旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

シャガール美術館とサン・ポール・ドゥ・ヴァンス

2020-10-29 10:43:11 | フランス
2004南フランスの旅より
シャガールは晩年の二十年をニースに近いサン・ポールですごした。

城壁にかこまれた丘の上の街だが、海からも七キロほどである。

ニースから二十キロ。バスが頻繁に運行している。
★シャガールの絵の中に登場する町のシルエット

上半分がここサン・ポール・ドゥ・バンス。
下半分を上下逆にしてみれば、
彼が二十歳まで過ごしたベラルーシのヴィテブスク村のシルエットになっている。

町はずれの水道橋と

ちいさな墓地

シャガールの墓がある

お参りに来た人が小石をひとつのせるのがユダヤの習慣「ミツヴァ」のひとつ。
かつて、立派な墓石などつくれなかったユダヤ人たちが墓の場所を忘れられないためにおこなっていた習慣のなごり。
ここに一緒に葬られているのは二度目の妻ヴァレンティーナ。
愛称ヴァヴァ。ニースのシャガール美術館に掲げられた彼女への賛美。

「愛しきヴァヴァ、私の喜び、私の楽しみ」

ここで画かれる相手はヴァヴァなんだろう。
初期によく描かれる恋人たちは最初の妻ベラと自分だと言われるが

サン・ポールの街をあるいてみよう

街の入口にある有名なカフェ、その名も「広場のカフェ」。
すぐ前の広場では南仏伝統の「ペタンク」をやっていた。

旧市街の道を彷徨う。

中世からの道は曲がりくねりのぼり・降りる。

小さな教会がたくさん

ちかくに、街の歴史を視覚化した蝋人形館があった。

レオナルド・ダ・ヴィンチを呼び寄せたフランス王フランソワ一世が、16世紀に城壁を築かせた。
1524年と1536年に(当時は別の国だった)プロヴァンスが攻めてきたから。
レオナルド自身も訪れたと町はいう。

↑17世紀のアントワーヌ・ゴドー司教はサン・ポールを独立させ、参事会教会を建設して権威を高めた。
アカデミー・フランセーズ設立時、最初の四十人の一人だった人物。

見所のが多い街だが小さなホテルしかないのでツアーで滞在することはほとんどない。

**
バスでニースに戻る。
シャガール美術館は彼が生きているあいだに開館した。

ステンドグラスの光につつまれたコンサート会場もある。

ピアノもこんな風。

絵の中によく登場するヤギのような動物

彼が心穏やかな時の象徴だと解説したものもある



美術館の売店に当時こんな子が居た

シャガールとベラの出身村にちなんで、勝手に「ヴィテブスク」くんと名付けておりました。
数年後にもう一匹買いたいと思ったけれど、もうありませんでした。
コメント
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