旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

リールを少し歩く

2019-11-08 17:00:00 | ベルギー
16:30頃リールについた

商店の看板に灯がともるころ。秋のベルギーはこの時間がいちばん美しいと思う。


ベルギーの美しい街はたくさんあるが、ここにしかないのがこの時計

中世の塔にはめこまれている

塔自体は1425年以前にはあった(13世紀と解説したものもあった)コルネリウス塔という旧市街を囲む城壁の一部だった。
時計は1930年にルイス・ツィンマーよって製作された、世界に二つとないシロモノ。
表面に見える十二の文字盤は月の満ち欠けや潮位、星座といったよくあるものだが、内部の見えないところに二万五千八百年で一周する「世界一遅い時計」が隠れているのだそうだ。この年数が何を意味するのか?ガイドさんに解説してもらって、ウィキの解説も読んだのだけれど…どうも理解できません。アインシュタインがそれをきいてとてもよろこんだ、というのだけれど…。
**


リールにもあるベギン修道女会の教会

会の女性たちが住んだ建物は今も普通の住宅


旧市街の門だった建物


月が美しい

マグリットの絵を思い出す

↓川沿いに羊を放牧する像が置かれていた。
リールのニックネームを知れば、街中に羊がたくさん登場する理由が分かる
「リール人は羊のアタマ」とジャン二世は言った?

14世紀はじめ、都市国家が覇権を競っていた時代。
ブラバント公ジャン二世に対し、有力都市メッヘレン市が反乱を起こした。
その鎮圧に協力したリール市に褒美をあたえようと思ったジャン二世は訊ねた。
「大学か家畜市場か、どちらかを褒美に与えようとおもうが、どちらがよい?」
リール市民は
「大学がきたらうるさい学生たちが街をうろうろするようになるかもしれないし、家畜市場の方がお金になるね」
と考えて後者を選んだ。
ジャン二世公はその答えをきいて、「お前たちは羊のアタマだのぅ」と言ったそうな。


大学は(今晩我々が泊まる)ルーヴェンにいってしまったのでした。


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リールは予想通り美しい街だった、次回はもう少し時間をとりたい。
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メッヘレンの「ゴールデン・カルロス」

2019-11-08 16:00:00 | ベルギー
メッヘレンのビール「ゴールデン・カルロス」は国際的な賞をなんどもとっているそうな。
この名前はメッヘレンで育った神聖ローマ皇帝カール五世のこと※こちらに少し書きました
↓これは三種類お試しセット↓

お試しという割にはそれぞれが大きい(^_^;)
右から「トリプル」~麦三倍でアルコール度が高い、「ホップ多め」~いくつかの種類のホップをつかっているそうな、「クラシック」~昔の常温発酵なのだろう。
どれもおいしくてついつい飲んでしまうが、度数はみな八度以上あった。

↓会社の名前は「ヘット・アンカー」名前のとおり碇のマーク↓

↑このマークを使いはじめたのは1872年に経営譲渡されてから。
もともとは15世紀にベギン会が運営していたビール工場だったとされている。
↓昔の工場の煙突や

↓倉庫のたたずまいをよくのこしているが

ここ十年ほどはホテルとブラッセリーもはじめている。
立地も良いし今度は泊まってみようかしらん。
↓併設しているビア・レストランは気楽に入れるし料理もおいしい↓

↓ビールをつかった牛の煮込み

↓ビールソースで豚バラ

↓ビールをつかったころもでフィッシ&チップス

↓小松は地鶏をいただきました

ちかごろはウィスキーの蒸留もはじめているそうな。

街のお菓子屋さんで、メッヘレンの故事にちなんだ「三日月クッキー」を買って

※こちらに由来を書きました

**
ビアレストランで遅い昼食を終えるとすでに午後三時半をまわっていた。
世界遺産指定されたリールの街を少しだけ見にいこう。

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メッヘレンの鐘楼にのぼる

2019-11-08 14:00:00 | ベルギー
今のぼっておかなくては


大きな荷物はロッカーに預けましょう

ここから登るのだがチケットを買うところは向かい側にあるので注意
ICチップ入りのカードチケットを渡してくれる。それをかざして入場。

石造りの螺旋階段がはじまる↓

頂上まで五百段と少し。五十段ごとにちゃんと数字が出てくる↓

フズリナ?の化石。これも意識してここに使ったのでしょうね。

途中でちゃんと休憩できる↓
後ろに見える大きな輪は何?

↓登る前に見た塔断面図を思い出してみよう↓
↓塔の中ほど下に下からモノを吊りあげる装置が描かれている↓

↓足元に開いている丸い穴から教会内部が見下ろせる↓
↓オルガンを見下ろすための穴ではなく、ここからロープをおろして

建築用等の資材を吊り上げていたのか

この塔には42個セットのカリヨンが二組もはいっている

↓カリヨンの演奏席

メッヘレンにはカリヨン学校もあるのです。
鐘はそれほど古くない↓ラテン数字で1981年と書かれている↓


さらに上にも休憩できる場所はいくつかある。
突然、SKY WALKと書かれたところから外にでられた↓

未完の最上階に着いたのだ↓

なるほど未完成の塔だ。

青空の下、メッヘレンが平原の中の街であるのが分かる

大マルクト広場↓ゴシック様式の旧市庁舎の建物が上から見るとよくわかる

この地域の経済を支えてきた運河↓

↓降りる方がたいへんかも

往路と復路と別々の階段になっているのはとても便利
↓最後にカードを入れるとバーがまわせます。

さて、おそーい昼食へ、メッヘレンで有名なビール工場にいくとしよう(^.^)

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メッヘレン到着

2019-11-08 13:13:14 | ベルギー
高さ97mの未完の大鐘楼がそびえる↓
↓長崎のハウステンボスにある塔のオリジナルだといえばピンっとくるかしらん。

完成すれば167mになる筈だったが97mで工事がストップしたまま。
しかし、そのおかげでまさにあの頂上までのぼることができる↓

五百段越えの階段だけれど
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午前にルーベンスの家も訪れてからアントワープを出発し、正午ごろにメッヘレンに到着した。
ここは1506年から1530年までの二十四年間だが神聖ローマ帝国内ネーデルランド総督府の首都がおかれていた街。

↑大マルクト広場に面して古い建物がならんでいる。
いちばん左の建物が首都だった時代に国会がおかれていたそうな。
そこに神聖ローマ皇帝カール五世の像が設置されている↓

このハプスブルグ家の皇帝は1500年ちょうどにゲントに生まれたが、少年時代メッヘレンで育った。首都だった時代にあたる。
美男候と呼ばれた父フィリップを早くに亡くし、母は狂ってスペインで幽閉されていたが、父の妹(カールにとっては叔母)のマルグリットがそばにいた。彼女はフランス王の妃であったこともある才色兼備の人で、カールの生涯の方向を決定づけた人といってよいだろう。
↓マルグリットの像がメッヘレンの中心広場にあるのが、それを知れば理解できる↓

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メッヘレンにもベギン修道女会があった。
戦乱や十字軍運動で男性の数が減っていた時代、女性が安全に自立できる方法が求められていた。特定の修道院施設に入らなくても共同生活や互助活動を行うことができるベギン会はそういった背景があって現在のベルギーの各都市に存在していた。南欧に多い一度入ったら建物からさえ出られないような修道院とはまったく違う。
ベギン会の女性たちが暮らしていた路地が多くのこされている。


さぁ、鐘楼にのぼりにいこう!

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アントワープ朝歩き

2019-11-08 07:36:56 | ベルギー
昨夜は暗くなってからアントワープどまんなかのヒルトンに到着。少し散歩した。

お昼をたくさんたべたから夜はビールぐらいでいい

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すっきり晴れた翌朝、午前中はアントワープを歩こう。
↓これ、新業態のコインランドリー・カフェ。その名もWAS BAR

内部はこんな


↓このバーは「十一戒」という名前

もちろんモーゼの十戒のパロディだが十一個目ってなに?

「飲みすぎるなかれ」
天使がよっぱらって荒れております

↓昼のマルクトは昨夜と違う顔

アントワープの名前の由来を銅像にした


路地にはいっていく↓このあたりは戦争で壊された後に再建されているが、昔の建物と違和感がないように上手にデザインされている↓

↓この「肉屋のギルド」は1504年からのオリジナル

当時、二百メートル先に家畜市場があり、この建物の地下で精肉したものを地上階で売っていた。
フランス革命でギルドは閉鎖され、その後ワイン倉庫、画家たちのアトリエ、1913年以降はアンティーク博物館、現在はアントワープの五百年を音と光で表現するミュージアムになっているんだそうな。どんなのだろう?

↓国際都市アントワープには外国人の宿も多かった。ここは英国商人が定宿にしていた↓

現代はビール酒場で…↓

↑これで注いでいるのだそうな
↓1621年にイエズス会がルーベンスにオーダーした教会建築

内部はルーベンスの代表作といわれるほど凝ったバロックだったそうだが焼けて、今は残っていない。

↓KBCビルは1932年に初の高層ビルとして建てられた

もとは87mだったが十メートル高くなって97m

↓「王宮」という建物は、ナポレオンが滞在していた

↓当時の内装を意識して残している

↓ゲントの「チョコレートライン」が入っている

近頃はいろんな種類がつくられておりますねぇ


↓工場も併設されていて、そこにこんなのがおりました↓


**
ルーベンスの家にも入場することにした。
今は道路だがかつて家の前には運河が流れていたそうだ↓

十七世紀の雰囲気がそのまま

壁はデルフト焼き

ローマに二度長期滞在し、古代ギリシャ・ローマの賛美者となった。
邸宅のところどころに古代の品々が

飾られている

ローマから大事に持ち帰った古代の品が飾られた大きな部屋↓

中央はネロの家庭教師もしていたという哲学者セネカとされている
↓庭に面した壁面にも同じコピーが飾られていた

中庭は十七世紀の姿

↓むしろ下の版画に似せて修復されたのかもしれないが


居住スペースより格段に天上の高いアトリエがあった

自分自身の肖像画↓

↓弟子のうちいちばん優秀だったヴァン・ダイク十六歳の肖像↓

***
アントワープ大聖堂にももちろん入る

↓正面祭壇の「聖母被昇天」には製作当時に没した一人目の妻の面影が描かれている

ヴェネチアにあるティッチアーノの「聖母被昇天」はルーベンスも見ていたにちがいない

いちばん有名な「十字架降下」↓

もとはこの教会のために描かれたのではないけれど、ちょうどよい場所にある。

礼拝堂のひとつではこんな現代アートもあった↓

うーん・・・



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