2006年、アメリカ東海岸の旅より
セントラルパークの「ストロベリー・フィールズ」↑
すぐ近くにジョン・レノンが住んだダコタ・ハウス↑彼が撃たれた入口付近。
72丁目にあるこのマンションは1884年に完成した当時、アメリカの「ダコタ準州」みたいに遠いからその名前になったとか。
★マンハッタン島は南端のバッテリーパークからはじまり北上すると○○丁目の数字が増えていく。
ダコタ・ハウスはまだセントラル・パークの西側。
セントラル・パークが終わる110丁目からハーレムと呼ばれる地区。
ハーレムの中心は1860年に開業した「アポロ・シアター」↑のある125丁目↑現在のハコは1913年。
エラ・フィッツジェラルド、ジェームズ・ブラウン、マイケル・ジャクソンもここからキャリアをはじめた「アマチュア・ナイト」は水曜日に開催される。
かつては治安が悪くて、アポロ・シアターのショーを観に行くツアーバスに銃弾が撃たれたことまであったそうだが、今はそんな雰囲気は消え去った。
日曜日の朝、ポップ・アートの絵描きさんが店を出していた。
奥さんは日本人。観光客が買ってくれたTシャツにサイン(^.^)
**
↑CCNY=ニューヨーク・シティ・カレッジは1847年に開校した名門大学↑この建物は1906年。大学がダウンタウン(23丁目)からこの130-140丁目に移転した時に建設された。
学費無料ではじまりユダヤ人子弟やヒスパニックや黒人、アジア人の方が白人よりも多い。
ハーバードなどのアイビーリーグに対抗する存在。
創立者は初代日本公使を務めたタウンゼント・ハリス。
初代財務長官ハミルトンの家↑はもともとここにあったのではなくトレーラーで家ごとここに運んでこられた。
←ハミルトンはこの10ドル札の人物
マンハッタン島の北部、モリス・マウントと呼ばれた高台のこの家はイギリスと大陸植民地軍双方が使った家。
モリソンージュメル・マンションが建てられたのはまだ英国領だった1765年。
当時住んでいたのはロジャー・モリス大佐とその家族。
135エーカーの敷地がハドソン川まで続く農園だった。
1776年9月、後にアメリカ建国へと導く反乱が起きてモリスは退去し、代わってワシントンがここを大陸植民地軍の司令部にした。
9月16日襲ってきたイギリス軍五千人に対し千八百人の大陸軍が勝利。
↑上の古地図でいちばん右にワシントン、モリスの名前とこの家が画かれている。
ハーレム川を渡り、ブロンクス地区のヤンキースタジアムへ
ちょうど松井がヤンキースで活躍していた時代だった。
**
117丁目のハーレムまで戻り、教会ミサに出席しよう。
劇場のような建物。観光客や白人は二階席へ
下の階はすでに信徒たちが着席し、軽く演奏がはじまっている。
牧師の他に、タンバリンを持った女性が歩き回って鼓舞している。
イントロ?の説教と音楽がもりあがり…
白づくめのコーラス隊が入場!
厚い歌声がいっきにホールを満たす。
観客も立ち上がり、いっしよに歌っている。
※ごいっしょした方にいただいた動画をこちらからご覧ください
二階の我々観光客も総立ち!
セントラルパークの「ストロベリー・フィールズ」↑
すぐ近くにジョン・レノンが住んだダコタ・ハウス↑彼が撃たれた入口付近。
72丁目にあるこのマンションは1884年に完成した当時、アメリカの「ダコタ準州」みたいに遠いからその名前になったとか。
★マンハッタン島は南端のバッテリーパークからはじまり北上すると○○丁目の数字が増えていく。
ダコタ・ハウスはまだセントラル・パークの西側。
セントラル・パークが終わる110丁目からハーレムと呼ばれる地区。
ハーレムの中心は1860年に開業した「アポロ・シアター」↑のある125丁目↑現在のハコは1913年。
エラ・フィッツジェラルド、ジェームズ・ブラウン、マイケル・ジャクソンもここからキャリアをはじめた「アマチュア・ナイト」は水曜日に開催される。
かつては治安が悪くて、アポロ・シアターのショーを観に行くツアーバスに銃弾が撃たれたことまであったそうだが、今はそんな雰囲気は消え去った。
日曜日の朝、ポップ・アートの絵描きさんが店を出していた。
奥さんは日本人。観光客が買ってくれたTシャツにサイン(^.^)
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↑CCNY=ニューヨーク・シティ・カレッジは1847年に開校した名門大学↑この建物は1906年。大学がダウンタウン(23丁目)からこの130-140丁目に移転した時に建設された。
学費無料ではじまりユダヤ人子弟やヒスパニックや黒人、アジア人の方が白人よりも多い。
ハーバードなどのアイビーリーグに対抗する存在。
創立者は初代日本公使を務めたタウンゼント・ハリス。
初代財務長官ハミルトンの家↑はもともとここにあったのではなくトレーラーで家ごとここに運んでこられた。
←ハミルトンはこの10ドル札の人物
マンハッタン島の北部、モリス・マウントと呼ばれた高台のこの家はイギリスと大陸植民地軍双方が使った家。
モリソンージュメル・マンションが建てられたのはまだ英国領だった1765年。
当時住んでいたのはロジャー・モリス大佐とその家族。
135エーカーの敷地がハドソン川まで続く農園だった。
1776年9月、後にアメリカ建国へと導く反乱が起きてモリスは退去し、代わってワシントンがここを大陸植民地軍の司令部にした。
9月16日襲ってきたイギリス軍五千人に対し千八百人の大陸軍が勝利。
↑上の古地図でいちばん右にワシントン、モリスの名前とこの家が画かれている。
ハーレム川を渡り、ブロンクス地区のヤンキースタジアムへ
ちょうど松井がヤンキースで活躍していた時代だった。
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117丁目のハーレムまで戻り、教会ミサに出席しよう。
劇場のような建物。観光客や白人は二階席へ
下の階はすでに信徒たちが着席し、軽く演奏がはじまっている。
牧師の他に、タンバリンを持った女性が歩き回って鼓舞している。
イントロ?の説教と音楽がもりあがり…
白づくめのコーラス隊が入場!
厚い歌声がいっきにホールを満たす。
観客も立ち上がり、いっしよに歌っている。
※ごいっしょした方にいただいた動画をこちらからご覧ください
二階の我々観光客も総立ち!