「この香炉の『八卦』文様がひとつダブっているのに気づいたんです」↓
これは台北の信頼するガイドSさんの、コロナ禍での発見。
観光客の来なくなった故宮博物院に毎日通い詰め・眺め続けているうちに気付いたのだそうだ。
ほんとうの博物館好きでなければ、こんな発見はできない(^^♪
八卦は横三本線の組み合わせ※Wikiにリンクします。東西南北との関連についても書かれています。
↓確かに!下の写真で左角を挟んだ文様二つが同じになっている↓↓
間違い?いや、隣りあわせでそれはないだろう。
鬼門だから?
なぜなのかはわからない。解説にも何も書かれていない。明朝末万歴帝の時代、秀吉の朝鮮出兵のころにあたる。
Sさんに有名な「豚肉」を解説していただいて、目からウロコだった。
これ、豚肉に似ている石だから価値があるのではなかったんだ。
「これは赤壁なんです」※こちらに書きました
*
この日は嘉儀新幹線駅発10:08に乗って台北に向かった。
出発してふと左手を見ると、川のほとりに真っ赤な崖がそびえていた。
「左手に見えるなら大甲鐵帖山です」ガイドさん写真を送るとおしえてくださった(^^♪
※こんな場所があるんですねyoutubeにリンクします★音出ます
11:30台北駅到着。
すぐに故宮博物院に向かう。
はじめは今回の旅に故宮博物院を入れるか迷ったのだが、
Sさんのご案内なら一度二度訪れたことのある方にも「こんな場所だったのか」と思っていただけるだろうと思い、入れることにした。冒頭の発見のようなお話は、普通ガイドさんからは聴けない。
故宮博物院の入り口にある像も大陸から運んできたもの。
↑台座の彫刻が↓
10元札のデザインに使われている。
七宝焼きの香炉二種。
↑皇帝の冠の上につけられていた真珠や貴石を使った装飾。
↑こちらはハチドリの羽の青を大量に使っている↑
↑乾隆帝が自分の詩を飾るために考案した磁器の壁飾り↓
↑こんな風に自作の詩を飾っていたのか。
物の展示もおもしろいが、
↓特別展示の写真の(ちょっとこわそうな)王子の写真を見て↓
「彼が皇帝になっていれば、清朝はちがっていたかも」とSさんがつぶやいたのを調べてみると…
「添親王」は称号で、愛新覚羅奕訢が彼の名前。
分かりやすく言えば、清朝最後の皇帝溥儀の祖父。
以下は小松の私的理解↓
能力がありながら父帝に疎まれ皇帝にはなれなかった。
アヘン戦争の後の動乱でイギリス軍が首都北京が迫ると、逃げた弟の皇帝に代わり戦後処理をした。軍の西欧化の必要性を理解し実践した。西太后にも信頼されて成果をあげた時期があり「同治中興」と呼ばれる。西太后と対立して罷免されたり復帰したりしたが、日清戦争の処理の後1898年没。
彼が皇帝になっていれば清朝の滅亡もなかったかもしれない。そう思わせる人物↑これは彼の居室を再現した特別展示だった。
日本人が幕末史に興味を持つように、中国人も清朝末期の歴史に興味を持つ人は多いことを知った。
***
「松江自助火鍋」には午後三時過ぎに到着。
※2019年2月に訪れたのが忘れられず※その日のブログにリンクします
予約をとらない大人気店。ツアーに入ることはない。近頃は大混雑で食事時に行ったら何時間も待つことになるとガイドさんからきかされていた。個人で入っても言葉の問題で苦労する。少人数なのを生かして・時間に無駄なく楽しんでもらいたいのであえて午後三時にした。正解(^^♪
すぐに着席。お店の人がベースの出汁をつくってくれる↑スルメイカを大量に使っているのがポイント?
↑食材は自分でとってきてその皿の色で最後に生産する、回転寿司方式。
お肉は半分火を入れてとりだしておく。
いろんなものを入れるので味がかわってゆく
麺までがんばりました。
「間廟麺」は天日干しした台南名物だそうな。
煮込んでもちゃんとコシがあるので鍋にぴったり。
これは台北の信頼するガイドSさんの、コロナ禍での発見。
観光客の来なくなった故宮博物院に毎日通い詰め・眺め続けているうちに気付いたのだそうだ。
ほんとうの博物館好きでなければ、こんな発見はできない(^^♪
八卦は横三本線の組み合わせ※Wikiにリンクします。東西南北との関連についても書かれています。
↓確かに!下の写真で左角を挟んだ文様二つが同じになっている↓↓
間違い?いや、隣りあわせでそれはないだろう。
鬼門だから?
なぜなのかはわからない。解説にも何も書かれていない。明朝末万歴帝の時代、秀吉の朝鮮出兵のころにあたる。
Sさんに有名な「豚肉」を解説していただいて、目からウロコだった。
これ、豚肉に似ている石だから価値があるのではなかったんだ。
「これは赤壁なんです」※こちらに書きました
*
この日は嘉儀新幹線駅発10:08に乗って台北に向かった。
出発してふと左手を見ると、川のほとりに真っ赤な崖がそびえていた。
「左手に見えるなら大甲鐵帖山です」ガイドさん写真を送るとおしえてくださった(^^♪
※こんな場所があるんですねyoutubeにリンクします★音出ます
11:30台北駅到着。
すぐに故宮博物院に向かう。
はじめは今回の旅に故宮博物院を入れるか迷ったのだが、
Sさんのご案内なら一度二度訪れたことのある方にも「こんな場所だったのか」と思っていただけるだろうと思い、入れることにした。冒頭の発見のようなお話は、普通ガイドさんからは聴けない。
故宮博物院の入り口にある像も大陸から運んできたもの。
↑台座の彫刻が↓
10元札のデザインに使われている。
七宝焼きの香炉二種。
↑皇帝の冠の上につけられていた真珠や貴石を使った装飾。
↑こちらはハチドリの羽の青を大量に使っている↑
↑乾隆帝が自分の詩を飾るために考案した磁器の壁飾り↓
↑こんな風に自作の詩を飾っていたのか。
物の展示もおもしろいが、
↓特別展示の写真の(ちょっとこわそうな)王子の写真を見て↓
「彼が皇帝になっていれば、清朝はちがっていたかも」とSさんがつぶやいたのを調べてみると…
「添親王」は称号で、愛新覚羅奕訢が彼の名前。
分かりやすく言えば、清朝最後の皇帝溥儀の祖父。
以下は小松の私的理解↓
能力がありながら父帝に疎まれ皇帝にはなれなかった。
アヘン戦争の後の動乱でイギリス軍が首都北京が迫ると、逃げた弟の皇帝に代わり戦後処理をした。軍の西欧化の必要性を理解し実践した。西太后にも信頼されて成果をあげた時期があり「同治中興」と呼ばれる。西太后と対立して罷免されたり復帰したりしたが、日清戦争の処理の後1898年没。
彼が皇帝になっていれば清朝の滅亡もなかったかもしれない。そう思わせる人物↑これは彼の居室を再現した特別展示だった。
日本人が幕末史に興味を持つように、中国人も清朝末期の歴史に興味を持つ人は多いことを知った。
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「松江自助火鍋」には午後三時過ぎに到着。
※2019年2月に訪れたのが忘れられず※その日のブログにリンクします
予約をとらない大人気店。ツアーに入ることはない。近頃は大混雑で食事時に行ったら何時間も待つことになるとガイドさんからきかされていた。個人で入っても言葉の問題で苦労する。少人数なのを生かして・時間に無駄なく楽しんでもらいたいのであえて午後三時にした。正解(^^♪
すぐに着席。お店の人がベースの出汁をつくってくれる↑スルメイカを大量に使っているのがポイント?
↑食材は自分でとってきてその皿の色で最後に生産する、回転寿司方式。
お肉は半分火を入れてとりだしておく。
いろんなものを入れるので味がかわってゆく
麺までがんばりました。
「間廟麺」は天日干しした台南名物だそうな。
煮込んでもちゃんとコシがあるので鍋にぴったり。