旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

久高島の夜明け、夜は食を知る

2023-01-15 07:18:47 | 国内
アマミキヨ神が降り立った久高島の陽の出

振り返ると去ってゆく月と朝陽に赤く染まる雲

琉球には創造神アマミキヨにまつわる聖所をめぐる「東御廻り(あがりうまーい)巡礼」の儀式がある。

昨夜の夜空

雲の間からオリオン
**
夕方、交流館でバーベキューを用意してくださっていた
フツーのBBQではない。
海人(うみんちゅ)=漁師のコウタさんが目の前で解体してくださる

↑「カワハギですか?」
「こっちではチヌマンと呼びます。テンゴハギですね」
※あとで検索して「テングハギ」でした。ちゃんと聞きとれていなかった。

尻尾にこんな棘があって↑「捕まえようとするとバシンってやられるんです」
「ウロコはなくて、鮫肌です」
触ってみると猫の舌を何倍もざらざらにした感触がした。

あっという間に包丁が入り

めりめりと皮がはがされてゆく。

身とアラとが手早く分離され

↑お刺身部分

↑アラはのちほど汁になる

焼いていた野菜が登場↑
↑手前のトレイに隠れているオクラは沖縄が生産量三位。なかでも南城市での栽培が盛ん。
↑この写真には撮れていないのだが、そしておいしく食べてしまってから知ったのだが、
久高島の属する南城市はサヤインゲンも沖縄全体の四割を生産。
沖縄はサヤインゲンの生産全国五位という統計があったから、相当な量だ。
※南城市の地元の給食にサヤインゲンを提供している記事にリンクします
久高島は野菜栽培も盛んでレタスの水耕栽培をする工場設備もあった。
沖縄はおいしい野菜を食べられる場所でもある。
黒い焼きそばはイカ墨を練りこんだもの。

久高島のガイドさんたちも合流して、知りたかった話もきけた。
下調べをしていて気になっていたのは、
1966年に岡本太郎が週刊誌と共に久高島の禁域・風葬地区に入り、
それが島民の怒りをかったとあったこと。
「太郎さん自身はよくわかっておられた。何を言われても一言も反論しなかった」
実際に太郎に会ったユタカさんがそう言われた。


***
朝、06:45を過ぎてゆっくり出発

iPhoneの目はなんだか昼間みたいに映る。

↑レタス水耕栽培工場の横を通り

防風林を抜ける

陽の出は07:16だそうだが、高い雲は水平線の下からの光があたって赤くなっている。

雲の集まる水平線からあがった太陽
日の出から少し経った時間の光がいちばん美しいと思う。

それは太陽そのものではなくて

その光が見せてくれる色


08:00から交流館で朝食。お弁当についてきたのは昨夜熱くてのみきれなかった「ちぬまん=テングハギ」のスープ。とっても脂が濃いのです。

1月9日、今日も素晴らしいお天気に恵まれて、あと半日の久高島。




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