旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

パタンで「イヒ祭」に出会う

2020-07-22 11:11:15 | ネパール
2004《手造の旅》ネパールより

1月17日、カトマンドゥの隣町パタンで女の子たちの祭にであった。

着飾った親が、着飾った娘を膝の上に乗せている。

手を出してお金を受け取っているのはお坊さんなんだそうだ。

「果物と結婚する祭りです」と説明されたが、それは?
ずっとよく分からないでいたが、今回調べなおして自分なりに理解できた。
果物はシヴァ神の息子またはヴィシュヌ神の象徴とされていて、
ネワール族の少女たちは五才から十才の間に「イヒ祭り」に参加して、この神と結婚したことになるのだそうだ。
「一生未亡人になりません」
ということなのだそうだが、未亡人にならないことはヒンドゥー世界では特別な意味がある。
★「サティ」という悪習を避けること
ヒンズー世界は夫が死ぬと妻が火葬の火に飛び込んでいっしょに死ぬのを美徳と考えていた。
インドではムガール帝国時代に支配階層のイスラム教徒もやめさせようとしたが、なかなか止められなかったのだそうだ。なんと1983年にもニュースになった。未亡人は大量の麻薬を呑まされ、夫の遺体を抱いて焼かれたのだそうだ。
ヒンドゥー文化と仏教文化が交錯するネパールでも「こんな習慣はやめさせなくては」と考えたのだろう。
そこで「あらかじめ神様と結婚させる」という奇手がこのイヒ祭なのではないかしらん。
人間の夫が死んでも、妻はもともと神と結婚しているのだからサティの犠牲にならなくてもよいという理屈である。
宗教に基づく悪しき慣習というのは、宗教によって解き放つのが好手にちがいない。

**
パタンのダルバール広場はネパールを代表する旧市街の風景。

↑シカラ様式の石造のパゴダ(左手)と木造の塔が共存している。

2015年の大地震で倒壊した塔もある。

王宮に向かって祈るのは王の化身とされるヴィシュヌ神が乗るガルーダの像

パタンの王のなかで最も人々に敬愛されたシッディ・ナラシンハ・マッラ王↓

善政を敷き、神を敬ったこの王は求道の旅に出てもどらなかった。
今もまだ生きているとされ、食事が供されているとのこと。
彼は「自分が死んだらこうして知らせる」と言い置いた。
※それについてこちらに書きました
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ジョムソンを飛び立ち、ポカラ経由、カトマンドゥへ エベレストホテルのギャコク鍋

2020-07-21 06:45:07 | ネパール
2006《手造の旅》ネパールより
11月29日、ニルギリ・ノース峰(7,061m)の夜明けをジョムソンから見ていた

宿泊したマウンテン・リゾート自体が2800mほどに位置している。
晴れて、ポカラまで飛べそうだ。

名物のリンゴをフライにしたのとお粥の朝ごはん
ホテルスタッフのみなさんお世話になりました<(_ _)>

ふたたびトラクターの引く青い車で空港へ向かう。

薄暗い空港のチェックインロビー

外は圧力を感じるような青空だ。

お土産屋さんの前に置かれているのは

名産のリンゴ!

1970年代に日本から近藤亨さんという方が農業指導をされ、ジョムソンから下ムスタンにかけての農業事情を一変された。
※2012年に野口健さんが訪れて91歳の近藤さんとお会いになっているブログにリンクします
こういう方の強い意志があってあのリンゴ畑が存在しているのだ。


お土産には輪切りのリンゴを干したものがおすすめ(^.^)


十人ほどしか乗れない小さなプロペラ機が飛び立つ

曇った窓の向こうに輝くニルギリ峰がたちあがってきた

三十分ほどで標高800mほどのポカラ空港に着陸。ずいぶん暖かい。空の色がまったく違う。

三十分も待たずにカトマンドゥ行きの大きな(笑)飛行機に乗換える

イエティ(雪男)航空に乗って

標高1200mほどのカトマンドゥに到着し、空港近くのエベレストホテルへ。

最上階のレストランからはポカラとは違うヒマラヤの尾根が見える。

ネパールの餃子「モモ」は、いわば味噌だれで(^.^)

メインには大大好きなチベットのギャコク鍋!
ここのギャコク鍋、ああ、もう一度食べたいです。






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河口慧海の滞在したマルファ村

2020-07-19 13:32:42 | ネパール
2006年《手造の旅》ネパールより
圧倒的に青い、空の圧力。百年前の河口慧海もこの空の下を歩いただろう。

ゴンパ(チベット仏教の寺)からマルファ村を見下ろす。
三十三歳の河口慧海は1900年6月12日にこの村を出発し7月4日にチベットの国境にたどり着いた。

三か月滞在した家が記念館になっている。

百年前から基本的なカタチはそんなに変わっていないのかと思わせる

滞在中の慧海は中国人僧に化けるためにチベット語を懸命に学んでいた。
当時のチベットは朝貢国清朝崩壊前夜。半独立国状態で鎖国政策を敷いていた。
入国には中国人のふりをする必要があったのだ。

↑ポカラの山岳博物館にあった、日本を出発する時・三十歳ごろの肖像写真。
黄檗宗の僧として大学(東洋大学の元になった哲学館。井上円了にも出会っただろうか)にも学んだけれど、漢文から翻訳された日本の経典解釈に飽き足らず、原典を学ぶべくチベットへ赴く決心をした。

↑山岳博物館に展示してあった踏破ルート↑
インドのカルカッタで上陸しブッダ悟りの地ブッダガヤには寄り道し、ネパールに入っている。

↑カトマンドゥのボーダナートにあった1899年の彼のレリーフ。
これは、いつごろの姿をモデルにしているのだろう。

↑日本を出た時と同じ瞳の力はそのままに、文字通り地を這って道を求める迫力が加わっている。
**
2006年の《手造の旅》

ジョムソン・マウンテン・リゾートに荷物を置くとマルファ村を目指した。

カリガンダキ(黒い流れ)川に沿って歩く。

小さなシャン村を抜ける。

屋根には重い石が乗せられている。風が強い場所なのだ。

きちんとした暮らしがある







この先にアンモナイトの化石がごろごろころがっている場所があるときいた

ジョムソンからアンナプルナ山系をめぐるルートは山岳ツアーが多く訪れる。



鉄平石を切り出す仕事もある


マルファ村の入口



街の上にゴンパが見える

あそこまであがれば村が一望できるだろう



王宮での銃撃事件で亡くなった前国王夫妻の写真が飾られていた

経文が納められている箱。
近年こういうものが盗み出されることがよくあるのだそうだ。

冒頭の写真の眺めはここからのもの


ジョムソンへ戻る道、リンゴ畑は

河口慧海が歩いた当時はまだなかった。
1970年代から近藤 亨(こんどう とおる)氏がこの地の農業を劇的に変えたのだった。

りんご栽培はその象徴的なもの。

夕方になるといよいよ風が強くなってきた。
ジョムソン⇔マルファ村、往復五時間ぐらいはかかっただろう。

休憩で
「ホテルに戻る登り道はたいへんだなぁ」と話していたら、

ホテルからのお迎えが見えた(^.^)
ジョムソン・マウンテン・リゾートに夜が近づく

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ポカラからジョムソン空港へ ジョムソン・マウンテンリゾート

2020-06-25 22:34:10 | ネパール
2006《手造の旅》ネパールより

ポカラから飛び立った小型機の窓からマチャプチャレが斜めにみえた。
ジョムソン空港があるあたりは「風の谷」と呼ばれる。午後になると必ず強風が吹き荒れるので天気の良い朝しか着陸のチャンスはない。ツアーの行程に入れるのは賭けだったが、到着することができた。

標高2710mのジョムソンは、ネパールへの観光客が必ず泊まる標高800mほどの温暖なポカラとはがらりと違う風景。

周囲の黒い山の向こうに白銀のヒマラヤが見える。
アンナプルナ山系のニルギリ峰6940mではないかしらん。

↑地図上で左上のあたりがジョムソン。ポカラは下の方。赤い線はアンナプルナを見ながらトレッキングするルート。地図外にあがっていけば、ネパール領内の独立自治国「ムスタン」があるといえばイメージできますかしらん。

今回、四度目のネパール。
登山はできなくてもよりヒマラヤに近い場所へ行きたくなって、ついにジョムソンを行程にいれた。

降り立てみるとカトマンズやポカラとはまったくちがう空気。
ずいぶんまえにインド北部のガンジス水源ガンゴトリを訪れた時を思い出した。

道はあるが一般の車は通らない。
今日宿泊するジョムソン・マウンテン・リゾートまで歩くしかない…とおもっていたら、

↑こんなお迎えがきていた!

荷物といっしょに積み込まれてホテルへ向かう

ネパール国王も泊まるというこのあたりではここしかない立派なホテル


ここがあると知ったからジョムソンを行程に入れたのです(^.^)

日中の観光でたいへんなのはまぁよいけれど、夜は安心して清潔な環境で眠れなくてはダメ。

小松の《手造の旅》の基本コンセプトです(^.^)

このホテルは十分な設備をもっていた。


ヒマラヤが見えるプールまであるのです

今日はカリ・ガンダキ川に沿ってマルファ村まで往復する予定

・・・続く

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ポカラのペワ湖、山岳博物館

2020-06-22 16:45:05 | ネパール
2005-2010《手造の旅》ネパールより
ポカラからアンナプルナ山系が神々しく見える

ヒマラヤの山並みを楽しみたければ冬にいかなければなかなか見えない。
ここは海抜800mほど。海抜1300mのカトマンズよりずっと暖かい。

サドゥー(ヒンズー教の修行者)の水浴も気持ちよさそうに見える。

遠足?の子供たちと同じように、我々もボートに乗ろう。

湖の面積は5㎢ほどとこぢんまりしている。

湖の対岸にあるちょっと良い感じのカフェレストラン「ライチ・ガーデン」へ
※「トラベルコちゃん」のページに2010年に書いたページはこちら



**
湖から街の方へもどりビンドゥバシニ寺院へ

黒い女神カーリーを祀っている、ポカラでいちばん由緒ある寺。

結婚式が行われていた。

まさにクライマックス?



2001年の「事件」で亡くなった王夫妻が手を合わせている像。
傘のようになっているのは多頭の蛇神ナーガ。
***
シャングリラ・ヴィレッジ・ホテルにチェックインして


近くの山岳博物館まで歩いていこう
途中にちょっと良い感じの新しい家が建つ

「これはイギリス軍で出稼ぎしたグルカ兵が建ててるんですよ」とガイドさん。

おりしも、トピ帽をかぶったグルカの人がとおりかかり、話しかけてみるとそのとおりだった。
こんな過積載のバイクもとおりかかる。
****
山岳博物館は広い敷地がある

敷地内にマチャプチャレの模型まである

ほんものに登れる人はそう多くはないから、ここでのぼっておきましょ(^.^)



館内は体育館のように天井が高く広い。
自然から人類学・歴史まで幅広く展示してある。

雪男についても、こんな模型があった。


1900年に、チベットへの途上でネパールに滞在していた河口慧海についても。
※彼についてはマルファ村を訪れたジョムソンへの旅のところで書きます
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