ゴジラなみに巨大な草間彌生がルイ・ヴィトン本店に水玉を貼っていた。
*
南仏ニースから雪山を超え、午後一時過ぎにパリに到着。
2/8に日本から到着したのと同じシンキさんにお迎えいただいた。
オルリー空港はパリの南17キロに位置している。
久しぶりのエッフェル塔(^^)
機内で先行上映していた映画「エッフェル塔」を見ていたので、またちがってみえてくる。
※こちらに書きました
セーヌに沿って走る。
↑東京のお台場にもやってきた「自由の女神像」
↑地下鉄がいちばん上を走るビルアーケイム橋。
↑ダイアナ妃が事故死したアルマ橋近くのトンネル↑上に見えている金色の炎はNYの「自由の女神像」の持っているのと同じ大きさ。
↑ロシア皇帝の名前がつけられたアレクサンドル三世橋
↑旧のオペラ座(ガルニエ宮)
↑今回はオペラ座の内部見学を予約した↑かつてはいついってもすぐに入れたが、近頃はけっこうな行列。
ナポレオン三世が馬車で入るための入口の下から入場
地下には「オペラ座の怪人」にでてくるような、公開されていない池もあるのだとか。
一階に上がる階段
さらに壮麗な大階段を登って客席入口までいく。
↑「オペラ座の怪人」の怪人の座っていた席はここ↑
今日はリハーサルがあって客席が見られないのが残念
社交場でもあったからホイヤーこそがこのオペラ座の見せ所と言えるだろう。
ベルサイユ宮殿の「鏡の間」をモデルにしているという。なるほど。
このクラシックなデザインが19世紀後半定番の美しさだった。
このオペラ座の設計者のガルニエは、当時台頭してきていた印象派が大嫌いだったそうな。
天井に窓があるのもこの時代の流行。
ここのお土産屋さんでしか売っていない↑オペラ・ガルニエ宮の屋上でつくられたハチミツ↑
バレリーナの絵本↑オペラ座とはいうもののガルニエ宮は今はバレエをメインに上演している。
↑後ろから見たオペラ座
↑近くの老舗トーシューズ店
バンドーム広場のナポレオンの柱がみえてきた↑
柱の下部分↑向こうにはダイアナ妃が最後の食事をしていたホテル・リッツ。
↑何のお店?
↑パリ市庁舎
↑パスカルが気圧の実験をした「サン・ジャックの塔」は16世紀初頭にフランソワ一世によって建設された。ということは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチも見たことがあったはず。フランス革命中の1797年に元あった教会は取り壊されこの塔だけが残された。サン・ジャックはスペイン語でサンチャゴ。サンチャゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼たちの起点になっていた場所である。
遠くに見えるのは↑ソルボンヌ大学に属する天文台↑
火災に遭って再建中のノートルダム大聖堂↑ファサードは昔のままのようだが、身廊部分の上に立っていた塔が崩れ落ちた。
↑パリ学士院=アカデミー・フランセーズ
↑アンヴァリッド(廃兵院)
エッフェル塔のすぐちかくに↑★モスクが新しくできていてびっくり。こんな建築物も新たに建設がみとめられるのがパリ。
そして凱旋門
コンコルド広場へ向かう二キロのシャンゼリゼ通り
その途中右手に、冒頭写真の「ゴジラなみに巨大な草間彌生」が見えてきた↓
「観光客でいっぱいのシャンゼリゼ通りになど足を向けないパリジャンも、これが見たくてやってくるほど話題のスポットになっています」とガイドさん。
有無を言わさぬ草間彌生
究極の表現は自分自身の存在なのだと、思い知らされた。
↑シャンゼリゼ通りの突き当り=コンコルド広場にはエジプトからもってこられたオベリスク↑
コンコルド広場の北側に↑左側クリヨンホテル(日本の総理大臣定宿)、右側フランス海軍省。
↑ブランド街=フォーブール・サントノーレ通り↑エルメスがちらりと見える
↑ピアフのホームグランドだったオリンピア劇場
オペラ座をまわりこんでオスマン通りに入り、ホテルに到着する直前に↑通りの間からサクレクール聖堂が夕陽に照らされていた↑
**
夕食はホテルのダイニングを席だけ予約してもらっていた。
それぞれメニューから注文するほうが楽しい。
↑小松がいちばん「また食べたい」と思ったのが↑南イタリアの生チーズ「ブッラータ」をキノコとルッコラを炒めた上にのせたもの。ナイフをいれるとチーズがいっきにひろがるのです(^^)
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南仏ニースから雪山を超え、午後一時過ぎにパリに到着。
2/8に日本から到着したのと同じシンキさんにお迎えいただいた。
オルリー空港はパリの南17キロに位置している。
久しぶりのエッフェル塔(^^)
機内で先行上映していた映画「エッフェル塔」を見ていたので、またちがってみえてくる。
※こちらに書きました
セーヌに沿って走る。
↑東京のお台場にもやってきた「自由の女神像」
↑地下鉄がいちばん上を走るビルアーケイム橋。
↑ダイアナ妃が事故死したアルマ橋近くのトンネル↑上に見えている金色の炎はNYの「自由の女神像」の持っているのと同じ大きさ。
↑ロシア皇帝の名前がつけられたアレクサンドル三世橋
↑旧のオペラ座(ガルニエ宮)
↑今回はオペラ座の内部見学を予約した↑かつてはいついってもすぐに入れたが、近頃はけっこうな行列。
ナポレオン三世が馬車で入るための入口の下から入場
地下には「オペラ座の怪人」にでてくるような、公開されていない池もあるのだとか。
一階に上がる階段
さらに壮麗な大階段を登って客席入口までいく。
↑「オペラ座の怪人」の怪人の座っていた席はここ↑
今日はリハーサルがあって客席が見られないのが残念
社交場でもあったからホイヤーこそがこのオペラ座の見せ所と言えるだろう。
ベルサイユ宮殿の「鏡の間」をモデルにしているという。なるほど。
このクラシックなデザインが19世紀後半定番の美しさだった。
このオペラ座の設計者のガルニエは、当時台頭してきていた印象派が大嫌いだったそうな。
天井に窓があるのもこの時代の流行。
ここのお土産屋さんでしか売っていない↑オペラ・ガルニエ宮の屋上でつくられたハチミツ↑
バレリーナの絵本↑オペラ座とはいうもののガルニエ宮は今はバレエをメインに上演している。
↑後ろから見たオペラ座
↑近くの老舗トーシューズ店
バンドーム広場のナポレオンの柱がみえてきた↑
柱の下部分↑向こうにはダイアナ妃が最後の食事をしていたホテル・リッツ。
↑何のお店?
↑パリ市庁舎
↑パスカルが気圧の実験をした「サン・ジャックの塔」は16世紀初頭にフランソワ一世によって建設された。ということは、かのレオナルド・ダ・ヴィンチも見たことがあったはず。フランス革命中の1797年に元あった教会は取り壊されこの塔だけが残された。サン・ジャックはスペイン語でサンチャゴ。サンチャゴ・デ・コンポステラへ向かう巡礼たちの起点になっていた場所である。
遠くに見えるのは↑ソルボンヌ大学に属する天文台↑
火災に遭って再建中のノートルダム大聖堂↑ファサードは昔のままのようだが、身廊部分の上に立っていた塔が崩れ落ちた。
↑パリ学士院=アカデミー・フランセーズ
↑アンヴァリッド(廃兵院)
エッフェル塔のすぐちかくに↑★モスクが新しくできていてびっくり。こんな建築物も新たに建設がみとめられるのがパリ。
そして凱旋門
コンコルド広場へ向かう二キロのシャンゼリゼ通り
その途中右手に、冒頭写真の「ゴジラなみに巨大な草間彌生」が見えてきた↓
「観光客でいっぱいのシャンゼリゼ通りになど足を向けないパリジャンも、これが見たくてやってくるほど話題のスポットになっています」とガイドさん。
有無を言わさぬ草間彌生
究極の表現は自分自身の存在なのだと、思い知らされた。
↑シャンゼリゼ通りの突き当り=コンコルド広場にはエジプトからもってこられたオベリスク↑
コンコルド広場の北側に↑左側クリヨンホテル(日本の総理大臣定宿)、右側フランス海軍省。
↑ブランド街=フォーブール・サントノーレ通り↑エルメスがちらりと見える
↑ピアフのホームグランドだったオリンピア劇場
オペラ座をまわりこんでオスマン通りに入り、ホテルに到着する直前に↑通りの間からサクレクール聖堂が夕陽に照らされていた↑
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夕食はホテルのダイニングを席だけ予約してもらっていた。
それぞれメニューから注文するほうが楽しい。
↑小松がいちばん「また食べたい」と思ったのが↑南イタリアの生チーズ「ブッラータ」をキノコとルッコラを炒めた上にのせたもの。ナイフをいれるとチーズがいっきにひろがるのです(^^)