2002ニュージーランドの旅で、伝説のカップを間近にみることができた
世界最高のヨットレースに賞金はない。この銀製カップだけである。
このカップのルーツは、日本なら黒船が来る前の1851年8月。
イギリス南部でワイト島一周ヨットレースが開催され、ヴィクトリア女王がゴールで待っていた。
霧の中から最初に現れたのは、新興国アメリカから参加した新参艇!
「二番手はどこですか?」と、ヴィクトリア女王
「二番手はおりません女王陛下」
賞品として用意されたカップはアメリカに持ち去られた。
カップはニューヨークヨットクラブに規約と共に寄贈された。
★カップを獲得しようとするチャレンジには応じなければならない
カップを賭けたレースは132年にわたり二十四回開催されたがアメリカが勝ち続け、いつしか「アメリカのカップ」と通称されるようになっていった。
1983年、第二十五回大会、ついにオーストラリアが勝利!
カップをシドニーに移動しようとしたら、ニューヨークヨットクラブの台座にボルトで固定してあった。
百三十年以上前のカップはホンモノか?
カップはニューヨークからロンドンに運ばれ、カップを製造した会社で鑑定が行われホンモノだとお墨付きをえてシドニーにむかった。
1987年、第二十六回大会。
西オーストラリアのパース近郊で行われたレースでチャレンジャーのアメリカが勝利しカップはアメリカが取り戻した。
1995年、第二十九回大会。
ニュージーランドチームが勝利し、カップはオークランドへ!
2000年、第三十回大会ではチャレンジャーイタリア艇の挑戦を退けて防衛。
2002年、カップはオークランドにあり続けていた。
今回のチャレンジャーを待つニュージーランド艇が誇らしげに飾られている
チャレンジャーは総当たりの予選を戦って代表を決める。
この予選はルイ・ヴィトンがスポンサーして「ルイ・ヴィトン・カップ」の名前がつけられている。
今回のチャレンジャーはフランス、イタリア、スウェーデン、スイス、イギリス、から参加
それぞれが何日もかけて総当たりをするのだから長い長い予選期間なのだ
コースは「ロメオ」と「ジュリエット」の二つ(^.^)
アルプスの国スイスからも参加?
いや、ヨットというのはお金持ちのスポーツなのです。
行き合わせたスイス艇↓「アリンギ」は
スイス銀行がスポンサーになっていた
アメリカス・カップ初参戦のスイスチームはなんと、
前回ニュージーランド(NZ)チームのスキッパー(リーダー役)ラッセル・クーツを高給で引き抜き、スイスチームのスキッパーにしていた。
他のクルーも彼と共にスイスチームに移ってしまったので、今回のスイスチームは実質前回のニュージーランドチームをスイスがスポンサーしたようなもの。
NZ国民から絶大な人気のあったラッセル・クーツには批判の声もあがったが、スポーツ選手が稼げるときに稼げる仕事をするために世界を渡りあるくのは自然な事。
むしろ、NZ人の優秀さを認められたのだと喜ぶ人も多かったそうな。
これがもし日本人だったらどう思われるか…NZ人、ふところ深いです。
*
帰国後、翌2003年、
ヨットにはあまり関心の高くない日本からアメリカス・カップ決勝のニュースを見つけてみると、
スイスの「アリンギ」が優勝していた!
ここまでのアメリカス・カップに、日本艇「ニッポン・チャレンジ」も三度参戦したが決勝にはすすめなかった。
2007年、第三十二回大会はレマン湖ではなく(笑)スペインのヴァレンシア沖で開催され、スイスの「アリンギ」チームが防衛。
2010年、第三十三回大会もヴァレンシア沖で開催。アメリカの「オラクル」が勝利し、カップは西海岸のサン・ディエゴへ。
2013年、第三十四回大会はサンフランシスコで開催。アメリカの「オラクル」が防衛。
2017年、第三十五回大会はバミューダ諸島で開催され、中東マネーが入ったエミレーツ・ニュージーランドチームが勝利し、カップはオークランドへ帰ってきた。
2021年に予定されている第三十六回大会は、勝者NZの本拠地このオークランドで開催されるだろう。
オークランドの別名は「シティ・オブ・セイルズ(帆の街)」
その名のとおり、港いっぱいにヨットがあふれている。
世界最高のヨットレースに賞金はない。この銀製カップだけである。
このカップのルーツは、日本なら黒船が来る前の1851年8月。
イギリス南部でワイト島一周ヨットレースが開催され、ヴィクトリア女王がゴールで待っていた。
霧の中から最初に現れたのは、新興国アメリカから参加した新参艇!
「二番手はどこですか?」と、ヴィクトリア女王
「二番手はおりません女王陛下」
賞品として用意されたカップはアメリカに持ち去られた。
カップはニューヨークヨットクラブに規約と共に寄贈された。
★カップを獲得しようとするチャレンジには応じなければならない
カップを賭けたレースは132年にわたり二十四回開催されたがアメリカが勝ち続け、いつしか「アメリカのカップ」と通称されるようになっていった。
1983年、第二十五回大会、ついにオーストラリアが勝利!
カップをシドニーに移動しようとしたら、ニューヨークヨットクラブの台座にボルトで固定してあった。
百三十年以上前のカップはホンモノか?
カップはニューヨークからロンドンに運ばれ、カップを製造した会社で鑑定が行われホンモノだとお墨付きをえてシドニーにむかった。
1987年、第二十六回大会。
西オーストラリアのパース近郊で行われたレースでチャレンジャーのアメリカが勝利しカップはアメリカが取り戻した。
1995年、第二十九回大会。
ニュージーランドチームが勝利し、カップはオークランドへ!
2000年、第三十回大会ではチャレンジャーイタリア艇の挑戦を退けて防衛。
2002年、カップはオークランドにあり続けていた。
今回のチャレンジャーを待つニュージーランド艇が誇らしげに飾られている
チャレンジャーは総当たりの予選を戦って代表を決める。
この予選はルイ・ヴィトンがスポンサーして「ルイ・ヴィトン・カップ」の名前がつけられている。
今回のチャレンジャーはフランス、イタリア、スウェーデン、スイス、イギリス、から参加
それぞれが何日もかけて総当たりをするのだから長い長い予選期間なのだ
コースは「ロメオ」と「ジュリエット」の二つ(^.^)
アルプスの国スイスからも参加?
いや、ヨットというのはお金持ちのスポーツなのです。
行き合わせたスイス艇↓「アリンギ」は
スイス銀行がスポンサーになっていた
アメリカス・カップ初参戦のスイスチームはなんと、
前回ニュージーランド(NZ)チームのスキッパー(リーダー役)ラッセル・クーツを高給で引き抜き、スイスチームのスキッパーにしていた。
他のクルーも彼と共にスイスチームに移ってしまったので、今回のスイスチームは実質前回のニュージーランドチームをスイスがスポンサーしたようなもの。
NZ国民から絶大な人気のあったラッセル・クーツには批判の声もあがったが、スポーツ選手が稼げるときに稼げる仕事をするために世界を渡りあるくのは自然な事。
むしろ、NZ人の優秀さを認められたのだと喜ぶ人も多かったそうな。
これがもし日本人だったらどう思われるか…NZ人、ふところ深いです。
*
帰国後、翌2003年、
ヨットにはあまり関心の高くない日本からアメリカス・カップ決勝のニュースを見つけてみると、
スイスの「アリンギ」が優勝していた!
ここまでのアメリカス・カップに、日本艇「ニッポン・チャレンジ」も三度参戦したが決勝にはすすめなかった。
2007年、第三十二回大会はレマン湖ではなく(笑)スペインのヴァレンシア沖で開催され、スイスの「アリンギ」チームが防衛。
2010年、第三十三回大会もヴァレンシア沖で開催。アメリカの「オラクル」が勝利し、カップは西海岸のサン・ディエゴへ。
2013年、第三十四回大会はサンフランシスコで開催。アメリカの「オラクル」が防衛。
2017年、第三十五回大会はバミューダ諸島で開催され、中東マネーが入ったエミレーツ・ニュージーランドチームが勝利し、カップはオークランドへ帰ってきた。
2021年に予定されている第三十六回大会は、勝者NZの本拠地このオークランドで開催されるだろう。
オークランドの別名は「シティ・オブ・セイルズ(帆の街)」
その名のとおり、港いっぱいにヨットがあふれている。