海ぶどうの養殖を見学させていただいた。
人口130人の久高島で、六軒が海ぶどうを育てているのだそうだ。
ビニールハウスにはいるとむわっと暖かい。
海ぶどうは20℃~27℃の暖かい海で生育する。
びっくりしたのは海ぶどうの「エサ」。
↑真鯛養殖のエサになるペレット(材料はアジやサバやアミエビの魚粉)を海ぶどうが好むとは意外だった↑
どのぐらいの量を、どのぐらいのタイミングでやれば成長がよくなるのか、試行錯誤。
網目にちいさな藻を移植して、約一か月で出荷できる大きさに育つ。
夏は生育の早い種類、冬には生育の遅い種類、時期により使い分ける。
「母藻」はフィリピンなどそれぞれ原産地が違う。
「沖縄産」を名乗るためには少なくとも三世代育てる必要がある。
恩納村で一世代だけで沖縄産として出荷して「産地偽装」になったケースがあるそうな。
常にきれいな海水を循環させる設備が必要。温度管理も繊細。台風などでの停電は常に心配。
ビニールハウスの屋根を開けて太陽光を入れる時も、天候により藻の網の水面からの位置を調節する。
「同じようにしていても、一日で溶けてしまう(死んでしまう)ことがあるのです。理由はわかりません」
藻を収穫して↑茎と房を分けるのはけっこう手間。一日8キロ程度収穫するのだが、「義母は一日15キロもとります」。
苦労は多くても、うまく育てれば1キロ6千円程度で売れるので続けていける。36槽。それぞれ40㌔を生産できる。
案内してくださったAさんは島外の人だったが、奥さんが久高島の出身。
漁師をやっていたが船を降りて海ぶどう養殖をはじめていた義理の父から「儲かるからやらないか」と言われ、六年前に本島での仕事を辞めて移住した。
「地割制」で土地所有を禁じている久高島に入ってこられたのは幸運と言っていいだろう。
これからもう少し広げていく予定。
試食。ぷちぷちした食感が命。
海ぶどうは温かい海を好むので、冷蔵庫に入れるとすぐにしなびてこの食感が保てない。
冷凍して長距離を運ぶことができない。
だから沖縄で食べる価値がある。
那覇の商店街の主力商品。
しらべてみると1994年に恩納村から養殖がはじまり、2003年に96トンだった生産が五年後には250トンに急増している。
沖縄水産業の重要な稼ぎ手である。
**
久高島の「交流館」↓
入ってすぐ左に資料室↓
ここに展示された十二年に一度の秘祭「イザイホー」の写真は貴重。島独自の祭事は適切に解説してもらってもなかなか理解できなかった。もういちどちゃんと予習してから行きます(^^)
久高島の宿泊施設は民宿三軒の他は交流館の数部屋しかない。
バス・トイレ共同で部屋数も少ないが、もうすく改装予定があるそうだ。
小松は近くの民宿まで送っていただいた。
↑島で一台しかない電動トゥクトゥクは久高島をまわるのにぴったり。
こちらの民宿、手作りの展望台があって海まで見晴らせる↓登るのちょっとコワいけど(^^)
●小中合同の学校がひとつ↓
児童数は36。島民の数にしては多いですね(^^)
交流館の近くには「久高島留学センター」があって、小学校六年から中学二年まで十人程度が滞在している。
※留学センターのサイトにリンクします
●島に一軒の診療所
●島に一軒の簡易郵便局
集落にはところどころに古い家・その跡がのこされている。
冷房などなかった時代の家だが
それなりに快適そうに見えるのは、今が冬だから?
●携帯電波のアンテナ
「これが出来るまではみんな本島が見える海岸に行って電話してましたよ(笑)」
●ノニの実↑健康食品として話題になったのだそうだが、味はなかなか手強いそうな。
●タンカン↑見かけはよくないけれどとっても甘い。そうそう、屋久島で食べたのを思い出した。
●パパイヤ
※屋久島で2021年の12月に出会ったのを思い出した
●港ちかくの食堂
島の名物料理と言っていい「イラブー(ウミヘビ)汁」を出している。
※こちらに書きました
島民は全員知り合いだし、同じ姓も多い。姓ではなく「屋号」を持っている人もおおい。
島内で犯罪が起きても「島民全員が警察官みたいなもの」、なるほど。
出入は港しかない。
台風で孤立することはあるだろうが、久高島は現代でも「神の島」のように見えた。
●高速船とフェリーが本島との間をむすんでいる。
行きも帰りも満々席でした。
人口130人の久高島で、六軒が海ぶどうを育てているのだそうだ。
ビニールハウスにはいるとむわっと暖かい。
海ぶどうは20℃~27℃の暖かい海で生育する。
びっくりしたのは海ぶどうの「エサ」。
↑真鯛養殖のエサになるペレット(材料はアジやサバやアミエビの魚粉)を海ぶどうが好むとは意外だった↑
どのぐらいの量を、どのぐらいのタイミングでやれば成長がよくなるのか、試行錯誤。
網目にちいさな藻を移植して、約一か月で出荷できる大きさに育つ。
夏は生育の早い種類、冬には生育の遅い種類、時期により使い分ける。
「母藻」はフィリピンなどそれぞれ原産地が違う。
「沖縄産」を名乗るためには少なくとも三世代育てる必要がある。
恩納村で一世代だけで沖縄産として出荷して「産地偽装」になったケースがあるそうな。
常にきれいな海水を循環させる設備が必要。温度管理も繊細。台風などでの停電は常に心配。
ビニールハウスの屋根を開けて太陽光を入れる時も、天候により藻の網の水面からの位置を調節する。
「同じようにしていても、一日で溶けてしまう(死んでしまう)ことがあるのです。理由はわかりません」
藻を収穫して↑茎と房を分けるのはけっこう手間。一日8キロ程度収穫するのだが、「義母は一日15キロもとります」。
苦労は多くても、うまく育てれば1キロ6千円程度で売れるので続けていける。36槽。それぞれ40㌔を生産できる。
案内してくださったAさんは島外の人だったが、奥さんが久高島の出身。
漁師をやっていたが船を降りて海ぶどう養殖をはじめていた義理の父から「儲かるからやらないか」と言われ、六年前に本島での仕事を辞めて移住した。
「地割制」で土地所有を禁じている久高島に入ってこられたのは幸運と言っていいだろう。
これからもう少し広げていく予定。
試食。ぷちぷちした食感が命。
海ぶどうは温かい海を好むので、冷蔵庫に入れるとすぐにしなびてこの食感が保てない。
冷凍して長距離を運ぶことができない。
だから沖縄で食べる価値がある。
那覇の商店街の主力商品。
しらべてみると1994年に恩納村から養殖がはじまり、2003年に96トンだった生産が五年後には250トンに急増している。
沖縄水産業の重要な稼ぎ手である。
**
久高島の「交流館」↓
入ってすぐ左に資料室↓
ここに展示された十二年に一度の秘祭「イザイホー」の写真は貴重。島独自の祭事は適切に解説してもらってもなかなか理解できなかった。もういちどちゃんと予習してから行きます(^^)
久高島の宿泊施設は民宿三軒の他は交流館の数部屋しかない。
バス・トイレ共同で部屋数も少ないが、もうすく改装予定があるそうだ。
小松は近くの民宿まで送っていただいた。
↑島で一台しかない電動トゥクトゥクは久高島をまわるのにぴったり。
こちらの民宿、手作りの展望台があって海まで見晴らせる↓登るのちょっとコワいけど(^^)
●小中合同の学校がひとつ↓
児童数は36。島民の数にしては多いですね(^^)
交流館の近くには「久高島留学センター」があって、小学校六年から中学二年まで十人程度が滞在している。
※留学センターのサイトにリンクします
●島に一軒の診療所
●島に一軒の簡易郵便局
集落にはところどころに古い家・その跡がのこされている。
冷房などなかった時代の家だが
それなりに快適そうに見えるのは、今が冬だから?
●携帯電波のアンテナ
「これが出来るまではみんな本島が見える海岸に行って電話してましたよ(笑)」
●ノニの実↑健康食品として話題になったのだそうだが、味はなかなか手強いそうな。
●タンカン↑見かけはよくないけれどとっても甘い。そうそう、屋久島で食べたのを思い出した。
●パパイヤ
※屋久島で2021年の12月に出会ったのを思い出した
●港ちかくの食堂
島の名物料理と言っていい「イラブー(ウミヘビ)汁」を出している。
※こちらに書きました
島民は全員知り合いだし、同じ姓も多い。姓ではなく「屋号」を持っている人もおおい。
島内で犯罪が起きても「島民全員が警察官みたいなもの」、なるほど。
出入は港しかない。
台風で孤立することはあるだろうが、久高島は現代でも「神の島」のように見えた。
●高速船とフェリーが本島との間をむすんでいる。
行きも帰りも満々席でした。