2006年アメリカ東海岸の旅より
D'où venons-nous ?
Que sommes-nous ?
Où allons-nous ?
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
タヒチで二十歳の娘の訃報をうけとったあと、四十九歳のゴーギャンが完成させた。
経済的にも行き詰まり、完成後に自殺を試みたとされている。
この作品に出会うためにだけでもボストン美術館に行く価値がある。
*
午前中にフリーダムトレイルを歩き、クインシー・マーケットでお昼。
午後はハーヴァード大学とボストン美術館を訪れた。
六月、ハーヴァード大学は卒業式の準備がすすめられていた。
卒業式は野外で行われる。
著名人のスピーチが続く七日間のお祭り週となる。
学内は我々のような旅人もノーチェックで自由に入れる。
こうやって創立者ハーヴァードさんの像に触ることもできる。
ハーヴァード大学の校章に刻まれたモットーは「VERITAS=真理・真実」
聖書のヨハネ福音書にある「veritas liberabit vos」(真実・真理はあなた方を自由にするだろう)からとられた。
アメリカにキリスト教の宗派はたくさんあるが、学内の教会はそのどれにも属さないそうだ。
その壁には戦争で落命した校友たちの名前がずらりと刻まれている。
学校グッズのショップも充実しております(^^)
※ハーヴァード大学については2012年に訪れた時のブログもご覧ください
**
ボストン美術館へ向かう。
冒頭の言葉が書かれたゴーギャンの作品↑全体はこんなに大きい。
縦約1.4m×横約3.8m。実際にそのサイズを知ると、もっと大きな絵はいくらでもあるとわかるのだが、サイズ以上の大きさを感じさせる。
画面の右から左へ人生が展開していると解説されることが多い
左下に画面唯一の老女が「これでよかったのか?」というような横目で振り返っている。
白い鳥はどこへいざなうのだろう。
モネが三十六歳の時に、妻のカミーユをモデルに描いた。
まだ睡蓮の庭なんか影もカタチもない時代。すでに日本趣味だったのだ。
ボストン美術館は日本美術でも有名。
ただ集めているだけではなく、その展示環境も考慮されている。
もちろんホンモノのお寺のようにはいかないが、そのような光の下で見ることは必要。
曾我蕭白の「風仙図屏風」↑退治しようとしている竜の姿を描かず↑左の真っ黒な風?で表わす迫力
日本にあったら重要文化財指定まちがいなし。
↑三万枚を超える浮世絵をボストン美術館に寄贈したビゲローWilliam Sturgis Bigelow(1850–1926)を、浮世絵画家・小林永濯が描いた軸。フェノロサや岡倉天心と共に明治初期の日本美術を守り・収集し、故郷ボストンに伝えた人物。大津の三井寺に葬られている。
あ、加納芳崖の「悲母観音」?↑よく似ているけれど、岡倉秋水(天心の甥)が描いたものだった。
これ中国だったか韓国だったかメモしていなかったのだが↓
実に美しい。
ヨーロッパの伝統的な美術もあるが
印象派をはじめとする、従来のサロンに受け入れられていなかった画家達を最初に評価したのはアメリカだった。
モネはその代表格。
モネの没後に荒れ果てていたジベルニーの睡蓮の庭を修復したのもアメリカマネーだった。
アメリカらしい作品も充実している
※オキーフのこんな大作、2015年にニューメキシコでオキーフ美術館に行った時にもなかった
※こちらで書いています
エドワード・ホッパーらしい、明るくシーンとした画面
※2010年に大きく改築されたボストン美術館、加わったアメリカ美術のセクションを2012年に解説していただきました。こちらからご覧ください。
D'où venons-nous ?
Que sommes-nous ?
Où allons-nous ?
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
タヒチで二十歳の娘の訃報をうけとったあと、四十九歳のゴーギャンが完成させた。
経済的にも行き詰まり、完成後に自殺を試みたとされている。
この作品に出会うためにだけでもボストン美術館に行く価値がある。
*
午前中にフリーダムトレイルを歩き、クインシー・マーケットでお昼。
午後はハーヴァード大学とボストン美術館を訪れた。
六月、ハーヴァード大学は卒業式の準備がすすめられていた。
卒業式は野外で行われる。
著名人のスピーチが続く七日間のお祭り週となる。
学内は我々のような旅人もノーチェックで自由に入れる。
こうやって創立者ハーヴァードさんの像に触ることもできる。
ハーヴァード大学の校章に刻まれたモットーは「VERITAS=真理・真実」
聖書のヨハネ福音書にある「veritas liberabit vos」(真実・真理はあなた方を自由にするだろう)からとられた。
アメリカにキリスト教の宗派はたくさんあるが、学内の教会はそのどれにも属さないそうだ。
その壁には戦争で落命した校友たちの名前がずらりと刻まれている。
学校グッズのショップも充実しております(^^)
※ハーヴァード大学については2012年に訪れた時のブログもご覧ください
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ボストン美術館へ向かう。
冒頭の言葉が書かれたゴーギャンの作品↑全体はこんなに大きい。
縦約1.4m×横約3.8m。実際にそのサイズを知ると、もっと大きな絵はいくらでもあるとわかるのだが、サイズ以上の大きさを感じさせる。
画面の右から左へ人生が展開していると解説されることが多い
左下に画面唯一の老女が「これでよかったのか?」というような横目で振り返っている。
白い鳥はどこへいざなうのだろう。
モネが三十六歳の時に、妻のカミーユをモデルに描いた。
まだ睡蓮の庭なんか影もカタチもない時代。すでに日本趣味だったのだ。
ボストン美術館は日本美術でも有名。
ただ集めているだけではなく、その展示環境も考慮されている。
もちろんホンモノのお寺のようにはいかないが、そのような光の下で見ることは必要。
曾我蕭白の「風仙図屏風」↑退治しようとしている竜の姿を描かず↑左の真っ黒な風?で表わす迫力
日本にあったら重要文化財指定まちがいなし。
↑三万枚を超える浮世絵をボストン美術館に寄贈したビゲローWilliam Sturgis Bigelow(1850–1926)を、浮世絵画家・小林永濯が描いた軸。フェノロサや岡倉天心と共に明治初期の日本美術を守り・収集し、故郷ボストンに伝えた人物。大津の三井寺に葬られている。
あ、加納芳崖の「悲母観音」?↑よく似ているけれど、岡倉秋水(天心の甥)が描いたものだった。
これ中国だったか韓国だったかメモしていなかったのだが↓
実に美しい。
ヨーロッパの伝統的な美術もあるが
印象派をはじめとする、従来のサロンに受け入れられていなかった画家達を最初に評価したのはアメリカだった。
モネはその代表格。
モネの没後に荒れ果てていたジベルニーの睡蓮の庭を修復したのもアメリカマネーだった。
アメリカらしい作品も充実している
※オキーフのこんな大作、2015年にニューメキシコでオキーフ美術館に行った時にもなかった
※こちらで書いています
エドワード・ホッパーらしい、明るくシーンとした画面
※2010年に大きく改築されたボストン美術館、加わったアメリカ美術のセクションを2012年に解説していただきました。こちらからご覧ください。