屁ならまだ良いがおならの気の毒さ
いきなりの川柳である。ここから現代文のコツを説明するのも面白かろうと思いついての出だしである。
●現代文が苦手だという方によく言っていたのが、まずは「対比」を意識しようだった。以前、『現代文の解法レジュメ』(幸い、複数の教員、講師の方の支持を受けた記事)に以下のような項目をあげた。
☆「評論文」三大注意事項
作者の独自の主張→ 共有したい!=客観化=文章化
★対比=反対を追う
★変形=(表現レベル・内容レベル)=同義を追う
★論理=(証明過程・接続関係)=接続を追う
●論理を追うのは難しいが「対比」を読み取れると各々のグループで「変形(同義・同類)」を追え、気づかずに「論理」をたどっていけるからである。
●が、だ。
●「対比」がつかめないという方もいらっしゃる。なもんで、まずは川柳という超短い文「章」から攻略しようと思いついたわけだ。
再掲。
屁ならまだ良いがおならの気の毒さ
この川柳で対比されているものに気づけただろうか。それは「屁」と「おなら」である。「屁」=「まだ良い(プラスイメージ)」「が(逆接)」「おなら」=「気の毒さ(マイナスイメージ)」なのである。え? 「屁」と「おなら」が違う? と驚く人もいるだろうが、現代文というのは得てしてそういうものだ。
主要対比パターン
日本―外国 今―昔 精神―物質 プラス―マイナス 作者―一般論
↑上の中の「プラスーマイナス」「作者ー一般論」パターンである。
●では、次は同じく超短い文「章」である俳句から。超メジャーな俳句から。
柿食えば鐘が鳴るなり 子規
●これは文意から読み取ってみよう。柿=味覚、鐘が鳴る=聴覚。柿=現在、法隆寺=歴史的過去などである。ちなみにこのシーンは法隆寺の鐘ではなく東大寺の鐘だったとか。
●次は秋元康先生の『ファンタスティック三色パン』より。
『友達なんて 呼べる人いない
ただの知り合い 付かず離れず
ずっとぼっちが楽だった
だけど偶然が味方してくれたの
ある時気づいたら 仲間がいた
なぜだか心強い』
●ここで「ぼっち」はプラスイメージかマイナスイメージかを考えてみよう。
つまり、「ぼっち」=「楽」で「楽」はプラスイメージだろうか。一方、「仲間がいた=ぼっちでない=心強い」もプラスではなかろうかである。むろん、「楽」より「心強い」の方がプラスだい! とか、「ぼっち」より「仲間」の方がプラスだい! という視点も重要だがここでは客観的に、形式的に「ぼっち」より「仲間」がプラスイメージであるのを証明してほしいのだ。
沈思黙考。
●で、だ。
ここでは「だけど」という逆接を根拠にしよう。「逆接」というのは「しかし・だが・けれども」などのような接続語、接続詞のたぐいである。
逆接は「対比を作る」「後方に主張がくる(ことが多い)」ので、筆者は「仲間がいた なぜだか心強い」を「ぼっち=楽」よりプラスだと言いたいわけだ。
●ここまで読んだ方は「現代文が苦手な高校生(中学生も可)のために」を読解してみよう。
●あ。「屁」と「おなら」の違いを端的に言うと「おなら」は女房言葉なので女性の「屁」説、音が鳴るのが「おなら」説などがある。