旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

きままにリヨン②ルグドヌム~古代ローマ博物館

2018-07-27 14:14:41 | フランス

今年四月には工事中だったケーブルカーでフルヴィエールの丘に到着。ホームから地上へ出るとフルヴィエール大聖堂の目の前だった↓ ここももともとはローマの神殿があった場所だろうか。十分も坂を下りるとローマ人たちの残した劇場が見える場所に着く

↓左にLUGDUNUMと書かれたところが、古代ローマの博物館 

LUGDUNUMとは、リヨンの語源になったローマ時代の都市名だ。

このあたりの遺跡は1845年に正式に発見され、発掘がはじまった。これから訪れる博物館は1975年にバーナード・トゥールフスという建築家が設計。遺跡の雰囲気を損なわないようにメインの部分は地中に隠れているユニークな構造をしている↓その解説CGも分かりやすい↓下の写真で上部に見える白い横長の建物の最上部。前出の写真の場所である。ここだけ見ると地下に実質五階建ての博物館が存在するようには見えない。ところどころに開けられた四角い窓から遺跡が見えるというアイデアだ↓

ちらがその窓から外を見た様子↓

↓劇場では夏のコンサートも行われる↓左の白い臨時構造物がステージ↓

 

さて、展示★日本語音声ガイド機械もあります★

 

街の起源についてわかりやすい三次元模型がある↓時代の変化をカラフルなライトで表し、シンクロする日本語のガイディングで楽しめる。優れものです↓

↑リヨンは、ローヌとソーヌという二本の川の合流点とそれを見下ろす丘からなる。はローマ人がやってくる以前からガリア人の集落があった。

ガリア(現フランスを含む地方)をローマ化したカエサルが暗殺された翌年、紀元前43年にローマ軍団司令官のひとりルキウス・ムナキウス・プランクスという人物が本格的にローマの都市を建設した。※彼はカエサルより十二歳年下 

★彼についてはこちらにもう少し書きました

ルキウスは、内戦を制したアウグストゥスの安定した治世下、紀元前十五年に亡くなった。墓はローマナポリ方向へ行く途中のガエタに、こんな形で建設された↓その復元模型

↑生涯に、ルグドヌムとアウグスタ・ウリカ(現スイス領)二つの町を建設したと、この墳墓のレリーフに刻まれていた。

*** ローマの邸宅を飾っていたモザイクの床が何面も見られる↓ ガラス器は現代と変わらないデザイン↓ ガリア民族の五年分の暦が刻まれたブロンズのパネルがおもしろかった↓

祭りや催事の日付が書かれ、その左側に木片か何かを差し込んで印にしたと推察されている↓ ガリア民族は急速にローマ化していったので、ガリアの宗教や慣習に基づいた暦も正確には解明されていない。しかし、人々の暮らし方というのは支配階層が変わるようには簡単に変えることができないのだ。また、ローマの人々も被支配者の慣習を禁止しなかったのだから。 ↓このパネルは等身大のブロンズ像と同じ場所から発掘された↓ エジプトの宗教も紀元前一世紀のリヨンでは生きていた↓エジプトでよくみられるアヌビス神↓ 古代エジプトの神事に使われていたという楽器シストラムも刻まれている↓※右がウェアのパチンコみたいなのです 巨大な三世紀ごろの石棺↓キリスト教化以前、バッカスをはじめとする神々が刻まれている↓



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気ままにリヨン①

2018-07-27 12:51:00 | フランス

 

フランスも暑すぎる夏だが、朝七時の空気は東京よりずっとさわやか。さらに、ホテル内よりも外の方が気持ち良い。駅前を散歩する。簡単な朝食をだしているカフェがならぶ↓

チョコ入りクロワッサンとカフェオレで2.5ユーロのエクスプレスセットもある。

カルフールも入った大きな商業ビルの中のマック・カフェ↓

マカロンまでおいているのがフランスのマック↓

駅前再開発は今も続いている↓

商業ビルの入り口には過去のリヨンがどのように現代につながっているのかを示すパネル絵が↓

マックではなく、普通のカフェでこんなバゲットを買った↓下のはラクレット・チーズが挟まっていて買うときに温めてくれるのがうれしい↓

 

八時半にリヨンの旅行会社の方がホテルにきてくださった。今年ゴールデンウィークに来た時の忘れ物を届けてくださったのだ。12月8日の「光の祭典」についても情報をいろいろいただいた。リヨンはジュネーヴからもマルセイユからも近く、これから《手造の旅》のゲートウェイにつかっていきたいと思っている。

**

九時半前に再びホテルを出る。まずはベルクール広場までバスに乗る↓後ろに見える券売機で買えば1.9ユーロ↓バス内で買うと(たしか)2.2ユーロ

ほんとうはリヨンカードを駅で買おうとおもっていたのだが、なんと駅前では売っている場所がないのだという。電車で到着した観光客が買えるほうがよいと思うのだが…ベルクール広場の観光案内所まで行った↓

ローヌ川を渡る↓

観光案内でいろいろアドバイスをうけて大聖堂の塔に上るツアーが人数限定であるのを知った。午後に行ってみたい↓この塔です↓

***

旧市街を少しあるこう。サン・ジャン大聖堂の横にある古い壁が気になった↓

もともとここにあったロマネスク期の建物を壊して壁だけを教会の聖具室に再利用していたのだ。

「シネマとミニチュアの博物館」↓

 16世紀ごろの貴族の建物↓

建物自体はリヨンらしいものだが展示されているものは映画関係の大道具小道具が多い。たとえば映画「ミセス・ダウト」でのメイクのこととか↓ ミニチュアのセクションでは、四月に行った旧市街のレストランが再現されていた↓こうやって見るとほんとのサイズみたい↓ リヨンのガイドブックでよく言及されている場所だが、小松的にはリヨンを知るために是非見ておきたい場所というわけではなかった。こういう判断は自分自身で見ておかないと自信持ってできない。 *** フルビエールの丘へあがるケーブルカーに乗ろう

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ロラン島ランゲ島の上を飛んでパリへ、そしてTGVでリヨンへ

2018-07-26 01:38:58 | フランス

パリまで二時間をきった頃、見覚えのあるカタチをした平たい島が浮かんでいるのが見えた↓ 「あ!ランゲ島だ!」↓ 偶然、五月のデンマークツアーで訪れたランゲ島の上空だったのだ。 南デンマークで人気のリゾート島。 「ランゲ」は英語ならLONG。細長い島だからそう名付けられたのだときいた。 ★ロラン島からランゲ島へフェリーで渡った日のブログはこちらから パリが近づくと、大きく蛇行しているセーヌ川がみえた↓ そして、空港が見えてきたのだが,どうも小さい?

ド・ゴールじゃないようだ↓ ↑飛行場の真ん中に文字がかかれている・・・ PARIS LE BOURGET

この名前でぴんっときた(^.^) 「翼よあれがパリの灯だ」1927年にリンドバーグがはじめて飛行機で大西洋を横断。 着陸した時のパリの空港がブールジェ空港だ。 パリ市内からド・ゴール空港へ行く途中で、いつもその看板だけは見ていたのだが、空から確認したのははじめてだった。窓際の席はたのしい(^.^)

パリ到着 ↓「パリはあなたを愛しています」だって↓ 今日は空港駅からフランス新幹線TGVに乗ってそのままリヨンへ向かう↓ 切符売り場へ行くと行列・・・仕方なくだが販売機を使ったらすぐに購入できた↓近頃は駅の販売機も前ほどには壊れてたりしないようです↓ 17:58の出発まで五十分ぐらいある。 バゲットでもいただきましょ↓ 近くの(入りはしなかった)スターバックスには(たぶん)パリ限定のマグカップ↓ そろそろホームへ降りよう↓ モンペリエ行きの5020列車↓ブリュッセル・ミディ駅から出発したTGVは十五分ぐらい遅れてホームにやって きた まわりは大きな荷物をもった人でいっぱい…荷物を置く場所あるかな…

古いタイプの車両だったので座席の頭上にはとても乗せられない。 車両入口の棚になんとか納めて、無事に着席できた↓ リヨンまでは二時間ほどの予定。夏休みの家族連れもたくさん乗っている。

パリを出るとあとはずっと豊かな耕作地がえんえんとづついていく↓

通常の車内放送は英語もあるが、「この列車は遅れていて●●時ぐらいにリヨンに到着します」とか、「乗継の列車はこのようになっています」とか、本当に必要な現場情報のアナウンスはフランス語だけしかない。日本と同じ、ですね(^.^)

約四十五分遅れの20:45にリヨン駅に到着↓ごったがえすホーム↓

駅前に出ると懐かしい鉛筆型のビルが見えた↓

徒歩二分のホテルにチェックイン

部屋からの夕暮れ↓

 

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