旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

ボタニック・ガーデン~クライストチャーチはガーデン・シティ

2023-11-18 17:50:52 | ニュージーランド
「南半球で一番古い噴水です...というと、オーストラリア人が異議をとなえるでしょうけれど(笑)」
↑背景の建物は旧カンタベリー大学↑オックスフォード大学クライストチャーチ校をモデルにしている。
★ピーコック噴水はクライストチャーチのボタニック・ガーデンの入り口にある。

ピーコックというのにどこにも孔雀がいないなぁ…とおもったら…

ジョン・トーマス・ピーッコックという人物が1905年に没し遺贈した財産をもとに発注されていた。
★John Thomas Peacockは
1844年クライストチャーチの町が建設される以前、最初の入植地であるリトルトン港に両親とともに降り立った。
クライストチャーチへの移民は1850年に四隻の移民船によってはじまったが、それを受け入れる準備のために先乗りした団にいたのである。17歳でやってきた彼は、長じて多くの会社を興し、1857年にはリトルトンの二番目の桟橋を建設する。「クライストチャーチ紳士会」の会長や政治家にもなった。1905年の死に際し「クライストチャーチ美化協会」に多額の遺贈をし、「ピーコック噴水」が製作された。1911年に植物園の一角で除幕されたが、同年に移動。デザインに多くの疑義が寄せられたらしい。
1949年には老朽化して倉庫にしまわれた。
半世紀近くたった1996年に修復され、現在の場所に設置された。
今回の彩色も、きくところによると物議をかもしているらしい。

ボタニック・ガーデンには巨大な木々が集っている。
いや、百五十年ほどの間に巨大になっていったといったほうがよいかもしれない。

↑この杉はクライストチャーチの日本人の子供たちが「トトロの森」と呼んでいるそうな↓

↑中がこんなふうになっているから(^○^)


↑こちらジャイアント・セコイア

1869年にエディンバラ公によって植えられたと書かれている↓

当時のエジンバラ公は女王の夫だった人ではない。
ヴィクトリア女王の次男・アルフレッド王子であった。
彼は海軍軍人として世界一周の途中ここに立ち寄った。
それから百五十年でこんな巨木に育ったのか。




↑すぐ近くにあったこちらは↓

↑姉妹都市締結の記念に倉敷市長が植えた。
倉敷とクライストチャーチがなぜ姉妹都市に?
「倉」と「クラ」だったから?(笑)
**
CHC(クライストチャーチ)に到着した11月17日は「カンタベリー・ディ」という地域の祝日。

↑市の中心にあるハグレイ公園は東京ドーム35個分の広さがあるのだそうだ。
ロンドンのハイド・パーク、NYCのセントラル・パークにならってだが、
人口40万人ほどの町にこれだけの広さの公園があるのである。

↑人々がたくさんやってくる休日だから?駐車料金は無料になっている↑日本だったらどうなる?


コメント
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