「橋本遊郭跡」は崩壊しつつあった。
京都から大阪へ流れる大河・淀川に、奈良時代初頭の僧・行基が架橋すると枚方側の地名は「橋本」となった。
江戸時代にはすでに渡し船が運航するだけになっていたが、繁盛する港には大きな遊享街があった。
昭和62年に運航が停止されるとゆっくりと衰亡してゆき、いまやその名残も消えようとしている。
*
学生時代を高槻と京都で過ごしたが、石清水八幡宮の存在を知らなかった。
高槻から171号線を淀川上流・京都方向に走る。
桂川、宇治川、木津川が合流する大山崎で川を渡ると、正面に見えてくる山の上にあるのが石清水八幡宮。
↑山の中に見えている大きな屋根は麓の高良神社・極楽寺。
徒然草のなかで仁和寺の法師が石清水八幡宮と思い込んで参拝したところか。
こうしてみると山上に本当の目的地があるようにはみえなかったのも理解できる。
今日・正月二日は参拝客の車が殺到するので交通規制がおこなわれていた↑
今は山上までケーブルカーが運航しており、山頂からの景色は価値があるようだ。
↑手前には「淀川三合流域さくら出会い館展望台」があった↑
淀川の中州に沿って桜並木が楽しめるのだそうだ。
桜の頃に来てみたい(^^)
石清水八幡宮には寄らずに淀川を右にみながら枚方方面にむかう。
すると、冒頭の「橋本遊郭跡」が左に見えてくる。
解説されなければただの老朽化した家々↑
価値を理解させてくださる方を探して、歩く機会をつくりたい。
地元の歴史をよく知らないのは自分も同じだった…。
京都から大阪へ流れる大河・淀川に、奈良時代初頭の僧・行基が架橋すると枚方側の地名は「橋本」となった。
江戸時代にはすでに渡し船が運航するだけになっていたが、繁盛する港には大きな遊享街があった。
昭和62年に運航が停止されるとゆっくりと衰亡してゆき、いまやその名残も消えようとしている。
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学生時代を高槻と京都で過ごしたが、石清水八幡宮の存在を知らなかった。
高槻から171号線を淀川上流・京都方向に走る。
桂川、宇治川、木津川が合流する大山崎で川を渡ると、正面に見えてくる山の上にあるのが石清水八幡宮。
↑山の中に見えている大きな屋根は麓の高良神社・極楽寺。
徒然草のなかで仁和寺の法師が石清水八幡宮と思い込んで参拝したところか。
こうしてみると山上に本当の目的地があるようにはみえなかったのも理解できる。
今日・正月二日は参拝客の車が殺到するので交通規制がおこなわれていた↑
今は山上までケーブルカーが運航しており、山頂からの景色は価値があるようだ。
↑手前には「淀川三合流域さくら出会い館展望台」があった↑
淀川の中州に沿って桜並木が楽しめるのだそうだ。
桜の頃に来てみたい(^^)
石清水八幡宮には寄らずに淀川を右にみながら枚方方面にむかう。
すると、冒頭の「橋本遊郭跡」が左に見えてくる。
解説されなければただの老朽化した家々↑
価値を理解させてくださる方を探して、歩く機会をつくりたい。
地元の歴史をよく知らないのは自分も同じだった…。