旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ゲッティ・ヴィラはベスビオ山の噴火で埋まったローマ時代のヴィラを再現している

2022-09-15 23:47:25 | アメリカ西部
大富豪ゲッティがカリフォルニアの青空の下に蘇らせた古代ローマのヴィラ

ゲッティが思ったように、ナポリの青空と似ているかもしれない。



LA空港から海を左手に見て北上して一時間弱。「ゲッティ・ヴィラ」の入口が見えてきた。
ゲッティ(ゲティ)の美術館というとゲッティ・センターが有名だが、実はJ.P.ゲティが情熱をかけて存命中に完成させたヴィラはここ。
駐車場入り口で「予約番号」の提示を求められる。

駐車場の中から古代ローマへの愛があふれている。

上にあがって小道をあるきだすと

博物館エリアの入口が見えてくる。

背景には皇帝ハドリアヌスがローマ郊外に出現させたティボリ荘の遺跡写真↑
ここで案内図をもらう。
入場は無料。

さらにエレベーターで上がると↑水平線が見えるテラス

ここからさらに百メートルほど行くと

ギリシャの半円劇場の向こうに二階建ての展示建物↑ヴィラ。
こんな贅沢な場所をゼロから出現させるなんて、アメリカという国・カリフォルニアという地でなければできなかったのではないかしらん。

見学前に腹ごしらえと、
カフェで軽くハンバーガーでもとオーダーしたら…

21ドルのバーガーは巨大だった。
焼き方もきいてくれるし、本格的な味(^^)

↑いよいよ展示スペース=ヴィラに入る

↑高い天井に花が散らしてある

↑古代ローマの有力者のヴィラにはこんなアトリウムがあった↑

↑紀元後79年のヴェスビオス(ベスビオ山)の大噴火で埋まったのはポンペイだけではない↑
ベスビオ山の下に位置するポンペイと↑西に位置するヘルクラネウム↑その一角にこのヴィラのモデルとなった「ヴィラ・パピリ(パピルスの家)」があった。

イタリア統一のはるか以前・ナポリ王国時代の1700年代後半に、スイス軍人の技師カール・ウェーバーがトンネルを掘って発掘し貴重な品々を見つけた。今、その多くがナポリ考古学博物館に納められている。
ゲッティはローマに住んでいたこともあるし、二十代のころから何十年もナポリの考古学博物館に通っていた。

それがこの場所を出現させる原動力になっていったのである。
生涯をかけて収集し続けた品々を展示する場所として、ハドリアヌス帝のティボリのような場所をつくりたかったのだろう。

それは、「成功している」ように思えた↑

池の中に寝転がっているのは↑間違いなくナポリ考古学で見た「酔っぱらったファウヌス」↓

※ナポリ考古学博物館を見学したときに撮影した写真をこちらに載せました
↑見比べてもらえば、ほんとおおおおにそっくりなのがわかります↑ここまでそっくりなのはきっと…考古学博物館のモノの型をとらせてもらったのではないかしらん。

↑このブロンズの巫女?たちも同じナポリ考古学博物館で見た記憶がある。


↑このヘラクレス像は1790年にハドリアヌス帝のヴィラから発掘されたもの↑
↓発掘直後に18世紀の彫刻家によって欠けていた部分を補足されて↓何人かの貴族に所有されて二十世紀に至る。
↓※色のついた部分が補足部分↓

ゲティは1951年にこれを手に入れ、これを展示するに値する場所をつくりたいと思ったのがゲティ・ヴィラをつくる大きな動機になっのだ(と、現地の解説版に書かれている)。


↑このライオン像もたいへん気に入って、それでライオンの子供を飼いはじめた(と、解説版に書かれている)

ゲティ・センターとちがい、ゲティ・ヴィラにはJ,P ゲッティその人の想いが随所に感じられて微笑ましい。


↑紀元前ギリシャのオリジナルとおもわれるブロンズ像はアドリア海の底からひきあげられたもの↑

↑アタマの月桂樹の冠を気にしつつ少し誇らしげな姿から「勝利した若いアスリート」と名付けられた。

ゲティが買いとり交渉をはじめたのはゲティ・ヴィラが開館した1974年ごろ。
1976年にゲティが亡くなった時にはまだここにはなかった。

↑写実のようでありながら現実を超えている見事な人体表現↑年老いたゲティは嘆息しながらこのブロンズ像のまわりを歩きまわっていたのではないかしらん。

↑古代のカメオグラスはイギリスのウェッジウッドが有名な白と青のシリーズをおもいつくもとになった品(とおなじ)
※大英博物館に収蔵されている同様の古代ローマの品についてこちらに書きました



↑シチリアの老剣闘士が若い剣闘士に勝利した姿をモザイク画にしたもの

ひとつひとつに物語があり、それらを追っていくと半日やそこらではとても時間が足りない。

またいずれ(いつ?)…
心ゆくまで楽しめる機会がやってくれば、幸いです。



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LA到着、マリナ・デル・レイからマリブエリアを北上

2022-09-15 15:37:29 | アメリカ西部
「カリフォルニアの青い空」♪が、二年半の間押し殺されていた旅する喜びをゆっくり呼び覚ます。

LA空港に着陸して一時間で旧知のドライバーSさんとお会いできた。

↑PCR検査場は閑散としている↑つい一週間前までは日本人もあそこによく並んでいたのだそうだ。
9月7日から日本入国時に陰性証明書を要求しなくなった。

↑ワタシの好きな「イン&アウトバーガー」は素材にこだわる故北米のみに310店舗しかない。
同じ頃1940年に創業したマクドナルドが全世界3万5千店舗を展開するのとは対照的。
今回の旅で行く機会があるかしらん。


↑「むかしはツアーで必ず行ったマリナ・デル・レイへ行ってみましょうか」とSさん。

三十年前は定番中の定番だった場所。
今はあまりバスが止まらなくなったのだそうだが、いや、今でもここは「カリフォルニアに来た!」と一瞬で感じさせてくれる。

広大な敷地に長い長い桟橋が五本あって、八千隻といわれるヨットが停泊している。
アシカやペリカンをよくみかけたっけ。

どこを切り取ってもポスターにしたくなる色。
ハネムーナーは必ずここで記念写真を撮ったっけ(^^)


ベニスビーチエリアは運河がイタリアを思い出させる。

電動キックボードはカリフォルニアでは免許がいらない。
道路状況がまったく違いますからね。

このあたりはカリフォルニアの古い港や倉庫があったのか。

↑今日目的地の看板がみえてきた↑

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二年半ぶりの海外《手造の旅》、羽田空港国際線ターミナルでかわっていたこと⇒LAへ

2022-09-15 11:00:14 | アメリカ西部
免税店で、シャネルは電気が消えていた。
もう空港免税店では売らなくなったのだそうだ。

この二か月で一ドルが110⇒145円近くにまでなってしまったから、アメリカの空港免税品を買っても日本の市価よりはるかに高い。
もうすぐ日本の化粧品価格もどっかんと上がるだろうから、今なら、羽田空港の免税店の買い物は価値がある?
これを比較してみたが…著名なネット購入サイトの方が少し安かった。

それにしても…

閉まっている店が多い

出国したら、両替所も選択肢がないではないか。


↑Wi-Fiルーター「4G無制限」を借りたのだが…
二年半前にはなかった制限がかかっていた。
iCloudへのアクセスが出来なくなった。
この二年の間に、スマホで撮影した動画が自動的にクラウドにアップロードされるシステムが一般的になった、ということ。
「つながっていてあたりまえ」が、どんどん加速している。

出国してサクララウンジへ入った。
あのビーフカレーをがっつり盛ってたべよう…とおもったら

なんと、オーダーするシステムに変わっておりました。
定食をオーダーするだけで、自分で好きに盛れません。


JL16便、搭乗
出発が少し遅れたのは、この機材のパリから遅れて到着したから。

機内食↑一回目
映画を二本観て、機内が暗くなって数時間浅い眠りについて、

丸窓から朝のひかりがはいってきたころ二回目の食事。

日本航空はこの二回目の食事に趣向を凝らしている↑真ん中の四角い紙の箱を開くと…

↑左のペンネ、かぼちゃ、雑穀に、右のまだ熱いカルボナーラのアンと右上の温野菜具を投入して混ぜる↓

●タニタカフェの提供している「噛むチキンと雑穀のショートパスタボウル」を再現したメニュー
たしかに、予め混ぜてあったのではこういう「出来立て風」の味わいにはなりませんね(^^)
この「JLの二回目の食事」は楽しみにしている。
特に2013年の熊本からの「太平燕(タイピーエン)」では、後日熊本に行ってそのお店へ行ったほど(^^)
※こちらにその時のブログを載せています

機内食が片付けられ、あと一時間でLAに着陸するというアナウンス。
入国カードや税関申告書は配られない。二年ほど前に書かなくてもよくなったのだそうだ。

飛行機が旋回するとロサンゼルスらしい町並みが間近に見えた。

コメント (2)
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