今年もなんだか夏らしいこともしないまま秋の声が聞こえてくるようになった。
7月には、信州の悪天候から伊豆下田の海に目的地を変えてツーリングにでかけた。
本当は信州上田から菅平を経由して志賀高原、草津にいくつもりだった。
上田が下田になってしまっていたことに、あとで気が付いて少し笑った。
8月に入るとコロナ禍にも関わらず長女がメルボルンにホームステイするということで
成田空港まで送っていった。
その後、同じ家にステイしているメイトが感染してしまい、どうなることかと
思ったが、幸いにして長女は感染せぬまま、今週月曜日に無事帰国した。
あれだけセンスのなかった発音が見違えるように英語になったのには驚いた。
ステイ先のペアレンツはメルボルン在住のドイツ人夫妻、仕事の関係で当地に移住した
まま居ついているのだそうで、既にご本人はリタイヤして息子さんはドイツで医師を
しているとのことだった。
リタイヤといえば、自分も来年にはリタイヤする歳となり、今週は対象者向けの説明会に
出席する。
ありがたいことに企業年金や年金保険もあって、そんなに暮らしぶりが下降するわけ
ではないが、収入が減るということについて奥さんはナーバスで、今年から嘱託社員と
して自ら働きに出ている。
彼女はまだ若いので、逆にこれから自分の収入で気兼ねなくエンジョイしてくれればよい。
また、子供たちの学費もだいたい手当できたので、あとは自分の残りの人生をどう過ごし
ていくかということになる。
そして、自分の父親がこのくらいの歳に亡くなったので、男という動物はあてのない人生
になってしまうと短命に終わる動物だと思っていて、何か始めなければとも思っている。
そんな感じで、宮崎時代にお世話になった方に突然電話してみた。
もう自分も退職年齢なのでお世話になった方々に御礼を言いに周りますが、そもそも
元気でいらっしゃいますか、と。
その方は、既にそこそこ高齢にも関わらず現役で勤めておられ、元気にいるから早々に
遊びに来いといっていただき安心した。
宮崎で余生を過ごすための就職活動であることはばれているようだった。
あの街でそんなに忙しくない仕事をしながら菜園を耕し、焼酎でダレやみしながら
暮らせるならば随分ぜいたくな話だと思っている。
宮崎なら、羽田からならそう遠くもないし、宮崎空港まで行けば市街も近い。
ところが昨日になって、電話した方から聞いたよとさらにお世話になった方から連絡
をいただいた。
虎ノ門にある会社でひとを探している、海外に出向くことの多い仕事だけれどどうだと
案内され、蹴っ飛ばしてもよいから一度話を聞いてみろと勧めてくれた。
あれあれ、人生というのは意図するとおりには進まないものだな。
ただ、あんた英語が堪能やったもんねと少し勘違いも混じっているようで
この話もどうなることやら。
今回見送りと出迎えで成田空港の遠さはよく分かったので、羽田経由で海外に行かせて
くれる会社ならあと3年ほど働いてもいいのだが、田舎暮らしする夢はどうするか。
また、家族と離れてひとりで暮らす前提も崩れてしまうな、などと考えた夜だった。
いずれにしても、明日の説明会は寝ないで聞いておかなければならないな。
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