旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

スパイスガーデンを見てから、キャンディ(カンディ)へ

2017-01-23 10:31:52 | スリランカ

 シンハラ人最後のキャンディ王朝最後の首都。日本語では「キャンディ」なのだが、もともとの呼び方は「カンディ」の方が近いようだ。食べ物の「ホッパー」がもともとは「アーッパ」であったように、英語化されて、実質的に別の名前がついてしまう事は多い。 逆に西洋のクッキーがスリランカのKOKISコキスになってしまったものもあるし。 名前が変わると、そこからまた別のモノへの変化がはじまる。 余談でした。


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途中、スパイス・ガーデンに立ち寄る。上手な日本語で分かりやすく説明してくれる↓手に持っているのはカカオ↓



いつもおもしろとおもうのが★ナツメグとメースが同じ植物の実のちがう部分だということ↓


下がそのナツメグの実。種を覆っている赤い網状のものがメースの素。そして種を割って出てくるのがナツメグなのだそうだ。 


※MACEという単語は、イギリス系の議会で権威の象徴として置かれる先端に丸い球がついた棒をあらわす言葉と同じ。これについてはまた別に


★同じ植物からとれる二種類のちがうスパイス シナモンとニッキもそう。


シナモンは樹皮の部分で、ニッキは同じ植物の根っこ。


シナモンの葉のオイル↓少し赤いのは葉が赤くなっている影響だと説明された↓入れ物の中にシナモンが入っている↓



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下はどこでも安価なバナナちゃん輸送中↓ここでも青いうちに収穫されるんだぁ



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カンディに到着して、すぐにカンディアン・ダンスを見学。 終わってから同じ場所で「火渡り」も披露してくれる↓ こんな体育館みたいな場所で、火を使ってだいじょうぶかしらん↓




***市内から少し離れたリージェンシーホテルへチェックイン


日が良いらしく結婚式も↓



夕食バッフェが見た目だけでなく、価値あるおいしさ


   


 


**翌朝、小雨を部屋から眺める↓



 今日も引き続き結婚式の地元の方々。男性の民族衣装が独特↓




***仏歯寺を見学


ここは政教一致のキャンディ王朝の王宮でもあった場所。


1815年イギリスへ政権を譲り渡す調印式が、ここで行われた。この屋根の下がその場所↓



精巧な彫刻が施されている↓



イギリスがカンディ王朝の主権をゆっくり引きはがしてゆく過程は、観光旅行であまり説明されない。 しかし、イギリスに対する抵抗を象徴するこういった記念碑・像のことは↓



小松としてはやはり知っていただきたいのです↓



★昨年訪れた時に調べて書いたものを⇨こちらから読んでいただけます


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カンディのマーケットを、今年もごらんいただいた。


多様な米はスリランカの主食である↓


 


トマトも唐芥子も、もとはといえば南米原産だけれど、おいしそうにそだっております↓




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スリランカは世界的な宝石の産地。ダイヤ以外はなんでもとれるとか。ラトナプラ(そのまま「宝石の街」という意味)近郊では、こんな風に採掘がおこなわれている⇒再現図

今回、ピンクとオレンジの間の色をしたサファイアの存在をはじめて知った。


←これについて→こちらに書きました


 


生地屋さんへも寄る
インドのサリーなんてなかなか着る機会がない。買わなくてもお店の人が選んで試着させてくれる。それぞれの似合う色を上手に選んでくれるんです。お似合いですねぇ(^^)

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カンディ(キャンディ)のペラデニア植物園は、もともと王室のための場所だった。王室といってもそれは、イギリスの王室なのだが。

雨模様で、地元のみなさんもランチの場所に苦労して、こんなふうにしている方々も↓手で食べるのがふつうなんですね↓



お茶のお店へも寄った↓今回の行程で、よくばりきれなかったのが、お茶の産地ヌワラエリアへ行く事。高原のティー・ファクトリーを改築したホテルへは、やはりゆっくり滞在したい。別の機会に企画することにします。二兎は追いません(^^)


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夕暮れてきたハイウェイで何西岸の古都ゴールへ向かう。日本の援助で建設されたので、やはり日本的↓



ライトハウスへ到着。騒々しい一般道に面した入口から、この階段をのぼると、インド洋をみはらす別世界となる↓


部屋も開放的↓





夕食はダイニングで

今日、お誕生日を迎えた方があった。亡くなったお父様の年齢を超えられたとのこと。感慨深い日を、この場所でご一緒することが出来て、光栄です↓


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夜、ホテルの敷地内を散歩していると、ホテルのスタッフが何やら手のひらに包んで大事そうに運んでいる。声をかけるとそれは、ちいさなちいさなシマリスだった。「巣から落ちちゃってたの。元気にしてもとへもどしてあげる。」↓



 


 



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シギリアに登るか、カンダラマでゾウに乗るか

2017-01-22 10:48:12 | スリランカ

天気は良くないが、インフィニティ・プールで泳ぐ人はいる。湖にそのまま続いているかのように見えるこのスタイルはバワがはじめて出現させたものといわれている↓

本日、もともとの予定はスリランカを代表する世界遺産シギリア・ロックへ登る日。 

だが、「見るだけでいいよ。そそりたつ岩山には登らなくていい。」という方もある。そういう方に、ただ待っていただくというのは芸がない。ゾウさんに乗ってお散歩していただくのに、ちょうどよいタイミングではあるまいか。

日本出発前からこのアイデアはあったので、現地に問い合わせをしてもらって、利用を知らせていた。

ところが、前々日の夜になって「ゾウが病気で…」と電話がかかってきた。

ううむ、それではこのカンダラマ・ホテルでもゾウさんライドはやっているから、こちらを利用してみよう。料金は一人三千ルピーと、スリランカとしては高いけれど、安心だ。

朝、シギリアに行く皆さんが乗ったバスを送り出して、ゾウに乗る四人と小松は案内人と共にホテル前の坂をぽちぽち下っていった。

すぐに、湖(人工湖)へ続く林の中の未舗装路を入る しばらく降りると、そこにモニカちゃんが我々を待っていた↓

野生動物は、たとえ馬でもはじめから人間を乗せてくれるわけではない。調教しても、人を乗せるのに向かいない馬もいる。

ゾウだって、「じゃ、のせてあげるよ」と、思ってくれる(人間にとって)性格の良いこのモニカちゃんのようなゾウさんだけが、安心して見ず知らずの観光客を乗せる仕事が出来るのだろう。

背中に大きな「桟敷席」をセットされるのを、おとなしく協力する姿がかわいい↓

「こぉんな大きな動物にどうやって乗るの?」と思うでしょ?ゾウ使いは裸足でひょいひょいっとよじ登るけれど、我々には出来ない。ちゃんと、こんな高い乗降用の台が用意されております↓

さらしを巻いて、化粧まわしを〆て、その上に六人まで乗れる「桟敷」をセットされる↓

我々はゆっくり乗りこんだ。

視界は、馬の背中よりもずっと高い。そして、馬の背中に比べてどっしりしている。五人の日本人がのっても微動だにしない安定感。 

古代の戦争で、「ゾウは戦車」と形容された意味が分かる。この巨体を自由に操ることができれば、騎馬にも負けないだろう。

小松の目の前に突き出したモニカちゃんのアタマは、どこかハゲおやじ(自分)の薄くなった髪の毛を思わせる・・・

ゾウ使いの「んゲ!」というような合図で、モニカちゃんは歩き出す。

木々の間を進む時、背中の上の我々には枝に当たるのだが、モニカもゾウ使いもそんなことは気にしない。自分でなんとかするしかない。

ゾウ使いのおじさんは裸足。ぬかるんだ道を「いつものように」という感じで歩き出す。どんな足の裏をしているのだろう。

森を出ると、雨が強くあたりはじめた。ゾウの上の我々も傘を開く↓ モニカちゃんは気にしない。

湖のほとりで、視界が開ける↓(モニカ、道草食っちゃだめ!)

我々が二泊したヘリタンス・カンダラマ・ホテルの全景を、はじめて見ることができた↓

いや、実はこれでも全景ではない。

写真の右奥にはまだ「ダンブッラ・ウィング」と呼ばれる続きの棟があるのだ。

完成から三十年を経て、このホテルは建築家ジェフリー・バワが想定したように、森の中に飲み込まれようとしている↓

水音をたてて、モニカは湖に入ってゆく↓

★★これらの写真を撮ってくれたアシスタント氏による動画 ⇒こちらのyoutubeから見ていただけます。九分ごろに、ゾウ使いがモニカから降りる時、モニカが前足をあげてちゃんと助けているところ、是非、ごらんください(^^) ゾウって可愛くて頭イイ(^^)

湖から上がりゾウ使いはモニカのアタマから降りる

我々も降りる

我々はモニカの労をねぎらおうと、日本から持ってきていた剥き栗があったのを思い出した。ゾウ使い氏に先に味見してもらってOKをもらい、モニカにあげる。ふわふわ柔らかい鼻が、たぶん生れてはじめ食べるだろう栗を「ふんふん」と嗅ぐ。そして、にょーんと口にもっていった↓

モニカちゃん、ご苦労さま! 剥き栗、おいしかった?

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ゾウの大群に出会う~ミンネリア国立公園

2017-01-21 20:21:19 | スリランカ

まるでアフリカの草原を見るようだった
小松はこれで三回目の訪問だったが、それぞれの年で別の世界を見せられたような気さえする。それだけ広くて多様な自然が保護されている国立公園なのか。

水場に集うゾウたちのシアワセそうなこと

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国立公園の入口

五六人が荷台に乗るジープが何十台も待っている。
国立公園内はもちろん舗装していない。こんな川も越えたりする。もちろんぐあんぐあん揺れる↓

棒にしっかりしがみついて、頭を出して木の枝にぶつからないように注意しながら・・・これも楽しいんです(^.^)

ジープ同士が情報交換して、今日この時間にゾウたちがいる方向へ走る。
途中で・・・これは水牛たち↓

今回は、前の二回とは違う方向へ長く走った。そして、視界がひらけたところで水場が広がり、びっくりするような群れを間近に見ることができた↓


子供たちもたくさんいる。

いっしょうけんめいおっぱい飲んでます↓




もうちょっと大きくなった子は、人間の子供みたいにはしゃいで走っている↓


★世界のゾウの数は、現在50万頭ほど。これは百年前の十分の一。アジアゾウはたったの五万頭しかいない。スリランカにはそのうちの十分の一がいる。アフリカよりも開発が進んだアジアで、野生で生息するゾウの数はいったいどのぐらいいるのだろう。※2015年はじめてピンナワラを訪れた時の日記をこちらからごらんください



夕暮れまでの時間を、それぞれ鼻を揺らしながらゆっくりと過ごしている。遠巻きにする我々のことは、視界の横にちょこっとだけ入っている感じ。移動する群れの先鋒のように、若手の?ゾウさんが一頭だけ先にでてくる。そして、ゆっくりゆっくり、群れは移動。我々は飽きずにとりまいているのでした↓


カンダラマホテルにもどったのは18時ごろ、夕暮れになりました。

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ポロンナルワ遺跡

2017-01-21 17:14:14 | スリランカ
日本の平安時代末期から鎌倉時代にかけて、シンハラ人の王朝が首都としたのがこのポロンナルワ。ここも内陸の町だが、王が整備した広大な人工湖があるゆえに繁栄することができた。この水路はその湖から町へ水を導くためのものである↓

「パラクラマ王の海」と通称される広大さ↓


ここは広大な都市で、僧院や大学などたくさんの伽藍が並んでいたが、その中心となっていたのは、「仏様の歯」をおさめた場所である。
ATADAGE(アタダアゲ)、VATADAGE(ヴァタダアゲ)、HATADAGE(ハタダアゲ)と解説されてもぜんぜんピンとこないけれど、異なる時代に「仏様の歯」を収めていたたてものなのであります↓


かつての聖域の入口に置かれた「ムーン・ストーン」。ここから中へ入るのには今でも裸足にならなくてはならない↓

王が高僧の話を聴くためにつくられた建物↓ねじれた柱がおもしろい。この上に木造の屋根があった↓


縁起を記した巨大な「石の本」↓この形は当時経文を短冊状の木の板に書いて束ねていたのに由来する↓

細部にみられるこの「がちょう」か「あひる」か?よく登場するのだけれど、その由来が今ひとつわかりません↓


ポロンナルワは仏教遺跡だが、南インドのヒンズー教徒も多く住んでいたと思われる。ヒンズー寺院のような屋根につくられた仏教寺院もある↓

内部奥には巨大な仏の立像があったが、破壊されてしまっている↓


こちらも舞台のようにつくられた僧院↓

四方の入口には端正に彫られた守護神↓足元に立つ小人のようなものは、その土地土地の氏神のようなものだとか↓


最大の仏塔↓

裸足になって熱い石を踏みながら一周。ゾウさんの彫刻が緻密↓

↓このしるしは復元の時の目印として刻まれた現代のもの↓



大学の中心部だったといわれる場所に安置された巨大な仏像↓

かつてはこんなフレスコ画で飾られていた↓


最大の見どころはこの石造群↓

★もう少し詳しい話を⇒こちらの日記に書いております

台座の部分をよく見ると、日本でも弘法大師が手にしている「金剛杵(こんごうしょ)」ではありませんか?立てられているけれど、確かにそうだ。これはもともとインドでは武器だったとされている↓


この遺跡、まだまだ見るところがあるのだけれど、時間も体力も限られておりまする。

***お昼ご飯に出たちょっと黒めのこれは?↓

⇒こちらに書きました
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お猿と遊んでから石窟寺院とポロンナルワへ

2017-01-21 11:16:13 | スリランカ
朝になっても雲がかかっていた。明るい浴室のバスタブから空を見ていると、雲が流れて青空が見えてきた。朝陽に照らされている。

ヘリタンス・カンダラマにゆっくり滞在する価値を感じる時間。七階のダイニング階、レストランの入口から古代の人工湖を見晴らす↓そう、これが人工の湖なんて驚かされる。スリランカ全土には「一万を数える」貯水池がつくられてきたのだそうだ。




部屋にもどって用意をしていると、ベランダで何かが動く気配↓

※ちょっとお相手してあげた話をこちらに載せました

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ヘリタンス・カンダラマの敷地ではゾウさんもお仕事をしております↓

村の道はこんな車がきてもよけません。

雨はまだぽつぽつ降っているが、ダンブッラ石窟寺院の入口に到着↓

大型バスは本来この正面入り口下まで。上まで長い階段を徒歩で行かなくてはならない。

実は横に、小型のトゥクトゥク用の横道があって、今回は密かにそこで下車。近道から入場する。ガイドさんと一緒でなくてはできない裏ワザであります↓

靴をぬいで寺院内に入る↓


お供えする花々もまるごと黄色い液で洗っている。これって何?「サフラン水です」あ、なるほど↓


全部で五つの洞窟寺がつくられているが、第一窟の涅槃像は二千年前の古代からのもの。岩を彫りぬいてつくられている。見る度にその迫力に圧倒される↓


★石窟寺院のスタートは、南インドの王朝に追われたシンハラ人の王が、この岩山の寺で十四年雌伏の時を過ごした事による。この石版にはその縁起と十二世紀末のニッサンカマッラ王が第二窟をつくって金箔で仏を飾ったことが記されているそうな↓

※この石窟寺院のもう少し詳しい話を⇒こちらに書きました



第二窟

天井から流れ続ける水は、一瞬低い場所から高い場所へ流れているように見えるが、こうして写真を撮ってみると正常な流れ方であるのがわかる↓

魚の絵↓

溜められた聖水

聖なる紫の蓮の花


 監視カメラ

こちらは十九世紀につくられた涅槃像



***
中国からの観光客はとても増えている。China meets Sri Lanka↓


お寺の観光は靴を脱ぐ場所が多い。むしろ裸足のほうが快適かも↓

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