旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

美しく、おいしい プリンス・エドワード島

2018-10-05 18:28:35 | カナダ

カナダの0.1%の面積でしかないプリンス・エドワード島は、カナダの三割のポテトを生産しているのだそうだ。

二十年前に最初に訪れた時にいちばんおいしかった記憶となっているのもポテト。
今回も絶品でした↓

空港で買ったポテトチップス↓島の名前はどこにも書かれていないが、この島のシルエットが黄緑色で描かれている↓

裏に、「プリンスエドワード島のポテトだけを使い、昔ながらの方法でつくっています」と表記↓買っちゃいました

●島をドライブしている時、ポテトの収穫を見かけた↓

↑掘りかえした地面から虫も出てくるので鳥が集まってきている
↓緩やかな起伏のPEIはどこを走っても美しい畑と入江だ

この景色の場所、あまりに車を止める人が多いので畑の所有者が土地を寄付して展望台になったのだそうだ。なんとお優しい(^.^)


島の赤い土はおいしいポテトの源なのだろう。空港でもその土を瓶に入れてお土産に売っていた↓

↑となりのスノーボールに入っているのはロブスター
今回は、これまでたいして好きでなかったロブスターのイメージを覆してくれた↓

これだけ食べにまたP.E.Iに来たいと思うほどに

※こちらにその日に食べた貝やチャウダーも載せてあります


一泊目は豚、二泊目は牛。二泊して訪れたレストランそれぞれおいしい肉だった。



クラシックなホテルで注文した朝食のエッグ・ベネディクト↓

やまもりのフライドポテトも完食
二日目の朝も同じメニューを注文してしまった。

**食べようと思ってタイミングを逃したのが「COWS」のアイスクリーム

島の牛の出すミルクが原料になっているのだそうだ

「モントリオールかケベックでもまた出会えるだろう」
と思っていたら、なんとケベック州に店舗はなかった!
全カナダでも十店舗ほどしかなく、そのうち四つ+工場がこの島にあるのだとわかった。
バンクーバー近くのウィスラーかバンフにもあるようだ。
次回のチャンスを逃さないようにしたい。
***
翌日、島を離れ難くなるよい天気の朝
小さな飛行機が飛びあがるとパッチワークのようなプリンス・エドワード島の大地が広がった。

島名産のポテトは連作が禁じられているので三年ごとに違う作物を植えているのだという。
だからこんなにカラフルなのか。↑向こうに見えるのはキャベンディッシュの面した湾だろう

いつの間にか機体は南西方向へ。島と大陸を結ぶコンフェデレーション橋が見えてきた↓

1997年に完成した長さ12.9㎞の橋



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルーシー・モード・モンゴメリーのプリンス・エドワード島

2018-10-05 11:11:11 | カナダ
彼女が暮らしたキャベンディッシュ村は海に面している。よく遊びに来ていたという、湾を見晴らす場所につれていってもらった↓

風が強い

セントローレンス湾に面した荒々しい海だ

1883年7月25日にマルコ・ポーロ号が難破した説明プレートがあった↓

リバプールとオーストラリアの間を移民を乗せて航行していた船で、当時としては最速の船だった。

後に「赤毛のアン」の作者となる九歳のルーシー・モード・モンゴメリーはその時近くの学校で嵐で船叩きつけられる音を聴いていた。
三年後、十三歳でその時のことを新聞に投稿したのが彼女の文章が公になった最初だった↓
※こちらのページに詳しく書かれていました。後半にその時の様子が絵でさいげんされていて興味深い。
キャベンディッシュ村には今でもマルコ・ポーロ号の遺品がよくあるのだそうだ。

入植時代のセントローレンス湾には海賊も出没していて、ルーシーはおじいさんからそんな話をきかされていた↓

フランス人海賊ルフォルスは収奪品の分配をめぐって仲間と決闘することになった。

背中を向け合って歩きはじめたのだが、相手はカウントが終わる前に振り向いてルフォルスの背中を撃った。
決闘のあった岬に埋葬され「ルフォルス岬」と名前がつけられた。
ルーシーは「祖父は、父(ひいおじいさん)がその墓を見たことがあるといつも言っていた」と、書き残している。
海賊の墓はもう嵐で海に流されてしまって名前しか残っていなかったのだけれど。


ルーシーが通った教会↓

↑赤い小ぶりなリンゴは入植者たちが持ち込んだものだそうな。今でもこの時期たくさん実っている。

**
ルーシーの生まれた家


スクラップしていた猫ちゃんの記事

彼女は「猫派」だったんだ
***
この叔母さんの家がとても気に入ってよく訪れていた↓

「シルバー・ブッシュ」と名前までつけて、いとこへの手紙で「地球でいちばん好きな場所」と書いている↓

ここは今日訪れた家々のなかでいちばんゆったりした、生活の香りがする場所だった

それもそのはず、今でもいとこの子孫の方が暮らしている。
ゆりかごの中にはホンモノの↓

この窓からの景色を物語の中で描写している↓

「輝く湖水」は目の前の小さな池だったんだ↓


いとこと訪れたナイアガラの滝の記念写真がかざってあったのだが…↓

↑これ、合成写真なんですね。この位置からのナイアガラの滝をバックにこの位置からの写真は撮れない。ガイドさんに説明されてやっと分かった。
旅人はいつだって、自分が訪れた場所をできるだけドラマチックに記憶したいものなのだ。

ルーシーはこの家・この暖炉の前で1911年に結婚式をあげた。


36歳、牧師の妻となりその後のほとんどをトロントに暮らした。
★1847年にこの家で結婚するはずだったエリザというルーシーにとっては遠縁のいとこがあった。ルーシーが生まれる四半世紀前の話である。
だが、式の当日相手の男性は現れず、悲しみのエリザは衣装や贈り物をすべて青い箱に入れて封印した↓その箱がこれ


ルーシーが書いた「ブルー・チェスト」という掌編について、こちらに少し書きまし

***
ルーシーは自らが葬られる場所を指定していた。
キャベンディッシュ村の小さな墓地の一角がそこ↓墓の入口からの石畳がルーシーの墓まで続いている↓

ちょうど植え替えの時期だったのでこんな風だったが、もちろんいつも花や植物が植えられている↓

「赤毛のアン」にそれほど思い入れはない小松だが、ルーシー・モード・モンゴメリーという文筆家に興味を持たせてくれるプリンス・エドワード島である。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「赤毛のアン」のプリンス・エドワード島

2018-10-05 06:07:38 | カナダ
「赤毛のアン」の世界を細部にこだわって再現している「グリーン・ゲイブルズ」

ここは作者のモンゴメリー夫人の祖父母のいとこ兄妹が住んでいた家。

作者自身は一度も住んでいないが、あきらかにここはモデルになった場所である。キャベンディッシュ村を離れてからもよく訪れて滞在もしていたのだそうだ。

百年前の農家の様子もしっかり再現していある



↑納屋の中は彼女の生涯を俯瞰する展示室になっていた。
母を二歳前に失くして父とも離れて暮らしていた彼女は、「赤毛のアン」に登場するマシューとマリラそっくりの兄妹に育てられた。その写真をみるとイメージ通り↓

使っていたタイプライター


二十年ほど前はじめて訪れた時に第一話を読んだきりの小松に多くを語れる知識はありませんが、少しでも読んでから訪れるほうがよい。
アンの部屋として再現されている二階の一室↓

学校でギルバートのアタマを叩いて割ってしまった黒板が部屋の片隅に↓

暖房器具はそのまま調理器具にもなっていた↓特徴あるストーブはアンの話に出てくるものを選んである

棚にあるのは「いちご水」として翻訳されたラズベリーのジュース↓

↓丸い箱はチーズをいれていたのだそうだ



周囲の森とそこをめぐる小道もお話の場所↓「恋人たちの小道」

奥まで入っていく




すぐとなりにゴルフ場のグリーンに出られてしまうのですが(^.^)↓


隣接する「おばけの森」はけっこう大きく、暗く、しっかり歩くにはそれなりに時間が必要になりそう。

**
キャベンディッシュ村の墓地にはモンゴメリー夫人の墓と共に育ててくれた祖父母の墓がある↓
右側がそれ↓左側は二歳にならない彼女をおいて亡くなった母のもの↓


その祖母の名前が「アン」だとおしえてもらった↓

↑しかし、綴りをよくみてください↑
末尾に「E」がない「アン」だ!

第一話でアンが自分のアンは「E」がある方で、それが大事なのだとしきりに強調していた。
それは作者に厳しく接していた祖母への反発があったのかもしれない。

このエリアには作者が住んでいた家もあったが、今は壊されて存在しない。
が少しの間働いていた郵便局が、なくなってしまった家に似ている↓

↓夏の間だけの営業。今年はあと数日でクローズだった↓特別のスタンプで送ってくれる


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする