旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ブルージュからオーステンデへ、北海を見て夕食を

2019-11-06 20:42:00 | ベルギー

ブルージュが北海での海運で栄えたという歴史を、ブルージュに来るだけでは感じられないといつも思っている。
今日の午後は電車で北海に面したオーステンデまで行こう。
ブルージュの駅は旧市街から「愛の湖」をこえて

すぐのところにある。

ローカル電車の旅

↓こんな列車がやってきました

乗車すれば十五分ほどで
北海に面した大都市オーステンデに到着する↓
↓この駅が十三年前とはがらりと変わっていてびっくりした↓2019年11月の駅ホーム

↓こちら、2006年12月に到着した時に撮影した駅ホーム

2006年にはこんな感じで存在していた観光案内所はみあたらない

2006年に訪れたカテドラルは

駅舎をでたところから

百メートルほど向こうに変わらずそびえていた

古そうに見えるが1899年から建設がはじまり1908年に完成した二十世紀のネオ・ゴシック建築。もちろんそれ以前にももっと古い教会があった場所。

二十世紀の二つの大戦を建物は生きのびてきたが、ステンドグラスは破壊されて新しくなったもの↓

後ろに接続された礼拝堂は1850年にオステンデで亡くなった王妃ルイーズ・マリーのためのもの↓

彼女はフランス国王ルイ・フィリップの娘で初代ベルギー国王レオポルド一世の妃だった↓
↓装飾に王冠があしらわれている

※彼女が葬られているのはラーケン

北海に向かう繁華街をあるいていく

夏は避暑地としてにぎわっているのがひとめでわかる海岸
このむこうはイギリスかぁ

オステンデはベルギーにとって重要な港町。昔も今も。
オランダがスペンから独立した八十年戦争の最中、1601-4年にスペインに包囲され、プロテスタントの街であったけれどもスペイン側に残された。
それ故、いまでもベルギー領になっているのだ。

**

この町はベルギー象徴主義派画家のジェームズ・アンソールが1947年まで住んだ家とアトリエがある↓2019年は大規模修復中↓白いテントのところ

2006年に訪れた時は時が止まったようなたたずまいだった↓

彼の家はお土産やだった

この上の階がアンソールのアトリエだった。
※2006年に訪れた時の話はまたの機会に

***夕食のレストラン、ちょっといいところがみつかりました(^.^)
夏場シーズンならちょっと入れないかなと思うような店。
アミューズもこんな↓

名物北海海老のエッセンスがたっぷりのミニスープが真ん中↑
↓ワインでなくてビールでもかまいません

↓こうやって注ぐのよ

↓ドーバーのひらめ

ホタテのグリル二つの味で

海鮮グラタン


ゆっくり楽しんでいたらブルージュへの列車は20:42分になった

まぁ、十五分で着くからだいじょうぶ

この駅も昔はこんなだったっけ↓


タクシーで旧市街マルクトすぐ近くのホテルに帰着しました


















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秋のブルージュを歩く~「神の家」

2019-11-06 11:11:11 | ベルギー
《手造》ベルギーの美しい街めぐり、二日目。天気予報では今回の旅の間ずっと雨マークだったが、11時ごろ「神の家」の庭にいるころには晴れてきた↓

表通りから

壁にかかれた「神の家1613」の文字にひかれて↓
ちいさな扉をくぐると↓

時間が止まったような中庭

「神の家」に、「貧窮院」という言葉をあてるのはちょっと違う気がする

社会制度が不完全だった時代、財産を持っていても独居することが難しい人は少なくなかった。
財産を寄付して共同生活する場を、宗教団体が提供することは今でもよくある。

**
今では「メムルンク美術館」になっている「シント・ヤン・ホスピタル(聖ヨハネ病院)」も


公共制度不十分だった時代に成立し、1970年代までこの場所で活動していた

入るとすぐに天井の高い大広間になっていて、今はメムルンクの作品が展示されている



かつてはこんな感じだったのか↓

働いていた修道女の葬儀の写真があった

まさに同じ様子が描かれた17世紀末の絵も↓

彼女たちが住んでいたのはこの大広間の屋根裏にあたる場所↓あがっていくことができる

思ったより広い空間。梁はなんと13世紀からのモノだそうだ。

★ここに収蔵されている「ベルギー七大秘宝」のひとつ、メムルンクの「聖ウルスラの聖遺物箱」については別途

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秋のブルージュを歩く~朝市から

2019-11-06 09:50:42 | ベルギー
予報は雨だったが幸いこのぐらいの曇り空

ホテルを出てすぐのマルクトでは水曜の朝市が出ていた
日本の柿はそのままKAKI

「白大根」は焼くとおいしいのだそうだ↓

この黒いのはなに?

チーズ屋さん

グリルチキンがまわっている

この「ピストレット」というベルギーの丸いパンはさくっとした食感が好まれているそうな↓


すぐ近くのブルグ広場はその名前の通り古い砦があった場所

ここに面したクラウンプラザホテルの地下には

かつてあった巨大な教会の遺構が保存されている↓

↑内陣のまるくなった部分
↓埋葬されていた石棺の内部に天使が描かれている↓


↓基礎に使われていた木製の杭

熊の骨までみつかった↓

ブルージュが最初に街として拓かれようとするとき熊と出会った伝説がある。
それでブルージュの紋章には熊が描かれるようになり↓

商工会議所では実際に熊が飼われていた。これは、その熊の骨かもしれない。
**
魚市場では

今でも数軒の店が北海名物の灰色海老をうっていた↓

***
ノートルダム教会に入る
ここでいちばん有名なのはミケランジェロが若い頃の聖母子像↓

ブルージュの商人がミケランジェロ本人から購入して持ち帰り、奉納したと伝えられている。
もともとはシエナ大聖堂のためにミケランジェロが製作していたもののひとつと言われている。
↓祭壇は修復工事の真っ最中でした


ここブルージュが首都だったブルゴーニュ公国時代、最後の姫君マリー・ド・ブルゴーニュの墓がある↓

彼女の父シャルル突進候も隣に埋葬されている

マクシミリアンがブルゴーニュ公国を継承したことにより、後のハプスブルグ家の大繁栄に至るのだが、若くしてマリーが死去した時にブルージュで反乱がおき、マクシミリアンの寵臣ピエールを処刑した。彼の紋章は白鳥で、その墓がノートルダム教会にある↓


ビール醸造は中世当時から大きな商売で、グルートフーズ家は教会のとなりの自邸から専用の回廊をつかって教会に入り、専用の礼拝室からミサに参列していた↓この二階に見える場所がそれ↓




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