●彼との出会いは特殊なものであった。
隣の廃屋で猫の声が聞こえ続けるので、隣の家にシンニュウしたところ(犯罪だろうか、もう時効だし、猫助けだし、許されてもいいと思う)風呂桶の中で一人鳴いていたのである。
つるつる滑るのに登ろうとしていたのである。しかも、子猫にとっては結構な高さだ。
おそらくは母猫はそこで子を産み、彼を置いていったらしい。彼だけ(普通、猫は複数匹の子を産みますよね)が取り残されたのは、偶然か、それとも何かしらの理由―例えば生存競争にスタートの時点で負けている猫であったとか―があったのかはわからないのだけれども、「見義不為、無勇也」の精神で家に連れて帰った。
なぜに勇気が必要だったかというとウチには当時、猫が8匹おり、猫同士の関係も複雑で、これ以上、家庭内猫を増やすのも限界かと思われたからである。
ちなみに我が家では猫を飼うのは家庭内と決めており、外猫になったのは一匹しかいない。
●しかし、子猫の力は偉大である。何故にああもかわいいのか。
私が責任をもって飼うということで、飼うことが決定した。
その責任の一つがミルク(猫用)をあげるであった。さすがにいつもというわけではない(学校に通っていたからね)が、彼の最初の食事は私が行った。
彼の大きさとさほど変わらぬ大きさの哺乳瓶なのに、すごい勢いで飲んでいった。
ほんとうに「ちゅー」という擬音は正しいのだなと感心した。
飲み終わったあと、悲劇が起きた。
鼻と口からミルクを吐き出したのである。
母はげっぷをさせたかと聞いてきた。そういうものなのかと思い、もう一度、哺乳瓶でミルクをあげてから、背中をさすり、げっぷをさせると本当に吐き出さなかった。
●その後も私による(母の協力も大きかったが)子育ては続き、名前も「マサムネ(愛称;マチャムネ)」に決まった。
白と黒の猫で片目に黒い部分がかかっていたので独眼竜になぞらえたわけだ。
●こんな悲喜劇もあった。
私に甘えた彼は爪をたてながら私をよじ登り、肩まで到達した後、頭から落ちていったのだ。
子猫にとっては結構な高さである。彼はピクリとも動かなくなった。
「し、死んだ?」と思い、怯えていたら、いきなり彼は頭を振りながら立ち上がり、走りだしたのだ。
頭をうってしまい、どうかしてしまったのだろうか。私は不安だったが。まあ、普通の猫であった。
●8匹の先住猫たちからは適度に距離を置かれながらも、彼の天真爛漫な性格ゆえからか、ケンカになることはなかった。
冬のこたつの中でなら一緒にいてもいいくらいの距離にいたのである。
●一度、彼が病気で七転八倒するのを見たことがある。
突然、暴れまわったのだ。あとで医師に聞くと、自力で立てなくなったことにパニックになって暴れたのであろうということだ。
私は彼を責任持って育てている以上、まずは彼を暴れさせないことにした。
バスタオルを左腕に巻き、彼のお腹のあたりに置いた。彼は私の上にしがみつき、私は右手で背中を撫で、落ち着かせた。
これがいい判断だったのかよくわからないが、彼を無事に病院へ連れていけたので、当時の自分としてはよくやったと思う。
持病があったあたり、生存競争には、あまり向いてなかったのかもしれない。
●持病持ちの割には長生きした(18歳くらいまで生きた)彼の人生(猫生なんて言ってやるもんか)の終わりは老衰としか言いようがなかった。
●私が噛みくだいたものしか食べなくなっていた。あとは点滴であった。
私が食卓に着くとストーブの前の箱からよたよたと這い出し、片手を私の膝に置く。
私は噛みくだいた食べ物を彼に与える。ちなみに母はソーセージを二本余分に皿に盛るようになった。
マサムネの分である。
●最期の日は、こうである。
朝、起き上がり、私から食事をもらう。ソーセージ一本分も食べたかどうか。
仕事(もう私は社会人になっていた)から帰ると、もう、箱から出られなくなっていたが、食卓に座ると私の方をじっと見て、くしゃみを一つして、顔をぱたんとさせた。
食事を終えた(ソーセージを二本余計に食べた)後、おやすみをマサムネに言い、頭をなでると死んでいた。
やすらかな顔だったと思う。
●最初から最後まで私が食事を与えた猫である。
名猫でないわけがないのである。
隣の廃屋で猫の声が聞こえ続けるので、隣の家にシンニュウしたところ(犯罪だろうか、もう時効だし、猫助けだし、許されてもいいと思う)風呂桶の中で一人鳴いていたのである。
つるつる滑るのに登ろうとしていたのである。しかも、子猫にとっては結構な高さだ。
おそらくは母猫はそこで子を産み、彼を置いていったらしい。彼だけ(普通、猫は複数匹の子を産みますよね)が取り残されたのは、偶然か、それとも何かしらの理由―例えば生存競争にスタートの時点で負けている猫であったとか―があったのかはわからないのだけれども、「見義不為、無勇也」の精神で家に連れて帰った。
なぜに勇気が必要だったかというとウチには当時、猫が8匹おり、猫同士の関係も複雑で、これ以上、家庭内猫を増やすのも限界かと思われたからである。
ちなみに我が家では猫を飼うのは家庭内と決めており、外猫になったのは一匹しかいない。
●しかし、子猫の力は偉大である。何故にああもかわいいのか。
私が責任をもって飼うということで、飼うことが決定した。
その責任の一つがミルク(猫用)をあげるであった。さすがにいつもというわけではない(学校に通っていたからね)が、彼の最初の食事は私が行った。
彼の大きさとさほど変わらぬ大きさの哺乳瓶なのに、すごい勢いで飲んでいった。
ほんとうに「ちゅー」という擬音は正しいのだなと感心した。
飲み終わったあと、悲劇が起きた。
鼻と口からミルクを吐き出したのである。
母はげっぷをさせたかと聞いてきた。そういうものなのかと思い、もう一度、哺乳瓶でミルクをあげてから、背中をさすり、げっぷをさせると本当に吐き出さなかった。
●その後も私による(母の協力も大きかったが)子育ては続き、名前も「マサムネ(愛称;マチャムネ)」に決まった。
白と黒の猫で片目に黒い部分がかかっていたので独眼竜になぞらえたわけだ。
●こんな悲喜劇もあった。
私に甘えた彼は爪をたてながら私をよじ登り、肩まで到達した後、頭から落ちていったのだ。
子猫にとっては結構な高さである。彼はピクリとも動かなくなった。
「し、死んだ?」と思い、怯えていたら、いきなり彼は頭を振りながら立ち上がり、走りだしたのだ。
頭をうってしまい、どうかしてしまったのだろうか。私は不安だったが。まあ、普通の猫であった。
●8匹の先住猫たちからは適度に距離を置かれながらも、彼の天真爛漫な性格ゆえからか、ケンカになることはなかった。
冬のこたつの中でなら一緒にいてもいいくらいの距離にいたのである。
●一度、彼が病気で七転八倒するのを見たことがある。
突然、暴れまわったのだ。あとで医師に聞くと、自力で立てなくなったことにパニックになって暴れたのであろうということだ。
私は彼を責任持って育てている以上、まずは彼を暴れさせないことにした。
バスタオルを左腕に巻き、彼のお腹のあたりに置いた。彼は私の上にしがみつき、私は右手で背中を撫で、落ち着かせた。
これがいい判断だったのかよくわからないが、彼を無事に病院へ連れていけたので、当時の自分としてはよくやったと思う。
持病があったあたり、生存競争には、あまり向いてなかったのかもしれない。
●持病持ちの割には長生きした(18歳くらいまで生きた)彼の人生(猫生なんて言ってやるもんか)の終わりは老衰としか言いようがなかった。
●私が噛みくだいたものしか食べなくなっていた。あとは点滴であった。
私が食卓に着くとストーブの前の箱からよたよたと這い出し、片手を私の膝に置く。
私は噛みくだいた食べ物を彼に与える。ちなみに母はソーセージを二本余分に皿に盛るようになった。
マサムネの分である。
●最期の日は、こうである。
朝、起き上がり、私から食事をもらう。ソーセージ一本分も食べたかどうか。
仕事(もう私は社会人になっていた)から帰ると、もう、箱から出られなくなっていたが、食卓に座ると私の方をじっと見て、くしゃみを一つして、顔をぱたんとさせた。
食事を終えた(ソーセージを二本余計に食べた)後、おやすみをマサムネに言い、頭をなでると死んでいた。
やすらかな顔だったと思う。
●最初から最後まで私が食事を与えた猫である。
名猫でないわけがないのである。