シンハラ人最後のキャンディ王朝最後の首都。日本語では「キャンディ」なのだが、もともとの呼び方は「カンディ」の方が近いようだ。食べ物の「ホッパー」がもともとは「アーッパ」であったように、英語化されて、実質的に別の名前がついてしまう事は多い。 逆に西洋のクッキーがスリランカのKOKISコキスになってしまったものもあるし。 名前が変わると、そこからまた別のモノへの変化がはじまる。 余談でした。
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途中、スパイス・ガーデンに立ち寄る。上手な日本語で分かりやすく説明してくれる↓手に持っているのはカカオ↓
いつもおもしろとおもうのが★ナツメグとメースが同じ植物の実のちがう部分だということ↓
下がそのナツメグの実。種を覆っている赤い網状のものがメースの素。そして種を割って出てくるのがナツメグなのだそうだ。
※MACEという単語は、イギリス系の議会で権威の象徴として置かれる先端に丸い球がついた棒をあらわす言葉と同じ。これについてはまた別に
★同じ植物からとれる二種類のちがうスパイス シナモンとニッキもそう。
シナモンは樹皮の部分で、ニッキは同じ植物の根っこ。
シナモンの葉のオイル↓少し赤いのは葉が赤くなっている影響だと説明された↓入れ物の中にシナモンが入っている↓
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下はどこでも安価なバナナちゃん輸送中↓ここでも青いうちに収穫されるんだぁ
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カンディに到着して、すぐにカンディアン・ダンスを見学。 終わってから同じ場所で「火渡り」も披露してくれる↓ こんな体育館みたいな場所で、火を使ってだいじょうぶかしらん↓
日が良いらしく結婚式も↓
夕食バッフェが見た目だけでなく、価値あるおいしさ
**翌朝、小雨を部屋から眺める↓
ここは政教一致のキャンディ王朝の王宮でもあった場所。
1815年イギリスへ政権を譲り渡す調印式が、ここで行われた。この屋根の下がその場所↓
精巧な彫刻が施されている↓
イギリスがカンディ王朝の主権をゆっくり引きはがしてゆく過程は、観光旅行であまり説明されない。 しかし、イギリスに対する抵抗を象徴するこういった記念碑・像のことは↓
小松としてはやはり知っていただきたいのです↓
★昨年訪れた時に調べて書いたものを⇨こちらから読んでいただけます
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カンディのマーケットを、今年もごらんいただいた。
多様な米はスリランカの主食である↓
トマトも唐芥子も、もとはといえば南米原産だけれど、おいしそうにそだっております↓
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スリランカは世界的な宝石の産地。ダイヤ以外はなんでもとれるとか。ラトナプラ(そのまま「宝石の街」という意味)近郊では、こんな風に採掘がおこなわれている⇒再現図
今回、ピンクとオレンジの間の色をしたサファイアの存在をはじめて知った。
←これについて→こちらに書きました
生地屋さんへも寄る
インドのサリーなんてなかなか着る機会がない。買わなくてもお店の人が選んで試着させてくれる。それぞれの似合う色を上手に選んでくれるんです。お似合いですねぇ(^^)
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カンディ(キャンディ)のペラデニア植物園は、もともと王室のための場所だった。王室といってもそれは、イギリスの王室なのだが。
雨模様で、地元のみなさんもランチの場所に苦労して、こんなふうにしている方々も↓手で食べるのがふつうなんですね↓
お茶のお店へも寄った↓今回の行程で、よくばりきれなかったのが、お茶の産地ヌワラエリアへ行く事。高原のティー・ファクトリーを改築したホテルへは、やはりゆっくり滞在したい。別の機会に企画することにします。二兎は追いません(^^)
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夕暮れてきたハイウェイで何西岸の古都ゴールへ向かう。日本の援助で建設されたので、やはり日本的↓
ライトハウスへ到着。騒々しい一般道に面した入口から、この階段をのぼると、インド洋をみはらす別世界となる↓
部屋も開放的↓
夕食はダイニングで
今日、お誕生日を迎えた方があった。亡くなったお父様の年齢を超えられたとのこと。感慨深い日を、この場所でご一緒することが出来て、光栄です↓
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夜、ホテルの敷地内を散歩していると、ホテルのスタッフが何やら手のひらに包んで大事そうに運んでいる。声をかけるとそれは、ちいさなちいさなシマリスだった。「巣から落ちちゃってたの。元気にしてもとへもどしてあげる。」↓