朝9時にヴァレンシアを出て、高速道路をひたすら北上。
ローマ遺跡の上に建設されたタラゴナの街近くを通る二度目のトイレストップで、カタロニア土産をガチャガチャには悟空のフィギアが顔がちょっと違う?
二度の休憩を含めたにしても、五時間後にやっとモンセラが近づく。
ここは見るからに「聖地」と感じさせる、独特の山である。
突然、雨がやってきた
日曜の聖地は渋滞にもなる。
標高は千メートルを超える。バスを降りてひんやりした空気を感じる間もなく、雨を避けてレストランへ。前菜のハモン・イベリコ、美味しゅうございました お皿もモンセラ
食事を終えて、すぐ前にそびえる修道院・教会へ。
今、目の前に見えている建物はナポレオンが破壊した後に再建されたものだそうだ。ロマネスク風だが「ネオ」ということになる。
もともとは起源880年に、三人の少年が岩山に光る洞窟を見つけ、そこから「黒い聖母」を発見したことにはじまる。このフレスコ画は本堂内陣に描かれたその逸話いちばん左のパネルをごらんください。
その直後に建設された小さなお堂にかえて、11世紀に最初の大きな教会が建設された。その時の建物で現在目にすることができるのは、わずかにこの門だけ※写真の右側
今回モンセラを訪れるにあたり、確かめたかったものがある。それは・・・
★イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラが、騎士を止める決心をして奉納した剣。
剣を捨てて後、ここからほど近いマンレサという街にある洞窟で1522年から23年にかけて、祈りの日々をおくった。その時の体験がイエズス会をかたちづくってゆく思想の基礎となっている。
ガイドさんに訊ねると「ここにあります」と、おしえてくれました!
この暗い礼拝堂の壁に設置されたガラスケースに入れられた、鉄の棒のように見えるもの豪華でないところが、ホンモノらしい。ナポレオンは修道院の財宝を大量に強奪していったというが、その時にこの剣はただの鉄だったので免れたってわけですな。なるほど。
小松がこの剣を見たいと思ったのは、昨年11月に偶然マンレサを訪れる機会を得たから。
※マンレサ訪問の時の写真日記は⇒こちらからごらんください
高山右近のレリーフもあるのです。いえ、最初「高山右近を画いている」ときいたので、当日にコース変更したんですから。
ロヨラが剣を奉納した時のモンセラ教会は、現在の教会ではない。ナポレオンに壊される前のもの。
旧教会の内陣は、この写真の丸い石の場所。つまり、ここに「黒いマリア」が安置されていて、ロヨラはそれに向かって祈ったのだ。
すぐ横にロヨラの像がある
今見られる教会入口の中庭とファサードは、一見古そうだが、20世紀になってからのもの
内部。正面の一段高くなったところに「黒いマリア」がある★なぜ、マリアは黒いのか?
ガイドさんの話によると、もともとマリアが黒く塗られていたわけではなく、長年のロウソクの煤で黒くなってしまったのだろう、とのこと。さもあらん。
おもしろいのは、修復した時にあまりに白くなってしまい、皆が昔の黒い姿を望んだので、再び黒く塗りなおしたのだそうだ。
***教会の外へ出るころ、雨はあがり
雨にあらわれた山肌が銀色に輝いていた。この輝きを、昔の修道士たちもきっと楽しんだに違いない。
ふりかえって、青空の教会入口
モンセラの山には十二の礼拝堂が建てられてて、それぞれに向かうちょっとしたトレイルがあるのだそうだ。
この崖の突端の十字架もそのひとつ。このあたりを歩く《手造の旅》企画してみたくなりました
●余談
入口向かって左手に一部だけ16世紀末の中庭柱廊が、破壊を免れ、残されているここは、三十代のジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ=後の法王ジュリオ二世(ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂を画かせた)が修道院長をつとめていた時に建設された。
彼のファミリーの紋章である柏が刻まれている
******
バルセロナのホテルに到着して三十分休憩。
19時半に再びバスで港のレストランへイカ墨ライス、おいしゅうございました
ローマ遺跡の上に建設されたタラゴナの街近くを通る二度目のトイレストップで、カタロニア土産をガチャガチャには悟空のフィギアが顔がちょっと違う?
二度の休憩を含めたにしても、五時間後にやっとモンセラが近づく。
ここは見るからに「聖地」と感じさせる、独特の山である。
突然、雨がやってきた
日曜の聖地は渋滞にもなる。
標高は千メートルを超える。バスを降りてひんやりした空気を感じる間もなく、雨を避けてレストランへ。前菜のハモン・イベリコ、美味しゅうございました お皿もモンセラ
食事を終えて、すぐ前にそびえる修道院・教会へ。
今、目の前に見えている建物はナポレオンが破壊した後に再建されたものだそうだ。ロマネスク風だが「ネオ」ということになる。
もともとは起源880年に、三人の少年が岩山に光る洞窟を見つけ、そこから「黒い聖母」を発見したことにはじまる。このフレスコ画は本堂内陣に描かれたその逸話いちばん左のパネルをごらんください。
その直後に建設された小さなお堂にかえて、11世紀に最初の大きな教会が建設された。その時の建物で現在目にすることができるのは、わずかにこの門だけ※写真の右側
今回モンセラを訪れるにあたり、確かめたかったものがある。それは・・・
★イエズス会の創始者イグナチオ・デ・ロヨラが、騎士を止める決心をして奉納した剣。
剣を捨てて後、ここからほど近いマンレサという街にある洞窟で1522年から23年にかけて、祈りの日々をおくった。その時の体験がイエズス会をかたちづくってゆく思想の基礎となっている。
ガイドさんに訊ねると「ここにあります」と、おしえてくれました!
この暗い礼拝堂の壁に設置されたガラスケースに入れられた、鉄の棒のように見えるもの豪華でないところが、ホンモノらしい。ナポレオンは修道院の財宝を大量に強奪していったというが、その時にこの剣はただの鉄だったので免れたってわけですな。なるほど。
小松がこの剣を見たいと思ったのは、昨年11月に偶然マンレサを訪れる機会を得たから。
※マンレサ訪問の時の写真日記は⇒こちらからごらんください
高山右近のレリーフもあるのです。いえ、最初「高山右近を画いている」ときいたので、当日にコース変更したんですから。
ロヨラが剣を奉納した時のモンセラ教会は、現在の教会ではない。ナポレオンに壊される前のもの。
旧教会の内陣は、この写真の丸い石の場所。つまり、ここに「黒いマリア」が安置されていて、ロヨラはそれに向かって祈ったのだ。
すぐ横にロヨラの像がある
今見られる教会入口の中庭とファサードは、一見古そうだが、20世紀になってからのもの
内部。正面の一段高くなったところに「黒いマリア」がある★なぜ、マリアは黒いのか?
ガイドさんの話によると、もともとマリアが黒く塗られていたわけではなく、長年のロウソクの煤で黒くなってしまったのだろう、とのこと。さもあらん。
おもしろいのは、修復した時にあまりに白くなってしまい、皆が昔の黒い姿を望んだので、再び黒く塗りなおしたのだそうだ。
***教会の外へ出るころ、雨はあがり
雨にあらわれた山肌が銀色に輝いていた。この輝きを、昔の修道士たちもきっと楽しんだに違いない。
ふりかえって、青空の教会入口
モンセラの山には十二の礼拝堂が建てられてて、それぞれに向かうちょっとしたトレイルがあるのだそうだ。
この崖の突端の十字架もそのひとつ。このあたりを歩く《手造の旅》企画してみたくなりました
●余談
入口向かって左手に一部だけ16世紀末の中庭柱廊が、破壊を免れ、残されているここは、三十代のジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ=後の法王ジュリオ二世(ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂を画かせた)が修道院長をつとめていた時に建設された。
彼のファミリーの紋章である柏が刻まれている
******
バルセロナのホテルに到着して三十分休憩。
19時半に再びバスで港のレストランへイカ墨ライス、おいしゅうございました