久しぶりに映画を見た。野村萬斎主演の「のぼうの城」。
ときは戦国、豊臣秀吉(演:市川正親)は小田原城を攻める一方、石田三成(演:上地雄輔(!!))に北条氏の支城である忍城(おしじょう)攻撃を命じる。これを迎え撃つ忍城の城代、成田長親(なりたながちか 演:野村萬斎)は、とにかく呑気者、侍のくせに領民と戯れ、子供に手伝えと言われ、田んぼに入ったとたんにすっ転ぶ。豊作を祈って、田楽踊りを披露する。忍城の眼前に迫る石田軍2万に対し、無謀にも戦を挑むことになった長親軍500(実際は3000)の奇想天外な作戦とは一体!?・・・というあらすじなのだが、何だか映画のPRみたいになっちゃったなぁ。
映画を見る前、いろんな思いを持っていた。田楽踊りは、狂言師でもある野村氏自身が考案(作詞・作曲・振付)されたという。その卑猥を感じさせる(!)踊りでみんな(ネタバレにつながるのであえてはぐらかす・・・)を躍らせる。その演出も見てみたかったし、人の上に立つ人間、すなわちリーダーのあるべき姿を、彼に見いだせないかなとも、思っていた。
ちょうど先日、衆議院が解散し、選挙モードに政治が動いている。というところで、じつは前回のブログの内容は少々不満が残った。「政治家は、官僚全員分の頭脳を持った天才でないと」みたいな書き方をしたが、本当にそんな人を待っていては、いつまでも所謂「良い政治」なんてできっこない、とも思ったからだ。
ここから、ややネタバレに近いことを書くが、結果として長親が勝てたのは、彼の呑気な人柄だけでなく、有能な家臣や武人がいて、みな自分の役割をよく知っていて、戦でそれが機能したこと、「でくのぼう」から「のぼう様」と呼ばれ、領民にも慕われていたこと。開城ののち、登城した石田三成に、さっぱりと負けを認めさせた痛快さ、爽快感。すなわち「人」に恵まれていたことなんだろうな、と思う。
「のぼう様がそうおっしゃるなら、仕方ないな」
人々にそう言わせたのは、単なる呑気、うつけを演じている者だからではなく、じつは隠れた天才だったのかもしれないし、あるいは情に熱い人物だったのかもしれない。クライマックス近くの、船上で田楽踊りを踊る長親が印象的だった(なぜ踊ることになったのかはネタバレになるので書かない)。
ひょっとして、これって、日本を担う次のリーダーに必要な要素かもしれない、と思う。長親を見て、俺がみんなを纏めてやる、俺について来い、ではなく、この人の力になりたい、助けたい、と「思わせる人物」が、今必要なのかもしれない。
決定したことに承服できずに離党する議員がいたり、わずかな接点で合意し、大同小異の政党が乱立する中、選挙によってどう纏まり、彼らが今後何をどこまでできるのか、そんなことも考えてみたりする。
(注)本コラムは敬称略としました。