旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

モンタナからイエローストーンへ

2013-06-17 20:16:45 | アメリカ西部
6月16日にモンタナ州ボーズマンへ到着ゲートボードからしてモンタナ州(スペイン語で山「モンターニャ」から付けられた名前)雰囲気あります。この看板はボーズマンで一番のみどころ(と、あとから確信した)ミュージアム・オブ・ロッキーズの宣伝。けっしてダイナソーだけがウリではありませぬ。
空港から15分でホテルへ。その後、小さなダウンタウンヘ。どんな小さな町でも教会の塔は目立つ
「ボーズマンで一番のバイソンバーガー」の広告につられて入ってみると、お客さんいっぱい
※この店の壁にかけられていた写真のひとつについて、また別のところに書きます。

ホテル近くのスーパーの駐車場で声をかけてきた人は、お父さんが軍で広島へいっていたそうだ
こちらに、もう少し書きました。

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翌日、MORへ

入口で迎えてくれるのは、空港のポスターに出ていたダイナソー。名前がビッグ・マイクというのだそうです。内部にもたくさんの巨大な化石や恐竜骨格模型があって、確かにMORのいちばんの見どころだろう。

だが、小松が興味深く見学したのは、19世紀から20世紀にかけての探検者や入植者たちの展示だった。ボーズマンという街の名前のもとになった人物がこれ⇒ジョージアに妻子を残して二十四歳でコロラドへやってきたがそこでは失敗。モンタナで新たに見つかった金鉱への近道をボーズマン・トレイルとして開発した。
その道はしかし多くの先住民の居住区を横切っていて、多くのトラブルを招くことになる。わずか32歳で殺されたのは先住民が襲ったのか、あるいは「襲われた」と証言した友人によるものなのか、分からない。

メインの建物すぐよこに、1890年頃の家が移築されているこれもまたMORの展示のひとつ。当時の服装をした人たちが働き、いろいろ説明をしてくださるちょうど料理をしていた。中身はザワークラフトだそうです。

冷蔵庫の上部をひらくと氷!冬の間に切り出しておくのだそうだ

ここへ住んでいた家族の事は細かくわかっている。こういう具体的な話をきくと、アメリカ西部という場所がよく理解できるのです。※また別に書きます。

モンタナ州のナンバープレートのひとつ

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大陸横断鉄道に沿ってリビングストンという街まで行き、そこからワイオミング州へ向かって南下する標高は二千五百メートル近くまであがっていく。



イエローストーン国立公園の北の入り口ルーズベルト・ゲート
マンモス・ホット・スプリングスはトルコのパムッカレとそっくりの石灰棚がある

キャニオン・ビレッジまで移動する途中で双眼鏡を手にして車を止めている人たちがいた。お?何かいます?
なんとそれはクマの親子!ずいぶん遠いけれど、倒木にのぼったりちょろちょろ動いているこぐまちゃん、かわいいです。なかなか出会えない光景(^^)


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イエローストーンにはグランド・キャニオンのような風景もある。ここの見ものは二つある巨大な滝。ローワー・フォールのすぐ上までトレイルを降りていく

車で川の対岸へ移動して、アーチスト・ポイントから同じ滝を見たところさっきまであの滝のすぐ上にいたんだ。

イエローストーン湖へ移動する途中、今度はエルクと接近遭遇※エルクというのはヨーロッパと北アメリカでは別の動物をさしている。
パーク・レンジャーがいないのでみんなどんどん近くへ行って写真を撮っているが、十メートルもない場所でみるとかなり大きな動物だ

★本日宿泊はオールド・フェイスフル間欠泉のすぐ近くにあるスノー・ロッジ。ここ、国立公園内のホテルでも最高の設備であります。ここへ連泊するのが今回の旅のぜいたくなところ。
このロビーの雰囲気は、実はすぐちかくにある1904年創業の元祖オールドフェイスフル・インに似せてある。それがこれ↓

夕食はここのダイニングのバッフェにて。ロースト・ビーフ、おいしかったです

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トレドへ日帰りし、マドリッドの市場で夕食を

2013-06-10 23:53:24 | スペイン
昨夜遅かったので09:30ホテル出発、一時間ほどでトレドの旧市街城門が見えてくる
城壁内へ入るにはこのエスカレーターが設置され便利になったソコドベール広場はかつて家畜の市場だったと資料にあった。「ソコ」というのがたぶんアラビア語の「市場=スーク」から転化した言葉なのだろう。つい先日宗教祭日があったのだそうで、いつもはない飾りが窓辺に出されていた

大聖堂からも聖体行列があったのだろう、天蓋がまだつけられている
大聖堂の宝物室天井はアラブ風のスタラクタイト様式になっている

聖歌隊席の面白彫刻

★トランス・パレンテと呼ばれる大聖堂の天井に開けられた穴
こちらについては以前こちらに書きました。

聖具室が修復にはいったので、そこに置かれているエル・グレコ作一連の聖人画が、外のサンチャゴ礼拝堂にずらりと展示されていた展示環境が少し変わると見え方もかわるものだ。

大聖堂を出てサント・トメ教会へ歩いていく右の通りの先に見えているのがその教会の鐘楼。これもまたモスクのミナレットだった事が、その四角い形からわかる。
エル・グレコの最高傑作といわれる「オルガス伯の埋葬」を見るために、こうして行列であります

サン・マルティン橋を渡る時、振り返るとサン・ファン・デ・ロス・レイエス教会がきれいに見える

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昼食はパラドールにて。アミューズにマンチェゴ・チーズ前菜パプリカを焼いてオリーブオイルに漬けたものステーキまたはサーモンケーキとエビデザートもしっかり

パラドールのテラスからはタホ川にぐるりととりかこまれたトレド旧市街が見渡せる。


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マドリッドのホテルに戻り、すぐ近くのレイナ・ソフィア美術館へ。ちょうどダリの大規模な展覧会が行われていた ミュージアム・ショップ
付属の図書館ではずらりと並んだ机で皆真剣に勉強しております

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さて、18時からホテル目の前のバスに乗ってマヨール広場へ
ソル(太陽の門広場)へも近くのエル・コルテ・イングレス(ま、スペインのヨーカドーみたいなものです)でお買いもの

19時半前にサン・ミゲル市場到着生ハムのお店ピクルス専門店ガリシア風のタコもおいしいし、この時期ならアスパラも食べたい
しっかりたべて、帰りにマヨール広場でお茶しました。もう21時とは思えない明るさであります。
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スペイン新幹線AVEでマドリッドへ

2013-06-10 22:33:57 | スペイン
カルモナのパラドールの朝、8時からの朝食を待つテラス
このまま半日ぐらいゆっくりしたい

が、10:45セビリア発のスペイン新幹線AVEでマドリッドへ向かう日本の新幹線の様に座席が全部進行方向を向いたりはしないが、飛行機の様にイヤフォンが配られて、映画上映。ま、みんな一緒の小さなスクリーンですが。

二時間と十五分ほどで、マドリッドのアトーチャ駅へ到着。ここはスーツケースを自分で持ってエスカレーターを上り下り、バスまで十五分ぐらい歩かなくてはならない。やはり荷物は自分自身で持ち歩ける程度に留めておきましょう

昼食は「茶亭」という日本食レストランこの看板では日本食だとは気付きますまい。しっかり地元の人々に支持されているから生き残っていけているのだろう。おいしいお店でした。

マドリッドのスペイン広場には、セルバンテスの記念碑があり、ドン・キホテの像もある
背後に写っているビルは、一見きれいだけれど、現在誰も入居者のいない廃墟ビル。スペイン経済の不調の象徴になっているそうだ。

プラド美術館スペイン三大巨匠のひとり、ゴヤが見下ろしている。

一時間ほどガイドさんとまわったあと、しばし休憩

ホテルにチェックインした後、夕食のパエリア屋さんへ。王宮の駐車場ではシャボン玉屋が子供たちを楽しませていた

イカスミ、肉のMIX、シーフード、この三種類のパエリア
20時の開店前に入って急いで食べても、次のフラメンコのオープニング21:30にはぎりぎり間に合わなかった。

一時間ほどして、ほかの団体さんが退席した後、もうひとつのパートだけ見ようと我々は残った。出てきたのは、一目でジプシーの地を感じさせる容貌の女性。前の演者とは全然違う余裕を見せて、とても雰囲気のあるステージを見せてくれた。ホテル帰着は23時半。これでもスペインの夜としてはそれほど遅くはないのです。

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コルドバからセビリアへオリーブ畑の中を走る日

2013-06-04 19:19:08 | スペイン
アンダルシア地方の典型的な風景だろう



そして、ぽつんと西部劇に出てきそうな建物がある

エスタシオン・デ・ルケという名前のとおり、かつては駅舎だった建物なのだ。裏側へまわると、その面影を留めてある
この店は二十年ほど前から変わらず地元のおじさんたちの寄合所になっている。かつては「なんでも屋さん」だったので衣類も売っていた。小松もシャツを買って気に入ってきていたが、それももう擦り切れてしまった。今はシャツも別の店で売るようになったのだろう、今は観光客が気に入る農産物やお菓子が置かれている
今も昔も、ここでしか手に入らないのは、フィルターしていない濁った緑色のオリーブオイル、写真の棚左上に無造作に積み上げてある。
これを紹介すると、皆「持って帰りたい」というけれど、一リットルの瓶入りのみで、小瓶はない。プラスチック容器ではあるが、やっぱり重い。近くに小瓶で置いてあるのは、違う製品であります。さぁ、どっちにしましょう?

テーブルの上、しぼりたてのオレンジジュースとその濁ったオリーブオイル

さらに走る。白い村と古城もひとつ、ふたつ、みっつ・・・


午前十時半、グアダルキビル川の向こうにコルドバのメスキータが見える場所でバスを降りる



川を渡り、街の守護聖人大天使ラファエルの塔のそばを通り

ガイドさんと共にメスキータの中へ入る。ここは、なんと、9世紀にさかのぼる建築。神秘的な石の林。柱は古代のいろいろな神殿や建物から再利用されているので、それぞれを見飽きない。

幾何学的なデザインは古くならない

ミヒラブのすぐ前の天井を見上げる

ここは三度にわたり拡張工事されていて、いちばん最後の部分は石の色ではなく、赤白に塗っている。近年の発掘で見つかったものも展示されている。

庭はオレンジが植えられている。かつてのミナレットは壊されなかった。この鐘楼の中に隠されるように現存しているのだ

ユダヤ人街の細い道の一角が「花の小道」としてガイドブックに紹介されている


この青く塗られたドームは、近年造られた現代のイスラム教徒のためのマドラサ(学校)だ。

大聖堂の塔が見えてくる。これもまた、もともとはミナレットであった上部に鐘を入れる部分を増築したのである。

世界第三位ともいわれる巨大な大聖堂の場所には、かつてモスクがあった

今日は午後ミサがあるということで、最終入場が15時半、だから急いでやってきたのだ。立派な銀の装飾も今日はライトアップされている
コロンブスの墓は見ておかなくては大西洋を渡って何度も移動させられてきた墓、中にあったのは一部の骨と灰だったそうだ。

大聖堂を出て「黄金の塔」のところでバスに乗る。かつて大航海時代の港だった場所である

1929年イベロ・アメリア博覧会のメイン会場だったのが、この「スペイン広場」ここはスペイン各地を紹介するブースが左から右へABC順に並んでいた。そして、そこで起こった有名な出来事をタイル画にしてあるこのバルセロナは、コロンブスがはじめて新大陸から帰国した時、イサベル女王と謁見した街なのだ。

**
四十分ほど走ってカルモナのパラドールへ到着。昨年からこの町をめぐる小さな電気自動車が出現した定員は12名なので、全員は無理だが、たくさん歩くことなく街を見たい人におすすめ
19時になり、ようやく広場には人が集まりだした。日本で言えば夏の夕方の雰囲気
お店も開きだしたセビリアなんかにくらべるとやっぱり安いなぁ。この店で買ったオレンジのリキュール8ユーロ、同じものがパラドールでは15ユーロでありました。

カルモナの正面玄関、セビリア門
かつての城壁に沿って歩く
20時半からの夕食が開くのを、パラドールのロビーで待っている

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気持ち良い朝のミハスからアルハンブラの夕景へ

2013-06-03 06:15:25 | スペイン
まだ暗いうちにバルセロナのホテルを出発、07:15発の飛行機に乗る頃朝日が射してきた朝9時過ぎにマラガの空港を出る空いた高速を三十分ほどでミハスの街に到着。

月曜の朝、気持ち良い青空がひろがっている。お土産物屋もまだ閉まっている午前10時前は団体客もほとんどいないこの通りもしかし、あと二時間もしたら観光客でごったがえすのだろう。
街の一番上、昔の城塞跡まで登り、そこから海をみながら降りてくる道。

一時間ほど自由行動にして、自分でも今まで歩いていなかった方向へ歩いてみる。ミハスが観光地として人気があるのは、こういった観光地外のエリアにこそその魅力があるからだと思う。良いなぁ、こういう道。人々がちゃんと生活している。観光を意識してきれいにしているというのも感じられるが、それでも街の基本的な秩序はミハスがもともと持っていたものにちがいない
***
11時半にはミハスを出て、バスで一路グラナダへ。13時半に昼食。レストランにやってきたのは、かつてはグラナダ大学の貧しい学生が学費を稼ぐために始めたという流しの楽団トゥーナ

食事の後、アルハンブラ宮殿への道沿いにあるホテルへチェックイン。15時半に庭園ヘネラリーフェから見学開始。アルハンブラ本宮への入場はきびしく時間管理されているのです。イスラム時代の庭がどうなっていたのかは、まったくわかっていないこういった花々の庭園は、現代の庭師のおかげである
唯一変わらないのは水の使い方だろうと言われる。離宮ヘネラリーフェの有名な噴水も同じ様だったと推察されている
本宮入場まで少し時眼下あったので、いつも通るわけではない水の階段まで行ったこういうところがアルハンブラの素晴らしさだとおもう。


キリスト教徒時代になってから建てられたカルロス五世宮殿ミケランジェロの弟子によって設計されたという建物そのものは美しいが、アルハンブラの一部を壊してまでここに造られる必要があったのか?

★本宮へ入場・・・なんと、チケットの自動改札が不具合を起こしていて、バーコードの読み取りにえらく時間がかかっている。ガイドさん曰く「ここ一週間ほどこの調子なの。スキダタとかいう機械がダメなんじゃない?」帰国後、SKIDATA調べてみました

ここでグループに体調不良の方が発生。こちらの方についていようとおもったら、今度は緊急おトイレ要請勃発。本宮にはおトイレないので見学をすっとばして先に行かれてしまい、あわてて追いかける。アルハンブラの構造は分かりにくいので、迷子になると見つけるのがたいへん。口で説明してわかるような場所じゃないのです。体調不良の方は結局別グループのローカルガイドさんが車に乗せてバスの駐車場まで連れてきてくださった。

18時、ホテルへ戻る。シェラネバダの雪が、今年はまだまだたっぷりしている

20時からの夕食の後、21時半に夕景のサン・クリストバル展望台へちょうど日暮れていく時間、アルハンブラの城壁もライトアップしはじめた。
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