正面に立ちはだかるジグザグ道はフルカ峠↑
↓地形図右上のジグザグ
今日の我々は↑左に見えるもうひとつのジグザグ道=グリムゼル峠をのぼり、
グリムゼル湖畔で休憩し、
ダム湖の中にあるグリムゼルホスピッツ↓を見ながらブリエンツ湖に降りていった。
2012年の嵐の夜↑あそこに泊まったなぁ…
※グリムゼルホスピッツに閉じ込められた忘れられない出来事をこちらに書きました
ダムの中の内部通路を通って脱出させてもらう機会など二度とないだろう。
**
さて、話はこの日の朝10時にもどる。
テーシュ駅で乗り込んだバスの前で
届かないスーツケースにやきもきしていた。
※ツェルマットはガソリン車の侵入が禁止されているので、
一般のバスは手前のテーシュ駅までしか入れない。
スーツケースはホテルポーターからタクシーに受け渡されて
テーシュ駅の駐車場まで別送されることになっている。
手配会社の連絡先のジュネーブに電話しても
「急ぎ確認します」というだけ。
来ないなら取りに行く!と、
近くにいたタクシーにとびのった。
ツェルマットの荷物受け渡し駐車場まで行くが
スーツケースはみあたらない。
リッフェルアルプに電話するとポーターが「ここまで運んだ」と確認できた。
ポーターは「エリートというタクシー会社に渡した」という。
テーシュ駅で待つバスのドライバーに電話すると、
「エリートはテーシュのホテルだよ、すぐそこだから行ってみてくる」という。
小松もそのままテーシュに戻る。
電話のやりとりをきいていたタクシーのドライバーが
「たいへんだねぇ、次回役にたつことがあったら言ってよ」と
自分の会社の名刺をくれた彼
バスに戻ると、スーツケースは届いていた。
タクシーが持ってきたという。
いったいどこで道草をくっていたのか、わからない。
出発はちょうど一時間遅れた。
一時間ですんでよかった、のか?
スーツケースがなくならなくてよかった、のか?
**
バスはツェルマットの谷の出口へ向かう。
Vispでローヌ川の流れと合流。
谷に沿って上流へドライブし、ゴムスの谷に入ってゆく。
良いお天気でバイク乗りがたくさん。
この谷の小さな村で「ホテル王」と呼ばれることになるセザール・リッツが生まれた。
谷のどん詰まりに(今は見えなくなった)ローヌ氷河の跡があらわれ
フルカ峠のジグザグ道が見えてくる※冒頭の写真。
★「氷河特急」と1930年に命名されたのはこの峠を通る時にローヌ氷河が眼前に迫っていたから。
1982年にフルカトンネルが開通し、難所でもあったこの峠の線路は廃線になった。
夏期にだけ、観光用の蒸気機関車が運行されている。
※2007,2008,2010年のフルカ峠、ローヌ氷河、復刻蒸気機関車の写真をこちらに載せています
↑フルカ峠のジグザグの左に白く見えている崖が
↑かつてローヌ氷河が盛り上がって流れ出していた跡。
今日の我々はグリムゼル峠をこえて、インターラーケンに通じるブリエンツ湖畔に降りていった。
2012年にはダムから抜けてこのホテルに送ってもらったなぁ。雨の中、アーレシュルフトの谷を歩いたなぁ。
今日は寄らず、標高546mのブリエンツ湖畔に出た。
ここからはロートホルンクルムへの鉄道が、
今も蒸気機関車で運行されている。
※2012年にロートホルンクルムに宿泊した時のブログをごらんください
それにしても暑い。
「スイスは涼しい」というイメージは
標高560メートルほどのこのブリエンツ、インターラーケンあたりでは満足させられない。
だからクルーズをしたかったのだが朝の荷物遅れで今日はその時間はとれない。
サンドイッチでも買おうとおもったら日曜日でコープも閉まっている。
一軒だけ開いていたのは、「シリヤ系スイス人(実はクルド人)」のやっているケバブのお店だった。
あんがい美味しかった(^^)
※この時のことについてはまた別に書きます
****
ブリエンツを出発しインターラーケンは素通りして、もっと涼しい今日の宿泊地をめざす。
標高1650mのミューレン村へ、シルトホルン展望台へのゴンドラに乗ろう↑とおもったら、乗り場駅が全面工事中でスーツケースを乗せるリフトがみあたらない。
ぐるっと一周すると、関係者用?のがみつかってひと安心。
乗り継いでミューレン駅到着。
宿泊するホテルのオーナーがスーツケースを運びに待っていてくれた。
ここまで来てやっと「スイスは涼しい」を実感できた(^^)
十五分もあれば通り抜けられるミューレン村は、アクセスしにくいからこそその美しさをたもっていられるのだろう。
↓地形図右上のジグザグ
今日の我々は↑左に見えるもうひとつのジグザグ道=グリムゼル峠をのぼり、
グリムゼル湖畔で休憩し、
ダム湖の中にあるグリムゼルホスピッツ↓を見ながらブリエンツ湖に降りていった。
2012年の嵐の夜↑あそこに泊まったなぁ…
※グリムゼルホスピッツに閉じ込められた忘れられない出来事をこちらに書きました
ダムの中の内部通路を通って脱出させてもらう機会など二度とないだろう。
**
さて、話はこの日の朝10時にもどる。
テーシュ駅で乗り込んだバスの前で
届かないスーツケースにやきもきしていた。
※ツェルマットはガソリン車の侵入が禁止されているので、
一般のバスは手前のテーシュ駅までしか入れない。
スーツケースはホテルポーターからタクシーに受け渡されて
テーシュ駅の駐車場まで別送されることになっている。
手配会社の連絡先のジュネーブに電話しても
「急ぎ確認します」というだけ。
来ないなら取りに行く!と、
近くにいたタクシーにとびのった。
ツェルマットの荷物受け渡し駐車場まで行くが
スーツケースはみあたらない。
リッフェルアルプに電話するとポーターが「ここまで運んだ」と確認できた。
ポーターは「エリートというタクシー会社に渡した」という。
テーシュ駅で待つバスのドライバーに電話すると、
「エリートはテーシュのホテルだよ、すぐそこだから行ってみてくる」という。
小松もそのままテーシュに戻る。
電話のやりとりをきいていたタクシーのドライバーが
「たいへんだねぇ、次回役にたつことがあったら言ってよ」と
自分の会社の名刺をくれた彼
バスに戻ると、スーツケースは届いていた。
タクシーが持ってきたという。
いったいどこで道草をくっていたのか、わからない。
出発はちょうど一時間遅れた。
一時間ですんでよかった、のか?
スーツケースがなくならなくてよかった、のか?
**
バスはツェルマットの谷の出口へ向かう。
Vispでローヌ川の流れと合流。
谷に沿って上流へドライブし、ゴムスの谷に入ってゆく。
良いお天気でバイク乗りがたくさん。
この谷の小さな村で「ホテル王」と呼ばれることになるセザール・リッツが生まれた。
谷のどん詰まりに(今は見えなくなった)ローヌ氷河の跡があらわれ
フルカ峠のジグザグ道が見えてくる※冒頭の写真。
★「氷河特急」と1930年に命名されたのはこの峠を通る時にローヌ氷河が眼前に迫っていたから。
1982年にフルカトンネルが開通し、難所でもあったこの峠の線路は廃線になった。
夏期にだけ、観光用の蒸気機関車が運行されている。
※2007,2008,2010年のフルカ峠、ローヌ氷河、復刻蒸気機関車の写真をこちらに載せています
↑フルカ峠のジグザグの左に白く見えている崖が
↑かつてローヌ氷河が盛り上がって流れ出していた跡。
今日の我々はグリムゼル峠をこえて、インターラーケンに通じるブリエンツ湖畔に降りていった。
2012年にはダムから抜けてこのホテルに送ってもらったなぁ。雨の中、アーレシュルフトの谷を歩いたなぁ。
今日は寄らず、標高546mのブリエンツ湖畔に出た。
ここからはロートホルンクルムへの鉄道が、
今も蒸気機関車で運行されている。
※2012年にロートホルンクルムに宿泊した時のブログをごらんください
それにしても暑い。
「スイスは涼しい」というイメージは
標高560メートルほどのこのブリエンツ、インターラーケンあたりでは満足させられない。
だからクルーズをしたかったのだが朝の荷物遅れで今日はその時間はとれない。
サンドイッチでも買おうとおもったら日曜日でコープも閉まっている。
一軒だけ開いていたのは、「シリヤ系スイス人(実はクルド人)」のやっているケバブのお店だった。
あんがい美味しかった(^^)
※この時のことについてはまた別に書きます
****
ブリエンツを出発しインターラーケンは素通りして、もっと涼しい今日の宿泊地をめざす。
標高1650mのミューレン村へ、シルトホルン展望台へのゴンドラに乗ろう↑とおもったら、乗り場駅が全面工事中でスーツケースを乗せるリフトがみあたらない。
ぐるっと一周すると、関係者用?のがみつかってひと安心。
乗り継いでミューレン駅到着。
宿泊するホテルのオーナーがスーツケースを運びに待っていてくれた。
ここまで来てやっと「スイスは涼しい」を実感できた(^^)
十五分もあれば通り抜けられるミューレン村は、アクセスしにくいからこそその美しさをたもっていられるのだろう。