イチョウの古木が神社の境内を守るように広がっている。きれいに掃除された静かな美しい集落。
*
11月28日からの《手造の旅》近江長浜と間人のため、下見と打ち合わせに訪れた。11月7日正午過ぎ、長浜駅を出たところから伊吹山がきれいにみえる。
石灰岩の採掘で山のカタチが変わっているが、それでも美しい。
※「地質で語る百名山」のページにリンクします
今年春の旅で竹生島をガイドしていただいたMさんと待ち合わせ。
車でMさんの集落に受け継がれている十一面観音の話をきかせていただいた↓
↑村に伝わるにしてはかなり立派なお像。
長浜はかつて天台宗をはじめとする大きな寺院が立ち並んでいたが、信長の戦乱によってほとんどは焼失してしまった。里人はせめてお像だけでも救いたいと運び出し、田んぼや地面に埋めて隠した。江戸期にはそれらが村々の宝となり誇りとなり、小さな村には似つかわしくないほど立派なお像が近在の村々に、ある。現在でもお願いすれば拝観させていただける。
Mさん宅のある田中集落手前で↑「富田人形館」がめについた。
下調べの時に、人形浄瑠璃が伝わっていると書かれていたが、ここがそうか。
※観光情報サイトにリンクします
旅の本番でぜひ訪問したい。
Mさん宅のすぐ近所↑長い立派な壁が続く家ばかり
↑Mさん宅には錦鯉が泳ぐ日本庭園があった↑
奥様手作りの干し柿が絶品!↑丁寧に昔ながらの暮らしをしておられる。
しかし、裏の家ではなんとエアB&Bを営んでおられて
つい先月もオーストラリアからの日本語を学んでいる学生が一週間滞在していたのだそうだ立派な柚子の木。
近くの神社には↑五十年ほど前に倒壊したという鐘楼がさいけんされかかっていた↑
↑あの向こうの社に十一面観音が安置されている(^^)
11月28日に宿泊する己高庵に向かう途中↓こんな塔が見えたが教会ではなく、
ヤンマーの創業者山岡孫吉の生まれた場所に、ヤンマーが寄贈した「ヤンマー会館=東阿閉(ひがしあつじ)公民館」だそうな。
長浜の農家に九番目の子供として生まれた山岡は、動力をつかって農業を楽にする方法を考え続けた。ドイツで学んだディーゼルエンジンを世界最小化に成功し、本家ドイツでも高く評価された。この会館の形状はそこからきている。※ヤンマーの名前は「山岡」と通称「勝ち虫」と呼ばれるトンボの中でも最大のオニヤンマから
今回の旅ではとても時間がないが、いちど個人的に訪問してみたい「ヤンマーミュージアム」もある。
(本番での)昼食をどうしようと相談していたら↑このお店も人気ありますよとのこと(^^)
雨森芳洲の出身集落
22歳の時に対馬藩に仕え、朝鮮通信使との実務を担当した。釜山に三年留学していた。
彼の遺した資料を集めており、今は「東アジア交流ハウス」となっている。
朝鮮半島からの観光客も多く訪れている。
ここもいつか時間をかけて見学してみたい。
**
鶏足寺エリアが近づいてくると…
「鶏足寺紅葉受け入れ中止」とはいったいどういうことだろう。
湖北の紅葉名所としていちばんにあげられるような場所なのに。
「実は…コロナ禍になる前にものすごい数の人がやってきて、村の人が家からさえ出られないほどだったんです」
Mさんがお話してくれた。
↑己高庵の方も、
「いつもなら二十分でお送りできる駅まで往復二時間もかかるほどで、ひどいことになっていました」とのこと。
紅葉のオーバーツーリズムが住んでいる人を辟易させてしまっていたのか。
そして、村の話し合いで
「こんなになるならいっそ閉めてしまおう」と、コロナ禍も手伝って
2022秋も「来ないでください」状態が続いている。
うーむ、せっかくの素晴らしい場所なのにもったいない。
己高庵はしかし、紅葉のメッカど真ん中にある宿なので、
「お泊りの方が周囲を歩かれるぐらいならかまいません」と半黙認。
今回、28日にはこの宿に泊まるので翌朝は散歩してみうよう。
周囲には石田三成が隠れていたと伝わる洞窟とか
↑日本最古の製鉄所跡とか、見所がいろいろある。
鶏足寺は長浜「観音の里」エリアの中でも屈指のお像がある。
それは見られないかもしれないが、
29日の朝、お天気になるように祈ります(^^)。
最後に高月駅の案内所へ寄った。
これまで何度もお世話になったNさんにご挨拶したかったのだが、あいにく不在。
本番でお会いできれば幸いです(^^)
午後四時少し前、伊吹山を照らす太陽が夕方の気配を映している。
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11月28日からの《手造の旅》近江長浜と間人のため、下見と打ち合わせに訪れた。11月7日正午過ぎ、長浜駅を出たところから伊吹山がきれいにみえる。
石灰岩の採掘で山のカタチが変わっているが、それでも美しい。
※「地質で語る百名山」のページにリンクします
今年春の旅で竹生島をガイドしていただいたMさんと待ち合わせ。
車でMさんの集落に受け継がれている十一面観音の話をきかせていただいた↓
↑村に伝わるにしてはかなり立派なお像。
長浜はかつて天台宗をはじめとする大きな寺院が立ち並んでいたが、信長の戦乱によってほとんどは焼失してしまった。里人はせめてお像だけでも救いたいと運び出し、田んぼや地面に埋めて隠した。江戸期にはそれらが村々の宝となり誇りとなり、小さな村には似つかわしくないほど立派なお像が近在の村々に、ある。現在でもお願いすれば拝観させていただける。
Mさん宅のある田中集落手前で↑「富田人形館」がめについた。
下調べの時に、人形浄瑠璃が伝わっていると書かれていたが、ここがそうか。
※観光情報サイトにリンクします
旅の本番でぜひ訪問したい。
Mさん宅のすぐ近所↑長い立派な壁が続く家ばかり
↑Mさん宅には錦鯉が泳ぐ日本庭園があった↑
奥様手作りの干し柿が絶品!↑丁寧に昔ながらの暮らしをしておられる。
しかし、裏の家ではなんとエアB&Bを営んでおられて
つい先月もオーストラリアからの日本語を学んでいる学生が一週間滞在していたのだそうだ立派な柚子の木。
近くの神社には↑五十年ほど前に倒壊したという鐘楼がさいけんされかかっていた↑
↑あの向こうの社に十一面観音が安置されている(^^)
11月28日に宿泊する己高庵に向かう途中↓こんな塔が見えたが教会ではなく、
ヤンマーの創業者山岡孫吉の生まれた場所に、ヤンマーが寄贈した「ヤンマー会館=東阿閉(ひがしあつじ)公民館」だそうな。
長浜の農家に九番目の子供として生まれた山岡は、動力をつかって農業を楽にする方法を考え続けた。ドイツで学んだディーゼルエンジンを世界最小化に成功し、本家ドイツでも高く評価された。この会館の形状はそこからきている。※ヤンマーの名前は「山岡」と通称「勝ち虫」と呼ばれるトンボの中でも最大のオニヤンマから
今回の旅ではとても時間がないが、いちど個人的に訪問してみたい「ヤンマーミュージアム」もある。
(本番での)昼食をどうしようと相談していたら↑このお店も人気ありますよとのこと(^^)
雨森芳洲の出身集落
22歳の時に対馬藩に仕え、朝鮮通信使との実務を担当した。釜山に三年留学していた。
彼の遺した資料を集めており、今は「東アジア交流ハウス」となっている。
朝鮮半島からの観光客も多く訪れている。
ここもいつか時間をかけて見学してみたい。
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鶏足寺エリアが近づいてくると…
「鶏足寺紅葉受け入れ中止」とはいったいどういうことだろう。
湖北の紅葉名所としていちばんにあげられるような場所なのに。
「実は…コロナ禍になる前にものすごい数の人がやってきて、村の人が家からさえ出られないほどだったんです」
Mさんがお話してくれた。
↑己高庵の方も、
「いつもなら二十分でお送りできる駅まで往復二時間もかかるほどで、ひどいことになっていました」とのこと。
紅葉のオーバーツーリズムが住んでいる人を辟易させてしまっていたのか。
そして、村の話し合いで
「こんなになるならいっそ閉めてしまおう」と、コロナ禍も手伝って
2022秋も「来ないでください」状態が続いている。
うーむ、せっかくの素晴らしい場所なのにもったいない。
己高庵はしかし、紅葉のメッカど真ん中にある宿なので、
「お泊りの方が周囲を歩かれるぐらいならかまいません」と半黙認。
今回、28日にはこの宿に泊まるので翌朝は散歩してみうよう。
周囲には石田三成が隠れていたと伝わる洞窟とか
↑日本最古の製鉄所跡とか、見所がいろいろある。
鶏足寺は長浜「観音の里」エリアの中でも屈指のお像がある。
それは見られないかもしれないが、
29日の朝、お天気になるように祈ります(^^)。
最後に高月駅の案内所へ寄った。
これまで何度もお世話になったNさんにご挨拶したかったのだが、あいにく不在。
本番でお会いできれば幸いです(^^)
午後四時少し前、伊吹山を照らす太陽が夕方の気配を映している。