カーニバル観覧席への入場口
*
旧市街入口にある市立劇場。
1776年以来この場所にオペラ劇場があるが1881年の上演中にガス爆発が起きて火事に。
ネオ・クラシックで再建された↑
↑すぐ前にある建物は「イタリア方面遠征軍司令官だったナポレオンが滞在した↓
すぐ先のサレヤ広場には黄色いミモザの花が春を告げている。
柑橘類も、野菜も、
突き当りのビルの最上階はマティスがアトリエにしていた↓
旧市街の細い道にはいっていくと、
↑貴族の宮殿が内部公開している看板が目についた↑
ラスカリス宮殿。古楽器の展示をしている。
入ってすぐの天井に紋章が↑
↑日本語の解説リーフレットによると、「17世紀中ごろに第57代マルタ騎士団団長の甥であるラスカリス・ヴァンテミリアが一族のために建てた」とのこと。フランス革命期の1802年に売却され荒れ果てていたものを1942年にニース市が購入した。
クラシックな食器と楽器のコレクションがずらり。
肖像画の部屋にはマルタ十字をつけた男たち
聖ヨハネ騎士団(=マルタ騎士団)はマルタ島に本拠地を移す以前、ニースを本拠地にしていた時期がある。
1522年にオスマン・トルコによってロードス島を追われた後マルタ島に本拠地を得るまでの8年間ヨーロッパ各地を転々としていたのだが、フランスの有力貴族が多く在籍していた縁で1527年11月23日から1529年6月14日までの本拠地がニースだった。
このラスカリス宮殿はその時期よりは後に建設された建物だが、マルタ騎士団となってからも縁者はたくさん行き来していたにちがいない。
モーツァルトがヨーロッパ中を旅していた時期、ここはラスカリス・ヴァンでミリア家の邸宅だった。
↑天蓋付きのベッド↑壁全面を覆うタペストリーにその時代を感じる。
***
お昼時になりカフェでランチ
肉を野菜に詰めたファルシ、定番のムール貝の白ワイン蒸し
カーニバルを見に来たとおぼしき遠来のお客で満席。
****
チケットと持ち物検査
「花合戦」は15時スタートだが一時間近く前からがんがん音楽をかけてDJがもりあげている。
やがてはじまり、仮装と山車がつぎつぎにやってきた。
ムーランルージュ?
タヒチ?
よくわからないコンセプトの集団もたくさん
↑巨大な龍にのったのは中国勢だった
↑南インド?
「花合戦」とはいうものの、コロナ禍でミモザの花を投げなくなったのはひょうしぬけ。
※2013年の「花合戦」の様子をこちらに載せています
山車のサイズも以前よりは(これでもだいぶん)小さくなった
※2006年の様子をこちらに載せています
それでも、青空の下一時間半のパレードを楽しんだ(^^)
*****
夕食は軽く…となるとレストランではなくカフェかバーになる
スペイン風のメニューが出ていたお店にはいると
カリブ海?
なんとキューバ風(^^)ならば、モヒートを注文しなくちゃ↑
タパスは充実していた↑メキシコ風のケサディーリャ、しし唐の素揚げ
南仏のワインと共に
生演奏がはじまる前に出た
******
翌朝、ニースの空港へ向かう。
空港のすぐ西に川がながれていて↑1860年以前はここが国境↑こちら側はイタリアだった。
パリへ向かう飛行機が離陸すると、プロムナード・ザングレの続く「天使の湾」がきれいに弧を描いている。
雪をかぶった山々をみながらパリ・オルリー空港まで一時間ほど。
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旧市街入口にある市立劇場。
1776年以来この場所にオペラ劇場があるが1881年の上演中にガス爆発が起きて火事に。
ネオ・クラシックで再建された↑
↑すぐ前にある建物は「イタリア方面遠征軍司令官だったナポレオンが滞在した↓
すぐ先のサレヤ広場には黄色いミモザの花が春を告げている。
柑橘類も、野菜も、
突き当りのビルの最上階はマティスがアトリエにしていた↓
旧市街の細い道にはいっていくと、
↑貴族の宮殿が内部公開している看板が目についた↑
ラスカリス宮殿。古楽器の展示をしている。
入ってすぐの天井に紋章が↑
↑日本語の解説リーフレットによると、「17世紀中ごろに第57代マルタ騎士団団長の甥であるラスカリス・ヴァンテミリアが一族のために建てた」とのこと。フランス革命期の1802年に売却され荒れ果てていたものを1942年にニース市が購入した。
クラシックな食器と楽器のコレクションがずらり。
肖像画の部屋にはマルタ十字をつけた男たち
聖ヨハネ騎士団(=マルタ騎士団)はマルタ島に本拠地を移す以前、ニースを本拠地にしていた時期がある。
1522年にオスマン・トルコによってロードス島を追われた後マルタ島に本拠地を得るまでの8年間ヨーロッパ各地を転々としていたのだが、フランスの有力貴族が多く在籍していた縁で1527年11月23日から1529年6月14日までの本拠地がニースだった。
このラスカリス宮殿はその時期よりは後に建設された建物だが、マルタ騎士団となってからも縁者はたくさん行き来していたにちがいない。
モーツァルトがヨーロッパ中を旅していた時期、ここはラスカリス・ヴァンでミリア家の邸宅だった。
↑天蓋付きのベッド↑壁全面を覆うタペストリーにその時代を感じる。
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お昼時になりカフェでランチ
肉を野菜に詰めたファルシ、定番のムール貝の白ワイン蒸し
カーニバルを見に来たとおぼしき遠来のお客で満席。
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チケットと持ち物検査
「花合戦」は15時スタートだが一時間近く前からがんがん音楽をかけてDJがもりあげている。
やがてはじまり、仮装と山車がつぎつぎにやってきた。
ムーランルージュ?
タヒチ?
よくわからないコンセプトの集団もたくさん
↑巨大な龍にのったのは中国勢だった
↑南インド?
「花合戦」とはいうものの、コロナ禍でミモザの花を投げなくなったのはひょうしぬけ。
※2013年の「花合戦」の様子をこちらに載せています
山車のサイズも以前よりは(これでもだいぶん)小さくなった
※2006年の様子をこちらに載せています
それでも、青空の下一時間半のパレードを楽しんだ(^^)
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夕食は軽く…となるとレストランではなくカフェかバーになる
スペイン風のメニューが出ていたお店にはいると
カリブ海?
なんとキューバ風(^^)ならば、モヒートを注文しなくちゃ↑
タパスは充実していた↑メキシコ風のケサディーリャ、しし唐の素揚げ
南仏のワインと共に
生演奏がはじまる前に出た
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翌朝、ニースの空港へ向かう。
空港のすぐ西に川がながれていて↑1860年以前はここが国境↑こちら側はイタリアだった。
パリへ向かう飛行機が離陸すると、プロムナード・ザングレの続く「天使の湾」がきれいに弧を描いている。
雪をかぶった山々をみながらパリ・オルリー空港まで一時間ほど。
ただいまモンゴルです。
何処に連絡すれば良いですか?