2006アメリカ東海岸の旅よりマンハッタン島のいちばん北にこんな「修道院」があるとは
いや、これはメトロポリタン美術館の別館「クロイスターズ=修道院の回廊中庭」。
20世紀の初めごろ、困窮して朽ちようとしていた南仏からスペインにかけての修道院四か所を買い取り、そこから運ばせたコレクションがここに再構成されている。
↑この塔は南仏とスペインにある修道院の塔をモデルにしている
↑なるほど似ている。
これら廃墟となっていた修道院から運ばれたモノをメインに収蔵しているのだ。
集めたのはGeorgy Grey Barnard(1863-1938)という彫刻家。
ロックフェラーJr.は1917年に取得していた土地を、1935年からこれらの修道院コレクションを再現するために使う事にしたのだ。
こういった柱頭の彫刻は、これだけを展示しても修道院の回廊を見たことのない多くのアメリカ人たちには理解できない。
それでこれだけ大掛かりな再現展示をしたのだ。
中世ロマネスクの彫刻は↑それが何を表しているのかよくわかっていないものも多いが、後のルネサンスの優美さとは違う魅力がある。
↑上の写真の回廊は柱はホンモノだが回廊はそれに合わせて場所を再現してある。
これは建設当時のモノクロ写真。
★こちら美術館のサイト内にある動画リンクで、ロックフェラーがどのようにこの土地を手に入れ(02:50あたりから)、修道院がもともとどのような場所にあったのか(12:45あたりから)、詳しく解説されています。
↑ここも展示室だが↑1175-1200年ごろのロマネスク様式の教会そのもの↑
スペインはマドリッドの北150㎞ほどのフエンティドゥエーニャにあった教会をそっくり解体し、
三千三百個のパーツをここでまた組みなおした。
だから「ホンモノ」と言ってよいかもしれない。
壁に直接えがかれたフレスコ画は↑こんなふうに壁ごと切り取って博物館に置かれることがおおい↑
↑こちらはゴシック様式の礼拝堂↑窓はフランスのものだが、
他に南オーストリアやスペインから同じ十四世紀の礼拝堂からもってきたものを組み合わせてひとつにしている。
***
ロックフェラーJr.がばらばらになっていたシリーズを買って同時にみられるようにしたという「ユニコーン・タピスリー」。
※パリにある「一角獣と貴婦人」を思い出す
15世紀半ばから16世紀に製作されたものと推察されている。
スペインの教会の向こうにハドソン川が流れている↑
いや、これはメトロポリタン美術館の別館「クロイスターズ=修道院の回廊中庭」。
20世紀の初めごろ、困窮して朽ちようとしていた南仏からスペインにかけての修道院四か所を買い取り、そこから運ばせたコレクションがここに再構成されている。
↑この塔は南仏とスペインにある修道院の塔をモデルにしている
↑なるほど似ている。
これら廃墟となっていた修道院から運ばれたモノをメインに収蔵しているのだ。
集めたのはGeorgy Grey Barnard(1863-1938)という彫刻家。
ロックフェラーJr.は1917年に取得していた土地を、1935年からこれらの修道院コレクションを再現するために使う事にしたのだ。
こういった柱頭の彫刻は、これだけを展示しても修道院の回廊を見たことのない多くのアメリカ人たちには理解できない。
それでこれだけ大掛かりな再現展示をしたのだ。
中世ロマネスクの彫刻は↑それが何を表しているのかよくわかっていないものも多いが、後のルネサンスの優美さとは違う魅力がある。
↑上の写真の回廊は柱はホンモノだが回廊はそれに合わせて場所を再現してある。
これは建設当時のモノクロ写真。
★こちら美術館のサイト内にある動画リンクで、ロックフェラーがどのようにこの土地を手に入れ(02:50あたりから)、修道院がもともとどのような場所にあったのか(12:45あたりから)、詳しく解説されています。
↑ここも展示室だが↑1175-1200年ごろのロマネスク様式の教会そのもの↑
スペインはマドリッドの北150㎞ほどのフエンティドゥエーニャにあった教会をそっくり解体し、
三千三百個のパーツをここでまた組みなおした。
だから「ホンモノ」と言ってよいかもしれない。
壁に直接えがかれたフレスコ画は↑こんなふうに壁ごと切り取って博物館に置かれることがおおい↑
↑こちらはゴシック様式の礼拝堂↑窓はフランスのものだが、
他に南オーストリアやスペインから同じ十四世紀の礼拝堂からもってきたものを組み合わせてひとつにしている。
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ロックフェラーJr.がばらばらになっていたシリーズを買って同時にみられるようにしたという「ユニコーン・タピスリー」。
※パリにある「一角獣と貴婦人」を思い出す
15世紀半ばから16世紀に製作されたものと推察されている。
スペインの教会の向こうにハドソン川が流れている↑