バルセロナ半日観光、午後から自由。
バルセロナ観光といっても、九時半にグエル公園の予約、十一時半に聖家族教会の入場が入っているのだから、実際には「ガウディ半日観光」のようになってしまう。
何度もおとずれている場所だが、新しい発見はあり得る。殊にガイドしてくださる方がちがえば、また違った視点でのお話をきくことができる。
★グエル公園は海からの風がとてもさわやかな朝のうちにおなじみトカゲちゃん
門番の家この建物の頂上部分の装飾は、なんとコーカップを逆さに埋め込んでいる。
拡大してみると…なるほどそうだ。
「ガウディは敬虔なキリスト教だったのでコーヒー嫌いだったとか」と、ガイドさんのお話し。へぇ~、ウラはとっておりませんが、ありそうなことかもしれませぬ。
★聖家族教会
中央に建設予定の塔はまだまだ立ち上がらない 左側の白い部分のゴシック尖塔の先にはフルーツのモザイクがきらめいている材料はヴェネチアングラス!ガウディ自身が指定した工房のものが指定されているのだそうだ。
ガウディ作の「生誕の門」の入口に、最近とりつけられた森をイメージする彫刻 日本人の彫刻家・外尾さんの手になるもので、細部にはこんな虫たちもみられる
このステンドグラスが完成したのもそれほど前の事ではない
圧倒的な天井
★カサミラ
午後から訪れたカサ・ミラは、現在入場料が€20.50もする。
ここに日本語ガイドシステムが導入されたが、聴いたことがなかったので、しばらくぶりに入場してみた。
中庭から見上げるそして、エレベーターで屋上へ出ると、つい二十年前までは簡単に見ることが出来なかった超絶の屋上風景に出会える。
通気口のアーチのひとつからは聖家族教会が見えるようになっているそして、もうひとつティビダボの丘にある教会も見えるようにしてあることを、今回のガイドシステムではじめて知った
屋根裏は1986年からの修復によって、ガウディのオリジナルに戻されている。
が、1980年代以前はここも賃貸住宅となっていたのだと、日本語ガイドの機械ではじめて知った。
ガウディ曰く「高貴な人が帽子や傘を持ち歩くように」断熱効果を考えて屋根裏をつくったのだそうだ。
そこにまで人を入居させてしまう、不動産屋さん。
こんな場所が、十三の区画に区切られて、居住用に貸されていたなんて。
いったいどんな部屋だったのだろう。
所有者がカイーシャ・カタルーニャに代わった1986年に修復がはじまり、1990年代に一般に公開されるようになった。
小松がはじめてバルセロナを訪れたころは、毎日整理券が配られて、限られた人数しか見学させていなかった。
居住フロアの天井のひとつなんとも微妙な波とちょっとジャパネスク・東洋的な雰囲気。
居住フロアの床
「あ、これはグラシア大通りのタイルと同じだ」と思ったが、もともとこちらの室内の床のためにデザインされたものだったそうだ。
イヤフォンガイドによると、バトリョ邸のためのものだったが、カサミラではじめて実際に使われた。
こちらは表のグラシア大通り1950年代にガウディに敬意を表してこのデザインになったそうな。
今日までこのタイルは、もともとグラシア大通りの為にデザインされていたのだと思い込んでいた。
ガウディについてのいろいろな新しい視点、これからも、いくらでも、発見することができそうだ(^^)
バルセロナ観光といっても、九時半にグエル公園の予約、十一時半に聖家族教会の入場が入っているのだから、実際には「ガウディ半日観光」のようになってしまう。
何度もおとずれている場所だが、新しい発見はあり得る。殊にガイドしてくださる方がちがえば、また違った視点でのお話をきくことができる。
★グエル公園は海からの風がとてもさわやかな朝のうちにおなじみトカゲちゃん
門番の家この建物の頂上部分の装飾は、なんとコーカップを逆さに埋め込んでいる。
拡大してみると…なるほどそうだ。
「ガウディは敬虔なキリスト教だったのでコーヒー嫌いだったとか」と、ガイドさんのお話し。へぇ~、ウラはとっておりませんが、ありそうなことかもしれませぬ。
★聖家族教会
中央に建設予定の塔はまだまだ立ち上がらない 左側の白い部分のゴシック尖塔の先にはフルーツのモザイクがきらめいている材料はヴェネチアングラス!ガウディ自身が指定した工房のものが指定されているのだそうだ。
ガウディ作の「生誕の門」の入口に、最近とりつけられた森をイメージする彫刻 日本人の彫刻家・外尾さんの手になるもので、細部にはこんな虫たちもみられる
このステンドグラスが完成したのもそれほど前の事ではない
圧倒的な天井
★カサミラ
午後から訪れたカサ・ミラは、現在入場料が€20.50もする。
ここに日本語ガイドシステムが導入されたが、聴いたことがなかったので、しばらくぶりに入場してみた。
中庭から見上げるそして、エレベーターで屋上へ出ると、つい二十年前までは簡単に見ることが出来なかった超絶の屋上風景に出会える。
通気口のアーチのひとつからは聖家族教会が見えるようになっているそして、もうひとつティビダボの丘にある教会も見えるようにしてあることを、今回のガイドシステムではじめて知った
屋根裏は1986年からの修復によって、ガウディのオリジナルに戻されている。
が、1980年代以前はここも賃貸住宅となっていたのだと、日本語ガイドの機械ではじめて知った。
ガウディ曰く「高貴な人が帽子や傘を持ち歩くように」断熱効果を考えて屋根裏をつくったのだそうだ。
そこにまで人を入居させてしまう、不動産屋さん。
こんな場所が、十三の区画に区切られて、居住用に貸されていたなんて。
いったいどんな部屋だったのだろう。
所有者がカイーシャ・カタルーニャに代わった1986年に修復がはじまり、1990年代に一般に公開されるようになった。
小松がはじめてバルセロナを訪れたころは、毎日整理券が配られて、限られた人数しか見学させていなかった。
居住フロアの天井のひとつなんとも微妙な波とちょっとジャパネスク・東洋的な雰囲気。
居住フロアの床
「あ、これはグラシア大通りのタイルと同じだ」と思ったが、もともとこちらの室内の床のためにデザインされたものだったそうだ。
イヤフォンガイドによると、バトリョ邸のためのものだったが、カサミラではじめて実際に使われた。
こちらは表のグラシア大通り1950年代にガウディに敬意を表してこのデザインになったそうな。
今日までこのタイルは、もともとグラシア大通りの為にデザインされていたのだと思い込んでいた。
ガウディについてのいろいろな新しい視点、これからも、いくらでも、発見することができそうだ(^^)