紀元前六世紀ごろとされるヘラ神(ゼウスの妻)のためのE神殿↑
セリヌンテはシチリアに殖民したギリシャ人たちの二番目の都市。
紀元前6世紀頃近くにメガラ・イブレアに到達していたギリシャ人がここにも町をつくった。
古代の人口が9万人と推察される。
大都市だったから遺跡も広範囲にひろがり、観光のためのトラムも走っている。※上の図の線がそれ
見学でいちばんは写真栄えするのが、三つ並んだ神殿E/F/Gのうち、
1958年に復元されて全体像が誰でも理解できるかたちで見られるヘラ神殿=E神殿(冒頭写真と下の写真)。
F神殿は倒壊したまま復元されていない。
G神殿はゼウス神のものと推察されもっとも大きいが、
復元途上である。
十年前の通常ツアーではこのエリアだけしか見ていなかった。
今日もアクロポリス地区へいくには時間が足りないと思っていたが、今回大きな利点となったのは小さな20人乗りのバス。
これならば、時間間遠いシャトルバスを待たずに移動できる!
よって、はじめてセリヌンテのアクロポリス地区を訪れる事ができた。
*
●アクロポリス
事前に調べていた時には、アクロポリス地区で見るべきものは城壁・土台でしかないように思えていたが、実際に訪れてみると、ひとびとの暮らしも感じられる、なかなかおもしろい場所であった。
神殿?住宅?重厚な石積みの内側によじ登る↓詳しい現地ガイドさんに誘導されなければこんなところへ入らないだろう↓
現地のガイドさんに教えてもらわなくては分からないのは、神殿の廃墟の一角にモザイクで描かれたカルタゴ人たちが信仰していた神の絵↓見えますかしらん…
↑左の方に白い点々で描かれた子供の落書きみたいなのがそれ↑
セリヌンテはギリシャとカルタゴの間で数回征服合戦が行われ、紀元前306年に最終的にカルタゴが自分達の街にしてしまった。
その時に、ギリシャ神殿はカルタゴの神々を祭る場所として転用されていったのである。
春の花が毎年この廃墟を飾ってきたのだろう。
ここに住んだギリシャ人・カルタゴ人・ローマ人たちも、この海を眺めていたにちがいない。
***
近くのホテルで昼食
セリヌンテはシチリアに殖民したギリシャ人たちの二番目の都市。
紀元前6世紀頃近くにメガラ・イブレアに到達していたギリシャ人がここにも町をつくった。
古代の人口が9万人と推察される。
大都市だったから遺跡も広範囲にひろがり、観光のためのトラムも走っている。※上の図の線がそれ
見学でいちばんは写真栄えするのが、三つ並んだ神殿E/F/Gのうち、
1958年に復元されて全体像が誰でも理解できるかたちで見られるヘラ神殿=E神殿(冒頭写真と下の写真)。
F神殿は倒壊したまま復元されていない。
G神殿はゼウス神のものと推察されもっとも大きいが、
復元途上である。
十年前の通常ツアーではこのエリアだけしか見ていなかった。
今日もアクロポリス地区へいくには時間が足りないと思っていたが、今回大きな利点となったのは小さな20人乗りのバス。
これならば、時間間遠いシャトルバスを待たずに移動できる!
よって、はじめてセリヌンテのアクロポリス地区を訪れる事ができた。
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●アクロポリス
事前に調べていた時には、アクロポリス地区で見るべきものは城壁・土台でしかないように思えていたが、実際に訪れてみると、ひとびとの暮らしも感じられる、なかなかおもしろい場所であった。
神殿?住宅?重厚な石積みの内側によじ登る↓詳しい現地ガイドさんに誘導されなければこんなところへ入らないだろう↓
現地のガイドさんに教えてもらわなくては分からないのは、神殿の廃墟の一角にモザイクで描かれたカルタゴ人たちが信仰していた神の絵↓見えますかしらん…
↑左の方に白い点々で描かれた子供の落書きみたいなのがそれ↑
セリヌンテはギリシャとカルタゴの間で数回征服合戦が行われ、紀元前306年に最終的にカルタゴが自分達の街にしてしまった。
その時に、ギリシャ神殿はカルタゴの神々を祭る場所として転用されていったのである。
春の花が毎年この廃墟を飾ってきたのだろう。
ここに住んだギリシャ人・カルタゴ人・ローマ人たちも、この海を眺めていたにちがいない。
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近くのホテルで昼食