琉球王国時代の「最高の=斎場(せーふぁー)」「聖域=御嶽(うたき)」。
そこに似つかわしくない砲台跡が残されてた。
ここは聖域に入る前に禊をおこなった「うろーかー」と呼ばれる場所。
さらに上にある御嶽から沁み込んだ水が地上に沁み出して小さな泉になっている。
↑地図上で右下の国道から籔道を踏み分けて入ったところに「ウローカー」の表記は見える↑が、砲台は描かれていない。
きれいな水にヤモリがたくさん
王朝時代の聖所もしかし、戦争になれば踏み荒らされる。
東の海を向く二つの砲台跡は泉のすぐ近く。ここにあった大砲がアメリカ軍の船に向かって火を噴いたことはあったのだろうか。
二つの砲台をつなぐぼろぼろのコンクリート舗装が残る。
解説版には「迷彩塗装の黒いペンキ跡がみえる」とある。
砲台陣地の奥に進むと、さらに登ってゆく荒れた階段があって、
↑地図上の「御門口(うんじょうぐち)」に行きつくことがわかる↑この写真は「うろーかー」から上がってくる荒れた階段を見下ろしたところ。通行止めになっている。
入場券を買って入るエリアからは「うろーかー」へ降りることはできなくなっていた。
「久高島遥拝所」
↑琉球のはじまりの神が降り立ったという久高島が見える↑最高地点海抜17メートルの細長い島。
↑地図上の御門口(うんじょうぐち)から先は、昔は一般人が入れなかったエリア。
↑祝女たちを見送る人々は、入口に立てられた六つの香炉にむかって拝んでいたのだそうだ。
↑香炉とはいうものの、ほとんどの場合自然石に少しくぼみをつけたていどのもの。
整備された道をあがっていくと道は左右に分かれ、
左に行った突き当りが「寄満(ゆいんち)」
実際には献上された交易品を収蔵していた場所かもしれない。
右の道の突き当りが、斎場御嶽でもっとも大事な三庫理(さんぐーい)と、「ちょうはな」。
↑右手前の巨石の上が「ちょうはな」で、そこから下に向かってのびた二本の長い鍾乳石の先からしたたる水をうける壺が置かれる。
「ちょうはな」の巨石と、さらに向こうの巨石の間に絶妙の空間がある↓
↑上の写真左下まで行って正面から見ると↓
斎場御嶽といえばこの写真がでてくる↑
↑三角をくぐってすぐの香炉の地下から1998年(平成10年)に金の勾玉(まがたま)が見つかった↓
勾玉(まがたま)は日本と朝鮮半島の形状で弥生時代から古墳時代まで広く発掘される。
が、金製というのはほとんど類例がない※和歌山で一例
↑こちらは資料館に展示されていたレプリカだが思ったより大きい。
↑さらに大陸からの銭や金色の「厭勝銭(「えんしょうせん」、または「ようしょうせん」)」もたくさん。鳩の目に似ているので「鳩目銭」と通称される。
この時の発掘では排水設備の溝もみつかった↓
現場ガイドさんに訊ねると、溝が地中に潜った先の出口までつれていってくださった。
土の中から出ているパイプは発掘後にとりつけられたものだろう。
今日は良い天気だけれど降水量はかなり多い地域だから水を逃がすルートをつくっておかないとあっという間に流されてしまうのだとわかる。
**
資料館とチケットセンターから斎場御嶽に歩く途中で見つけたこれも水路?↓
↑写真を見せると昔からのここを知るガイドさんが
「昔・といっても戦後に生活用水を溜めていた穴が危ないのでふさいでいるんでしょう」と言われた。
古今、水の苦労は絶えない沖縄です。
そこに似つかわしくない砲台跡が残されてた。
ここは聖域に入る前に禊をおこなった「うろーかー」と呼ばれる場所。
さらに上にある御嶽から沁み込んだ水が地上に沁み出して小さな泉になっている。
↑地図上で右下の国道から籔道を踏み分けて入ったところに「ウローカー」の表記は見える↑が、砲台は描かれていない。
きれいな水にヤモリがたくさん
王朝時代の聖所もしかし、戦争になれば踏み荒らされる。
東の海を向く二つの砲台跡は泉のすぐ近く。ここにあった大砲がアメリカ軍の船に向かって火を噴いたことはあったのだろうか。
二つの砲台をつなぐぼろぼろのコンクリート舗装が残る。
解説版には「迷彩塗装の黒いペンキ跡がみえる」とある。
砲台陣地の奥に進むと、さらに登ってゆく荒れた階段があって、
↑地図上の「御門口(うんじょうぐち)」に行きつくことがわかる↑この写真は「うろーかー」から上がってくる荒れた階段を見下ろしたところ。通行止めになっている。
入場券を買って入るエリアからは「うろーかー」へ降りることはできなくなっていた。
「久高島遥拝所」
↑琉球のはじまりの神が降り立ったという久高島が見える↑最高地点海抜17メートルの細長い島。
↑地図上の御門口(うんじょうぐち)から先は、昔は一般人が入れなかったエリア。
↑祝女たちを見送る人々は、入口に立てられた六つの香炉にむかって拝んでいたのだそうだ。
↑香炉とはいうものの、ほとんどの場合自然石に少しくぼみをつけたていどのもの。
整備された道をあがっていくと道は左右に分かれ、
左に行った突き当りが「寄満(ゆいんち)」
実際には献上された交易品を収蔵していた場所かもしれない。
右の道の突き当りが、斎場御嶽でもっとも大事な三庫理(さんぐーい)と、「ちょうはな」。
↑右手前の巨石の上が「ちょうはな」で、そこから下に向かってのびた二本の長い鍾乳石の先からしたたる水をうける壺が置かれる。
「ちょうはな」の巨石と、さらに向こうの巨石の間に絶妙の空間がある↓
↑上の写真左下まで行って正面から見ると↓
斎場御嶽といえばこの写真がでてくる↑
↑三角をくぐってすぐの香炉の地下から1998年(平成10年)に金の勾玉(まがたま)が見つかった↓
勾玉(まがたま)は日本と朝鮮半島の形状で弥生時代から古墳時代まで広く発掘される。
が、金製というのはほとんど類例がない※和歌山で一例
↑こちらは資料館に展示されていたレプリカだが思ったより大きい。
↑さらに大陸からの銭や金色の「厭勝銭(「えんしょうせん」、または「ようしょうせん」)」もたくさん。鳩の目に似ているので「鳩目銭」と通称される。
この時の発掘では排水設備の溝もみつかった↓
現場ガイドさんに訊ねると、溝が地中に潜った先の出口までつれていってくださった。
土の中から出ているパイプは発掘後にとりつけられたものだろう。
今日は良い天気だけれど降水量はかなり多い地域だから水を逃がすルートをつくっておかないとあっという間に流されてしまうのだとわかる。
**
資料館とチケットセンターから斎場御嶽に歩く途中で見つけたこれも水路?↓
↑写真を見せると昔からのここを知るガイドさんが
「昔・といっても戦後に生活用水を溜めていた穴が危ないのでふさいでいるんでしょう」と言われた。
古今、水の苦労は絶えない沖縄です。