旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

松江の八重垣神社にて

2018-10-24 20:20:20 | 国内

怖れなく世を歩いていける者など一人もいないから、
水面にあらわれた文字を見て、どこかで必ず見ていてくれる誰かが励ましてくれた気がした。
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美保関を出て松江にもどる道

中海にうかぶ江島と大根島を経由した。
江島大橋の坂は急でアクセルを踏み込まなくてはいけないから「ベタ踏み坂」と言われているのだそうな↓

島をむすぶ道は海の中をまっすぐに走っている。

大根島には牡丹園や溶岩洞窟があると、今朝米子でドライブルートを検討している時に知った。
有名なウナギ屋もあるそうな。訪れる機会あるかしらん。
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松江市内で老舗和菓子屋へ。間口は狭いが奥がずっと深い。

松江藩主松平不昧公による殖産興業によって誕生した和菓子は今も継がれている↓

右下の「日の出前」だけは由来が違う↑
※こちら三英堂のページがあります
「本店と足立美術館でしか買えないから」ときいてきた
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ラフカディオ・ハーンが「恋人たちが訪れる」と書いている八重垣神社へ。


本殿で専用の紙を購入し、それを持って森の中の「鏡の池」に向かう↓

苔に覆われた古木の中を歩いてゆくと

小さな池が見えてきた↓

恋人たちは紙の真ん中にコインを乗せ、そっと水面に浮かべる。
紙が早く沈めば恋が成就すると言われている。

どこで読んだか忘れてしまったが、後年小泉八雲の妻となるセツが少女のころに友人と三人でこの占いをした話を記憶している。
友人たちの紙が沈んでしまっても、セツの紙だけは沈まず遠くに流れていったので「セツちゃんは遠くにお嫁にいくのだね」と話していたのだそうだ。

今は占いのように、浮かべた紙に文字が浮かび上がるようにつくられている。
それはもちろんたまたまのめぐり合わせなのだろうが、小松の紙には冒頭の写真の文字が浮かび上がってきたのだった。

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↓ここの狛犬も美保関と同じ来待石で出来ているようだ


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日暮れてゆく松江

今回の訪問はこれからお会いする方との御縁
ひとつの行動をおこせば、自ずとまわりの事がみえてくるのだと感じる一日だった。



おいしい鰤シャブ、また食べたいなぁ(^.^)









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美保関~青石畳と老舗旅館と狛犬

2018-10-24 13:13:13 | 国内
広間いっぱいの窓から美保関の港がひろがっている




明治38年(1905年)に開館した建物は、今も宿泊客の朝食会場として日常使われている。泊まってみたいなぁ。

この広間の隣にある吹き抜けが、独特の空間↓


もともと屋外だった場所に明るい屋根を設置している場所。

コンサートもよく開催しておられるのだそうな。これは聴いてみたい。

《手造の旅》松江にて実現したい。
港側から見たところ↓向こうに見える白いビルが新館・宿泊棟。

開館した1905年は日露戦争に勝利した年。大陸での権益がますます拡大して、日本海側の人・モノの行き来は現在よりずっと隆盛していた時期にちがいない。

五代目のご主人と旧館の横の路地を歩いた。
「これは蔵を解体した時に出たんですよ」巨大な棟柱だった↓

この通路の上が渡り廊下になっている。
通路を抜けるとかつてのメインストリート「青石畳通り」に出た↓

ほのかな青さの石はひとつひとつ違ったかたち・表情をしている。

江戸時代に北前船が行き来し、廻船問屋が店を構えていた時代にはすでにこの石畳だったのだそうだ。古い石は室町にまでさかのぼるのだという、今も日常の道。

すきとおったイカが↓

この鳥居は何故この位置に

↓この石はもともと何?

かつて文人墨客も滞在した。歩くほどに興味をそそられる。

《手造の旅》でぜひ詳しい方のお話がききたい(^.^)

青石畳通は美保関神社と仏谷寺の二百五十メートル程をつないでいる。
この先に美保関神社がある↓

↓鳥居ををぬけたところで巨大な狛犬に目が吸い寄せられた。

※この狛犬について、こちらにもう少し書きました

夏から秋にかけての週末には青石畳通りにランタンがだされてライトアップされるそうな。
このタイミングにぜひ滞在してみたい。《手造の旅》松江にて、実現したいものです(^.^)


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米子空港から美保関灯台へ

2018-10-24 08:06:50 | 国内

**米子空港、灯台での写真など、こちらにも載せました
米子空港から境港を目指して走りだすと、予想外にも前方に山が見えてきて不思議だった↓

海に向かって走っているのにどうして山が見えてくるのだ?
境港に立つと、狭い海をはさんで山がそびえているではないか↓この山は何なのだ?

ただの地図で見てもこの風景は予想できなかった。
高さを描き込んだ地形図を見てやっと理解できた↓
↓赤い丸の中の左下の海峡が目の前の海。境港がある↓このページ冒頭の灯台は右端のとがった半島先端に位置している。
海をはさんで目の前に聳えている山は島根半島だったのである。

↑赤い円外右下にのびる砂州の根元あたりに米子市がある。
中海や宍道湖はこの地形の恵みだ。地理と歴史は連動している。
島根半島という山脈が、米子や松江を外洋から守り、この地域の繁栄を出現させていたのか。

↑上の地図を見ていてもうひとつ気になったのが青い丸の部分。
★松江市と外洋を隔てた島根半島山脈に細い切れ目がある。
そこに佐陀川という長さ8㎞の川が流れているのだが、それが江戸時代の人工河川なのをあとから知った。

今年没後二百年にあたる松平治郷(はるさと)通称:松平不昧公による治水・水運事業のひとつだった。
不昧公は茶の湯で藩の財政をたてなおした名君として知られているが、こんなところにまでアイデアを発揮していたとは。
なかなか奥の深い人物である。
※このあたりまたの機会に詳しい方にお話がきけるといいなぁ

今回、境港では有名すぎる「水木しげる記念館」は入らなかった。けっこう好きなので、入れば時間がかかるのはあきらかだったので(^_^;) 前を通った時「砂かけばばあ」をみかけました。

その代わり、「海と暮らしの史料館」を見学した↓

サカナの剥製いっぱい…



境港の「くらし」の歴史に関する話が詳しく楽しめると思っていたのだが…

境港水道の上にかかる大橋をわたって鳥取県米子市から島根県松江市へ↓

冒頭の美保関灯台へむかった。
いちど美保神社はとおりすぎて先端の灯台まで行く↓
駐車場から見える絶景におもわす声がでる↓

右に見える灯台まで歩いてすぐ

現在灯台の内部は、観光案内書と絶景のレストランになっていた↓

ここでランチにした↓

※この時の様子は冒頭写真下のリンクからごらんください
***

「美保関の老舗旅館の五代目が同級生なんです」
と、今日の案内をしてくださっている地元民がおっしゃる。
それは耳寄りなお話、歴史ある神社もちょっと見てみたいので美保関の港に車を止めた。

港から一筋入った昔のメインストリートの「青石畳」をひと目見て惹きつけられた↓

少し青光りする昔からのとおぼしき石畳である↓マンホールもあるから敷きかえられてはいるのだろうが

これは歴史的な石畳にちがいない。見飽きない。

そこにある老舗旅館の旧館は昔日の美保関そのものだった。

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