旅倶楽部「こま通信」日記

これまで3500日以上世界を旅してきた小松が、より実り多い旅の実現と豊かな日常の為に主催する旅行クラブです。

インカの石組みに似たビナプのアフと上陸の地アナ・ケナ

2018-08-14 12:12:12 | イースター島
各モアイの名前のはじめに必ずついている「アフ」というのは死者を葬ってその上につくった祭壇のこと。ある時アフの上に死者の姿に似せた像をつくったところからモアイに発展していったと考えられている。
二つめに訪れたアフ・ビナプAhu Vinapuには二つの祭壇と倒れたモアイがある↓

このアフの石組みはたしかにちょっとインカの石組みを思い出させる↓

ここから、南米から人々が渡ってきた説を証明しようと「コンティキ号」計画がはじまったのか。

そばには頭に乗せられていた赤い「プカウ」が転がっている↓

↓「プカウ」は帽子ではなく髷という説もある。「こんな変な髪形ないでしょ?」いえいえ、日本のちょんまげだって相当に変わっている。

同じ凝灰岩だが赤い色のものを選んでつかっている。
***
ポリネシアからはじめてやってきたホトゥ・マトゥア王が二艘の船で上陸した地と考えられているアナ・ケナ・ビーチへ↓上陸した時代想定は6世紀から9世紀…つまりあんまりはっきりしないのです

ここには立たせたモアイが五体、海を背にして立っている↓



この島はほぼ崖にかこまれていて、船をつけて上陸できる浜はほとんどここしかない。
だから、ここを抑えれば島を守ることができると住み、守ってくれるモアイを置いたのか↓

細長い不思議なモアイの手↓

台座に彫られたているというトカゲ男の神をさがそう

↓すぐにわかった↓

土台の石に「もっと古い時代のモアイ」が再利用されている話も気になっていた↓それが、これか↓

いったいこの古いモアイになにが起きたのだろう?

さて、ここでランチタイム、とうもろこし+ごはん+まぐろにソースがかかったもの…


どこにでも登場するにゃんこ


にわとりは最初に入植したポリネシア人が食料として持ち込んだとされる
はしりまわっております

トイレは1ドルまたは500チリ・ペソで

それにしても対ドルのレート、ちと悪いです↓下の写真右上のこのレート。実際のレートはせめて1ドル=600ペソぐらいのもの。こうやって稼ぎを増やそうというのか?あるいは計算が苦手なのでわかりやすく「1ドルで二人トイレにいけます」というようにしているのか(^.^)

↓木彫りのモアイも高いです↓大きいものは八千円とか言われる。値段表示はなし。

次は、日本企業が修復した十五体のモアイが立つアフ・トンガリキへむかいます




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雨の夜明けから、はじめてモアイに出会う朝。タハイへ

2018-08-14 10:10:48 | イースター島
午前七時すぎ。まだ真っ暗のイースター島。ハンガロアホテルの平屋コテージのドアを開けると、暗闇に本格的な雨がふっていた。

まだ、夜明けのかけらも感じられないなか、朝食へ。
このホテルだけは、しっかりしたメニュー
オムレツもつくってくれる

●ラパ・ヌイの蜂蜜がおいしい

レストランの外がだんだん明るくなってくると、ここが海を見下ろす少し高台なのがわかる。

この旗はなに?※別に書きます


出発の九時になってもまだ雨はつづいている。
はじめてのモアイとの対面が雨なのか・・・

十分ほどで●タハイ遺跡 
到着するころ雨は止んできた。とっても天気が変わりやすいイースター島


ここには島で唯一、オリジナルの目を復元された一体のモアイが立っている
○モアイ・コテリクAhu ko te riku 高さは8メートルほどと大きい

↓他に、五体並んだアフ・ヴァイ・ウリAhu vai uriも1976年に復元された↓

↑一体離れているのはアフ・タハイAhu tahai
島全体で九百体以上が確認されているモアイだが、もともとすべて倒されていた。
目があったことさえはじめは知られていなかった。

モアイは村を見守るように立てられたと言われている。
住居跡と言われる石の囲い↓

住むというよりも眠るための場所で、この石組に木の棒を刺してその上にボートのように屋根をかぶせたとされている↓



こうして立っているモアイの姿が見られるのは現代の研究者のおかげ。
特にこのタハイ遺跡の復元にはアメリカ人のウィリアム・ムロイという人物が尽力した。
事前に読んだ本で、ここにムロイの墓があると書かれていた。
地元英語ガイドさんに「どこですか?」と訊ねると
海に向かって左の方だという・・・あ、あの石か?

ムロイは1917年生まれ。ユタ、アリゾナ、ニュー・メキシコなどでフィールドワークを重視した文化人類学を実践していた。
1955年にあの「コンティキ号」のノルウェー人、トール・ハイエルダールに誘われて、十か月に及ぶポリネシア調査旅行に出た。

この時訪れたラパ・ヌイ(イースター島)に魅せられ、その死までかかわり続けた。
1978年にアメリカで亡くなった時、本人の遺志で遺灰をこの場所に撒き、墓碑をたてたのだった↓それが、これ

ムロイはモアイたちを見守り、モアイはムロイを見ている










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タヒチを経由してチャーター便でイースター島をめざす

2018-08-13 20:23:22 | イースター島
南米チリに属するイースター島へ行く、日本からいちばん効率的なルートがタヒチ経由。
だが、タヒチとイースター島のあいだには週一便しか定期便がない。
そこをチャーター便を飛ばして、全体で六日間でモアイを見てタヒチもちょこっと楽しもうという夏休み企画のパッケージ旅行。
まずはタヒチまで11時間と少し

搭乗するとこんなつぼみを配られる。『ティアレ』というタヒチの花と教えてもらった。

右耳にさすと「既婚・決まった人あり」、左耳だと「未婚」なのだそうな。花言葉は「しあわせすぎてこわい」
タヒチに到着するころに開くというのですが…

↓こちらビジネスクラス席


機内食は二回 一回目チキンを選択
二回目はエッグかクレープというのでエッグ↓ちょっと手の込んだポーチドエッグ↓

フレンチ・ポリネシアは料理がおいしいとききます

進行方向左が朝焼けにそまってきた


そろそろ降下

火山島らしい風景

タラップで降りる。気温は二十五度ぐらいか。とても気持ちの良い風が吹いている。

入国はせずに、待合室へ 待たされる間にポリネシアんダンス

イースター島行の搭乗券を渡される↓

待合室にはフランスパンも(^.^)

黒真珠が売っている免税店も(^.^)

一時間もなく、再び搭乗。同じ飛行機に見えたが、新しい機材にかわっていた↓今度はビデオもオンデマンドで見られる(^.^)

飛行時間は五時間ほど。機内食は一回↓きいていたよりも悪くない


南太平洋の孤島が見えてきた↓

着陸してもすぐには出してもらえない

なんと、今月から運用がはじまったというイースター島独自の入国カードがある。
↓乗り込んできた係員から渡され、全員記入させられる↓

↓右側が本物。三枚つづり。左は記入見本↓


ようやく降機して、徒歩で平屋のターミナルへ。
いつも風が吹いている島。少し湿った二十度少しといった感じ↓

今回は新しい入島カードのせいでか、とってもとっても待たされた↓


18時半に到着したが、なんだかんだでホテルに到着したのは20時50分ごろ。
イースター島では随一のホテル・ハンガロアも平屋でコテージタイプ。ちょっとおもしろいつくりの部屋です↓


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