多くとる競争や自慢であり、自然の仕組みを体で覚えられる経験であり、自然の生き物たちとの駆け引きであるといったように、何故か夢中になれる楽しい仕事であって「遊び仕事」と呼ばれていました。
この「あそび仕事」は、主業である野良仕事と連続性を持って行われながらも経済性の低い、娯楽性の強いものだったのです。

現在は、農林業に従事する人たちが減ってきてノラ-ハラ-ヤマといった一連の場所の中で仕事をする人が少なくなりましたが、山菜採りやきのこ採り、さかな捕りなど自然の中での「遊び仕事」は「単なる遊び」として独立し、ますます盛んとなっています。
その「かわ遊び・やま遊び」の喜び楽しみを伝えるとともに、ルールとマナーを守った行動をしていただこうと開設したのが、このホームページとブログなのです。