旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

オークランド~マウント・イーデン、植物園、博物館

2020-10-18 12:34:21 | ニュージーランド
2002、2005、2007年 ニュージーランドの旅よりオークランドは火山帯の上にある

観光の定番「マウント・イーデン」を見るとひと目で納得。合計五十以上の火口跡があるのだそうだ。

オークランドタワー(328m)とハーバーブリッジ。

タワーは夜景を楽しみにのぼった


NZはどこへ行っても植物園が見所

↑「南洋杉」は頂上が十字架のようなカタチになるので宣教師たちが好んだそうな。

温室はどんな天気でも楽しめる(^^)

この名物ガイドさんの身体をはったガイディングにはいつもあっけにとられつつ楽しませていただきました。※ゆうふうさん2019年没


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NZの歴史を知るにはオークランド博物館を訪れるべし

ちょうどエドモンド・ヒラリーの展覧会をやっていた

エベレストにはじめて登頂した、世界でいちばん有名なニュージーランド人かもしれない。

彼は生きているうちにお札になった、皇室以外ではじめての人物。
※2008年八十八歳で没

先住民マオリ族の文化は実演と共に

★PATUパトゥはマオリ族の武器
彼らがポウナムと呼んだ玉石でつくられている。ポウナムは金属の代わりに斧や鏃にも使われたそうな。


絶滅した巨大な鳥「モア」は体高三メートルもあった。
骨しか見つかっていないが、復元してある。
ハワイキから七百年ほど前に渡ってきたマオリ族が乱獲して五百年ほど前に絶滅したとされる。
白人が巨大な骨を見つけて「なんだこれは」となった。

↑これらは白人たちが連れてきた動物たち


ここはイギリスの先兵となって戦場に送り込まれた兵士たちを慰霊する場にもなっている。

第一次大戦中に現トルコ領のガリポリでのアンザック兵のことは特に詳しく解説されている。
※小松がガリポリ半島を訪れた時の日記をこちらからごらんください

第二次大戦では日本の標的にもなったオーストラリア

現パプアニューギニアの基地から日本軍が出撃していた。

オークランド博物館にはブーゲンビル島の元日本軍基地から入手したゼロ戦が展示されている。

この機体を最後に操縦した日本人飛行士の詳細な説明を「幸運な生存者」として紹介している

この機体は終戦時にはラバウルに置き去りにされ、オーストラリア軍は「飛行できない」としていたのだが、ニュージーランド人パイロットがどうしても飛ばしてみたいと思い、ブーゲンビル島にあるニュージーランド軍の基地まで飛行したことで、ニュージーランドの所有するところとなったのだった。

ゼロ戦は当時の飛行技術者にとって大きな興味の対称で、囚われていた日本人技術者とニュージーランド人技術者の間には敵味方を越えた知識の交換がおこなわれた。※博物館の英語解説文より  「幸運な生存者」=シバヤマ・セキゼン氏も1997年にここを訪れている。
コメント
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