「ベルリンの金の帽子」は、紀元前一千年から八百年ごろのものとされる。
博物館は1990年代にオークションで入手していて、南ドイツで発掘されたと推定されているが、正確な出自は不明。
↓「帽子」と名付けられているが頭にかぶるものか?どのように使われたのかはわかっていない。
刻まれた(内側から型押しされた)図形が天文観測のデータと一致すると研究がある。
この時代の人々はストーンヘンジのように天空の暦と共に生きていたからそういう祭事だったのだろう。
類似の発掘例が四つあるのだそうだ。
南米の黄金像を手前に置いているのは類似性を言いたいのだろうが、ちょっとそぐわない。
**
これを収蔵するベルリンの「ノイ(新)博物館」は、たくさんの博物館があつめられた博物館島の一角にある。
↓下の写真左ががジェームズ・サイモンズ館と名付けられているその入口。
この博物館最大の目玉「ネフェルタリの胸像」は彼サイモンズ氏の寄贈したもの。
ユダヤ系ドイツ人で綿花商の御曹司としてベルリンに生まれた彼が、綿花の一大産地だったエジプトの考古学に惹かれていったのは必然だったのだろう。時のドイツ皇帝ウィルヘルム二世とも知り合いで、博物館建設の大きなパトロンだった。
19世紀後半、統一成ったドイツ第二帝国は勢いがあって、イギリスの大英博物館やフランスのルーブルにまけじと世界中から文物のコレクションをしていた時期にあたる。
博物館はいくつものビルに分かれていて、一月通ってもみきれないだろう。
総合博物館というのは辞書のようなもので辞書を片端から読んでいく必要もない。
↓チケット売り場
↓博物館全体のモデルをみると、なるほどここが「博物館島」であることがわかる↓
19世紀から計画的に建造されてきたエリアである。
↑模型の中にもベルリン大聖堂が見られるが、実物がこれ↓
サイモンズの入口↓みつけてください
とにかく広い
古代セクションだけでも地域や歴史ごとのセクションに分かれていて、入り口に代表的なもののイントロがある。
ガイドさんがいっしょでないと迷うばかりで二時間ぐらいすぐに過ぎてしまうだろう。
↑紀元前五世紀ごろエトルリアの神殿屋根瓦。中部イタリアのもの。
↓エジプトのコレクションはとても豊富
↓これは何をしている図?
↑出来上がった等身大の座像を運んでいる場面だそうな。なるほど(^.^)
↓ネフェルタリの胸像だけが写真撮影禁止
隣の部屋からなら撮影OK
小松が前回これを見たのは東ベルリンエリアのエジプト博物館にあったころ。二十年ぐらいは前になる。
すぐに思い出したのはカイロの考古学博物館にある胸像を量産するための元型とされるもの↓
※2004年ごろに撮影
見比べると、ベルリンの完成品はカイロのような花崗岩の元型の上に大理石の粉を練ったストゥッコを塗りつけて細部をリアルにし、冠の部分はあとから接合しているのだとわかる。
あまりスポットをあてられないのだが、この元型はネフェルタリ本人を見て製作されたものかもしれない。
完成品よりもリアルなデッサンといったところかしらん。
第二次大戦中に破壊されたが残ったものをできるだけ使って再建されている
シュリーマンが発掘したトロイ遺跡の装飾品「プリアモスの宝」は、1945年にベルリンを陥落させたソ連軍が持ち去ってしまった。
ソ連は長くその存在さえ認めなかったが、ロシアはその存在を認めて一時は「ドイツへ返還する」と言っていたが、後に気が変わっていまもモスクワにある。↓これはそのレプリカになる↓
★ペルガモン博物館は現トルコ領のペルガモン遺跡から神殿ひとつまるごと移設してきたもの。
※その神殿は2020年現在修復中で公開しておりません
が、現在のイラク北部アッシリア文明に属するバビロンのイシュタール門の復元が圧巻↓
紀元前六世紀ごろネブカドネザル王の時代、宮殿の入り口
参道にはライオンのタイルがずらり
↓百年ほど前にこんなかたちで発掘されていたものをもってきてしまったのだ
イスラム美術のコレクションも↓
フランスのルーブル以上には英語解説があるし、じっくり見学したい博物館です(^.^)
博物館は1990年代にオークションで入手していて、南ドイツで発掘されたと推定されているが、正確な出自は不明。
↓「帽子」と名付けられているが頭にかぶるものか?どのように使われたのかはわかっていない。
刻まれた(内側から型押しされた)図形が天文観測のデータと一致すると研究がある。
この時代の人々はストーンヘンジのように天空の暦と共に生きていたからそういう祭事だったのだろう。
類似の発掘例が四つあるのだそうだ。
南米の黄金像を手前に置いているのは類似性を言いたいのだろうが、ちょっとそぐわない。
**
これを収蔵するベルリンの「ノイ(新)博物館」は、たくさんの博物館があつめられた博物館島の一角にある。
↓下の写真左ががジェームズ・サイモンズ館と名付けられているその入口。
この博物館最大の目玉「ネフェルタリの胸像」は彼サイモンズ氏の寄贈したもの。
ユダヤ系ドイツ人で綿花商の御曹司としてベルリンに生まれた彼が、綿花の一大産地だったエジプトの考古学に惹かれていったのは必然だったのだろう。時のドイツ皇帝ウィルヘルム二世とも知り合いで、博物館建設の大きなパトロンだった。
19世紀後半、統一成ったドイツ第二帝国は勢いがあって、イギリスの大英博物館やフランスのルーブルにまけじと世界中から文物のコレクションをしていた時期にあたる。
博物館はいくつものビルに分かれていて、一月通ってもみきれないだろう。
総合博物館というのは辞書のようなもので辞書を片端から読んでいく必要もない。
↓チケット売り場
↓博物館全体のモデルをみると、なるほどここが「博物館島」であることがわかる↓
19世紀から計画的に建造されてきたエリアである。
↑模型の中にもベルリン大聖堂が見られるが、実物がこれ↓
サイモンズの入口↓みつけてください
とにかく広い
古代セクションだけでも地域や歴史ごとのセクションに分かれていて、入り口に代表的なもののイントロがある。
ガイドさんがいっしょでないと迷うばかりで二時間ぐらいすぐに過ぎてしまうだろう。
↑紀元前五世紀ごろエトルリアの神殿屋根瓦。中部イタリアのもの。
↓エジプトのコレクションはとても豊富
↓これは何をしている図?
↑出来上がった等身大の座像を運んでいる場面だそうな。なるほど(^.^)
↓ネフェルタリの胸像だけが写真撮影禁止
隣の部屋からなら撮影OK
小松が前回これを見たのは東ベルリンエリアのエジプト博物館にあったころ。二十年ぐらいは前になる。
すぐに思い出したのはカイロの考古学博物館にある胸像を量産するための元型とされるもの↓
※2004年ごろに撮影
見比べると、ベルリンの完成品はカイロのような花崗岩の元型の上に大理石の粉を練ったストゥッコを塗りつけて細部をリアルにし、冠の部分はあとから接合しているのだとわかる。
あまりスポットをあてられないのだが、この元型はネフェルタリ本人を見て製作されたものかもしれない。
完成品よりもリアルなデッサンといったところかしらん。
第二次大戦中に破壊されたが残ったものをできるだけ使って再建されている
シュリーマンが発掘したトロイ遺跡の装飾品「プリアモスの宝」は、1945年にベルリンを陥落させたソ連軍が持ち去ってしまった。
ソ連は長くその存在さえ認めなかったが、ロシアはその存在を認めて一時は「ドイツへ返還する」と言っていたが、後に気が変わっていまもモスクワにある。↓これはそのレプリカになる↓
★ペルガモン博物館は現トルコ領のペルガモン遺跡から神殿ひとつまるごと移設してきたもの。
※その神殿は2020年現在修復中で公開しておりません
が、現在のイラク北部アッシリア文明に属するバビロンのイシュタール門の復元が圧巻↓
紀元前六世紀ごろネブカドネザル王の時代、宮殿の入り口
参道にはライオンのタイルがずらり
↓百年ほど前にこんなかたちで発掘されていたものをもってきてしまったのだ
イスラム美術のコレクションも↓
フランスのルーブル以上には英語解説があるし、じっくり見学したい博物館です(^.^)